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―――遠い日を見ている。



『な!何だお前…!―――どわっ!?』



なぜか、自分でもそうした理由が分からなかった。
間に入って、立ちはだかって。手を上げていたんだ。




『気に食わない―――ただそれだけだ』



辺りには体をよじらせて呻く同じ年頃の子供が数人。立ち上がる者はいない。

『くそ…!こいつ、覚えてろよ!!』と、自分に向かって取るに足らない声が一つ。
そしてぞろぞろとふらついて逃げていく奴ら。じっと目で追った。やがて見えなくなる。



『―――何だよ…アンタッ…!』



一瞬呆けて振り向いた。
ふらりと立ち上がったそいつは、自分を睨んでいたのだ。

―――髪がそよぐ。それがそいつとの最悪な出会いだった。



◇―◇―◇―◇



陽だまりのように柔らかな白。くぐもっていた視界。
霞みがかった木漏れ日がいくつも差し込んでいた。

―――なぜ、助けるような真似をしたのだろう。



【ただの通りすがりだ】

【ふざ…けんなッ…】



聞かれたことにはそれで十分だろうと、そんな時はずっとそう返してきた言葉がその男子の怒りを買っていた。
【余計な事…すんじゃねぇ!!】と案の定殴りかかってきた、…のだと思う。それも無意識に横に躱して峰打ちをしていて、どさっ!と再び地に伏せるそいつを為す術なく見下ろしていた。



【…悪い。条件反射だ】



その事実から目を逸らしたかったのか、瞼を閉じていた。癖でさっきの奴等から拝借した木刀を振るってしまったんだ。

声を飲み込んで、そいつは蹲っていた。
また、敵を作ってしまったらしい。



【…テメッ…!】

【邪魔をしたな】



急に居たたまれなくなって手が伸びていた。鞄にあった保冷剤を取り、持っていた小さい手ぬぐいをそいつの側に置いて【使えばいい】と、乗せるとその場を後にしたんだった―――。



『……』



いつもの場所。いつもの時間。
日差しが少し落ち着く木の葉の陰で目を瞑る。

ここはいい。誰にも邪魔されることなく、自然の感覚が全身を研ぎ澄ませ、刀は自己をこめる一つの媒体となる。
この何もない道場の真ん中で見えるものを閉じ、外に耳を傾け、力を抜く。それこそが無でいられる時だった。



『……っ』



でも今日はそうじゃなかった。
思い出す。たくさん思い出すんだ。

私をしたう子供達の姿。声。
一緒に暮らした小さな孤児院。
手を引かれて出ていく、妹や弟のような子達。
どうしようもない。…どうしようもなかった。

ほんの少し、目を開ける。

―――そして私も、最後にはこの道場に引き取られた。
両親の古い血筋だという人が見つけてくれて、そこで忍の一族の血統と教えられたんだ。



『…』



親兄弟がいる日常が眩しかった。
周りと違って最初から欠けていた。
…だが、物心つく前に両親を亡くし、名前以外何もわからなかった私が唯一心惹かれたこの道を肯定してくれる。それが【いくさびと】であったというこの血なのだと思えて救われたんだ。

―――目の前に自分と並んで置いてある木刀を見る。
初めてそれを目にした時に感じた。久しぶりの高鳴り、目を離せない衝撃。
顔も覚えていない両親は話してくれたのか、もはや分からなくたっていい。

変わり者と言われようと構わない。

私はその道に焦がれたんだから。



(…浸りすぎたな)



また目を閉じた。
雑念は少し考えると直ぐ膨れて、後悔だったり羨望だったりをまざまざと突き付けてくる。
思い出したいんじゃない。
私は先に進みたい、ただそれだけなのに。

木の揺らめきを感じ、音を聞き、まるで夢のように―――意識だけその時に溶け込むような感覚を願って願って。
今度こそと一意専心する。

ザッ



『!』



だがすぐ途切れて顔を向けた。不自然な物音に反応したのだ。



『…!お前、』



予想外の出来事だった。声にしてしまうくらいの驚きが心を揺さぶる。
小窓に見える人影。そこにいたのはさっきの男子だったのだ。

【―――何だよアイツ―――】

刹那、そのしかめ面に最後聞こえた声が急に蘇って言葉が詰まる。



『―――…何だよ』



でもそいつの声が入って、いつかの誰かに向けられた記憶はすうっと収まっていった。



『付いてきたのか』



もう大丈夫だ。

いつからそこにいたのか。どうしてここに来たのか。
聞きたいことが急に沸き上がって隙間をなくしていく。
どこにその感情が隠れていたのか―――しかし掻き乱れると多弁になる心の内を見せるのは苦手で、いつもの様に何でもない振りをした。



『悪いかよ』



そいつは目を背ける。ああ、まるで。

(…そうか)

自分を見ているよう。
さっきの奴らに絡まれた理由を何となく察する。
内心それにほっとして、



『別に』



視線が戻る前に背中を向けた。

―――風が木の葉を揺らす。自然の中にいるかのような外の息吹が直に聞こえてくる。
なぜだかとても心地いい。



『…』



目を瞑ると浮かんでくる。音に聞く、外の風景。
突然心は無に立ち返るかのように、落ち着きを取り戻してきたようで。

(…、)

そして冷静になってきたからこそ今の状況の気まずさに気付く。
きっとそれはさっきからあった筈なのに、気付けないほど自然体になっていた。
…そういうことなのだろうか。

(どうすれば…)

言葉が出てこない。相手からの反応もない。
会話を切ったのは自分。かといって向き直るのも億劫で何も浮かばなかった。
だから人の心はとても難しく、不得意だ。

でもそいつはまだそこにいる。それだけは分かるんだ。



『―――来たいなら、』



何で先に口を開いたのか。その言葉を選んだのか。



『来ればいい』



そう言っていた。
―――すると見えない後ろの気配が動いた気がして。



『別に』



と声が返ってくる。
―――漸く分かった。

木刀を持って腰を上げる。
何の悪戯だろう。何の偶然だろう。
無になるどころか、この偶々な会話が心を揺らす。
こんなに長く、同じ年頃のやつと話すのがとても久しぶりだったからかもしれない。

でもこれは私がまだ未熟―――未熟なせいなんだと。そう思って入口に向かった。ここにいてはいけない。私も、そいつも。
これ以上もこれ以下もない。



【コイツ…親がいないくせに!】



たったそれだけの理由で泣かせる子供達を助けた真似事。



【気に食わない―――ただそれだけだ】



私のただの自己満足が、隠していた弱さを証明しただけなんだ―――。



『待てよ!』



咄嗟に足を止めた。
何で引き止めるのか。何で立ち止まってしまったのか。
私に用はないのだろう?

―――振り向くと、その独眼と目が合った。



『……、』



長い、―――長い沈黙。
目を逸らすのが引ける、その眼光。



『……ッ、』



私よりずっと強く見える心。なぜ、何か言いたそうにして言わないのかが分からない。
そう思っていたら、



『…教えろ』



芯のある声で真っすぐと見てきて。言われたんだ。



『お前、名は―――』



―――何だ―――

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