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「…あ!た、隆家!!」
思い出したようにばたばたと引き返し、しゃがみ込む。「だ、大丈夫?」と声をかければ、「お、お気に…なざらず…」と床板に密着した顔をゆっくり上げて。焦点が合ってくると汗を浮かべた由叉の顔が見えてくる。思わず目を剥いた。
(おぉ…)
なんと
(お綺麗に…なられて…!)
口を押さえ涙を浮かべる隆家に「え、どうしたの?何処か具合痛い?」と由叉は戸惑う。
元就と由叉が恋仲とはいえ、その仲を取り持ったのは隆家と言って過言はない。見ての通り由叉から元就への愛情表現は頻繁だが、逆は何せあの元就である。跳ね返され泣いて帰ってくる由叉の愚痴を聞かされたり暴走を止めたりする一方で。「元就の馬鹿!もう知らない!!」ととうとう座敷に引き篭った由叉を、元就から連れてこいと言われ、理不尽にも物を投げられながら引っ張って行く…そんな事にも隆家は苦労したものだ。いつの間にか由叉のオカン状態であった隆家にとって、今日という日を迎えた事は何にも代え難い喜びである。娘を送り出す親とはこんな気持ちなのかと一人感動していた。
(頑張った甲斐がございました…!)
「さぁ行って下さいませ由叉殿!元就様がお待ちです!」
「う、うん」
からんころん。下駄を軽快に鳴らしながら由叉は離れていく。
「…」
そして元就も
スッ…
―――腰を上げて広間へと出ていく。
―――
「元就!」
立ち止まると、元就も立ち止まって。互いにまだ距離はある。
「ごめん…ごめんね!こんなかかるなんて知らなかったんだ。
俺…舐めてたよ。こんな着物すぐ着れるって思ってた。走って間に合うと思ってた」
ぎゅっと手を握り締める。
「折角元就が、」
『由叉』
『んん?』
『…そなたを』
妻に迎える
「正室にしてくれるって、言ってくれたのに…っ」
「…」
「こんな女で…ごめんね」
ぐすっと聞こえた音。これは、
(―――あれ?)
その場にいた部下達は硬直した。
(泣いてしまわれたあああああ!?)
雷でも落ちたような衝撃が走る。こんな事は予想していなかった。しかもこれは本気の自責の涙である。
(由叉殿、あれ?先程までの由叉殿は何処に行ってしまわれたのです!?)
踏み台になった隆家ですら混乱である。いつもの如く元就に抱き着く勢いで始まると思っていた。今までを顧みれば自責は必要だと思うが…今ではない。
何よりこうなった時の、
「…」
主の返しがどうくるのかが全員の恐怖するところであった。一歩間違えれば式はおじゃんである。
「………、」
全員が固唾を呑んで見守った。
「―――…」
そんな時、
「…分かっておるか?」
元就は口を開いて歩き出す。
(元就様、どうかどうか!!)
皆、心の中で願う。
「今日は我が毛利家にとって末代にまで伝わる厳粛な儀」
こくり、下を向いている由叉はただ頷く。そんな由叉の前まで来ると、元就は足を止めた。
「なれど斯様な事が起ころうなら、」
致し方あるまい、と言葉を切って。背を向ける元就。しかしその手は
スッ
―――後ろの由叉に差し出されてそのまま、ぎゅっとその手を引いた。由叉は驚いたように顔を上げ目をぱちぱちと瞬かせる。
しかし元就は振り返らずに小さく、
言った。
「―――握っておれ、」
もう斯様な事起こらぬ様
「我も握っておる、由叉」
ギュッ…
少し強くなった手と同時に、由叉が目を丸くするまで時間はかからない。再びぎゅっと顔を顰めて、でも泣かないように口を引き結んで。鼻を啜る。
そして、
―――元就の手を小さい手が握り返した。
「うん…っ、」
また、涙を流しているんだろう
聞こえる鼻を啜る音も普段と寸分たがわない
―――このやわい手の温もりも、変わらない
そっとその手を引いて歩き出す元就の後を由叉も歩き出す。その光景を皆は目許を綻ばせ見守っていた。
次第に元就の隣に並んで、由叉はまだ残る泣き顔を小さな笑顔に変えて見上げる。そして安心したようにその腕に頭を寄せ、ふっと笑って閉じた目を
「…、」
一瞥して、二人互いの席へと向かった。
そなたを好きと認めた日
(好いておる)
(なれど)
(言葉にするよりこの祝言を)
(そなたへ)
(我が妻へ)
end.
約一年ぶりの番外です!これからが本当の幸せ、というイメージで本編完結後の安芸のお話でした。就由に幸せを。
20140902
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