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『―――なんだオマエッ…』
『今日が何の日か―――』
『―――…ッ、もう一度』それは走馬灯のように目まぐるしく。意識を失うくらいに途方もなく。
『お前を見た、そんな気がすんだよ』
―――既に薄れかけていた【あの日】はその言葉で思い出した。
【あの日】の全て、思い出したんだ。
『―――何だよ…アンタッ…!』
本当の言葉。本当の出来事。
『お前、名は―――何だ』
私はいた。
私はそこに、いた。
『―――青琉』
そう答えて。すっと目線を上げた。
『望月―――青琉だ』
◇―◇―◇―◇
びゅうっと耳鳴りをして、霜風が滑っていく。
―――纏わりつく寒さ。その冷たさは身動きを許さないように、静かにその場に佇んでいた。
部屋から漏れる灯りが背を照らし、正座で石の表情をした小十郎の姿を象る。
他の者はもう夜も遅く、各々の寝床に戻っていた。
『―――呼んだか小十郎』
『ああ、…何でもねえ』
それは些事と捉えるには類稀で。その所作を単なる回顧と決めるには証左が足らず。
ただ、懐かしいと感じた。
そうやって秘めておられるのを見るのはいつぶりだったか。
一人葛藤しておられるのはいつぶりだったか。
『アンタだって…同じじゃねえのか……!!奥州を…護るために……ここまで……!!』
託された国への思い。民や家臣を背負う重み。
まだ年若かったあの方が辿ってきた道を、俺は知っている。
『少しの間だろうが、忘れさせてえんだよ』
故に。くだんの件がなければ、俺はただ行く末を見守ろうとしただろう。
それほどまでの想いをお持ちなのは重々承知している。
本来己が口を挟むのは無粋。それも承知の上。
『お前は本源だ。言えねえもんを抱えてる以上、俺達の信用もその程度だって事を覚えとけ』
だが俺は見極めてきた。
『…ああ』
ずっと―――見極めてきた。
『魔王の軍を任された野郎がどういう奴か、この目で見ておきてぇとは思っていた』
『待ち侘びていましたよ。まだか、まだかと…』
『織田は…滅んだ、のか』
『―――つくづく邪魔ね…ッ…独眼竜…!!』
数奇な縁と趨勢の中で日ノ本は大きく揺れている。
『オレはどのくらいこうしてた』
『アイツが…、青琉が…。急に…!』
最早偶然という言葉では片付けられない。
兆しはついぞ予想しえぬ形で起こりつつあるのだ。
(それを見過ごすことは―――出来ませぬ)
目を開ける。
「小十郎」
その声で、視界を床から上げた。
ばっと向いた顔で政宗を見つける。だんだん近付いて見えた表情は、いつも通り揺蕩う笑みが戻っていた。
「待たせたな」
伊達を、政宗様をお守りする。それが右目の務め。
―――小十郎は立ち上がった。
「御身体は」
「No problem.…問題ねぇ」
そう言って政宗は横を通り過ぎていく。
「戻るぜ。話は―――明日だ」
その背中をじっと見つめて。押し込むように目を瞑り、小十郎は黙って後をついていった。
◇―◇―◇―◇
「…」
障子から差し込む月夜を受けて銀が光る。畳が仄明るく発光し、照らされるような部屋の中で、掌の中の鉄鎖がひと際強く輝いた。
懐にしまい、そのまま蹲る様に押さえつける。
「ごめんなさい―――…」
後ろで寝返りをする少女。毛布に埋まる様にまた静かな吐息を始めた傍で、悲鳴に似た懺悔が消えた。
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