「はっ…はっ…!」






嘘だ







―――ザザーっ!

走っていた足を止めて。
ギィ…、と開き戸を開ける。
真っ暗だった。
でも、次第に見えてきて。
奥を見ると、

―――弘元がいて。
観音像の前に立ち尽くしていて。






「ちち…う―――ギュッ、






ぴく、と揺れた背中は一瞬で。
言い切る前に、あった。
手の届く場所に。
抱き締められていて。





「松寿丸…っ、」





我はこの時、父の涙を










初めて見た






―――






六条が落ちた。

父上から奉ぜられた城で、城攻めに遭って―――。
噂はまたたく間に広がった。

理解出来なかった。
他国に『不屈の利刀』と名を轟かせたあの六条が落ちた事に。
…と、皆が口を揃えていた話もそうだが。





―――それ以上に、




認められなかったのは




受け入れられなかったのは






『うー、うー、あうー』







由叉を







失った事








―――もう、会えない事で








ゥ―――…








「…!」







目を丸くした







手のひらに落ちた雫







紛れもない、己の涙で







(何、ゆえ―――…)







最初は分からなかった

父上の傍に控える者が変わっても
以前と変わらず、毛利家の一日は問題なく過ぎていった。





だからかもしれない





一度違和感を感じたら





何かが抜け落ちた気がしたら






その穴は、埋まらなかった







「父上」

「…松寿丸か?」





それは、弘元にも見られた。
その日の執務を終わらせると、部屋に誰も近付けず
何をしているのかと不思議がった松寿丸が襖を開ければ、
そこには銚子と徳利、盃が散らかる畳と、酒を啜る父の姿があった。




「また、のんでるの」

「あぁ、今日も執務が多かったのでな」




そう言いまた啜る。
部屋には酒の臭いが充満していて、思わず眉を寄せた。





「のみすぎは、よくありませぬ」

「うん?さほど飲んではいないぞ」

「前より十分のんでおりまする」





ぴた、と止まる手。
盃を書机に置いて。





「飲まねば、」





やってられぬのだ

―――まるでどこか遠くを見ているようだった
ぽつり、吐かれた言葉は行先なく漂って。

斯様な日々が毎日続いた。
弘元の酒食ぶりを呆れる者もいれば、心配する者もいて。
千差万別の意見があったが、共通して弘元の変わり様を唱えていた。





「父上」





そんな弘元を夜な夜な訪ねては、かける言葉が見つからず無為にそこにいる己。






「松寿丸」






ふと呼ばれ目を大きくする。
書院の棚板に腰掛けた弘元が、書院窓から見える空を見つめ言う。





「皆、私を堕落したと言っておるそうだな」

「…」

「…無理もない。
酒に明け暮れ、人も遠ざけている国主等」





ズキン、と胸が傷んだ。





「お前も呆れているだろうな」





また、酒を飲む弘元。
その顔は空を見つめたままこちらを見向きもせず。
まるで見えない空の上に、思い焦がれるようで。
またズキン、胸が痛んで。








ュッ…

―――弘元が目を大きくした。
顔を向けると、そこには
袖を掴む息子の姿があったからで。






「どうした?松寿丸」

「…いかないで」

「…!」

「父上は、」






どこにもいかないで
―――強く掴み、弘元を見つめていた。
表情は変わってなかったが、声は震えていて。
隠すように袖に顔を埋められる。
それを見つめて弘元が、目を細めて






―――ギュッ





「馬鹿な事を言うな」





持っていた盃を手放し、抱き締めていた。
松寿丸の体がぴくり、動いて。





「私は何処にも行かぬよ、松寿丸」





「まこと、に?」





「あぁ、」





誠だ―――。

その後幾日が経って、弘元は死んだ。
原因は酒毒だった。
松寿丸と約束を交わした後、酒を止めたが
時既に遅かったのだ。




涙は、出なかった。



―――


家は一度騒ぎになったが、元々上がっていた兄が継いだ。

そして松寿丸は忙しい兄のかわりに弘元の自室を整理していた。






「…」





普段開けてはならぬと、きつく言われていた引き出しに差し掛かる。
手を伸ばして、引いた。





「…!」






すると引き出しから封をした紙が出てきて。
真ん中に、松寿丸と書かれていた。





「われ…?」





その紙を開けて
目で追うと、松寿丸の顔が強ばっていく。
が、やがてゆっくりと力が抜けて。
平生のような無表情に戻った。
そして懐に仕舞い、歩き出す。






『松寿丸』






頭の中で繰り返される






言葉






『これをお主が読む時
私はもう亡き者であろうな』







すまぬ






『どうしてもそなたに言っておかねばならぬのだ』







六条の事だ







『あ奴らは、易易と落とされたのではない』







自ら







『死を選んだのだ』







あ奴らは







『巨大な力と引き換えに寿命を削る』






古く昔に四季を司るという天命を授かり
今ではその力だけが伝えられていた






『だが希少な力故、命を狙われた』






気付けば己らの身を守る為
力を使い
寿命を減らす事となっていた






『縁に頼り、様々な大名の下についた』







なれど真に忠を尽くせる者はいなかった








『そして、我ら毛利の下にもついた』







あ奴らは本に心から喜んでくれた
尽くしてくれた





私は何もやれていないというのに






『そして心の内を明かしてくれた』






一族がずっと望んでいた穏やかな日々は
毛利に来てやっと掴めたものなのだと

私の下で働く事が出来、光栄だったと
出会えて、幸せだったと







だが、






『常軌を逸したこの力は、必ず災いをもたらすと』





栄える毛利家を
何れ巻き込んでいくだろうと




それだけは耐えられないと






『故に、』








全てを棒げ
毛利に仇なす者を一掃する

暁に自害を許して欲しいと






『私は勿論反対した
なれど、あ奴らの意志は誠固かったのだ』







これこそ望んでいた、大義の為戦場に果てる事だと







『私は、泣く泣くその申し出を受けた』






笑っていた
感謝された



盛久、神流、六条の者達に






『なれど、』






失ってから
後悔ばかりだった








『誠にこれがあ奴らの為になったのかと』







主として正しい選択だったのかと







『あとは、そなたの知る通りだ』








私は毎日その事ばかり考え
酒にくれる男となった








『そなたにはすまない事をした』






あの赤ん坊






『由叉を好いていたのだろう』








ゥ…





『そなたに言われて気付いた』






私までいなくなる訳にはゆかぬ






母を亡くし、由叉を亡くした上に私まで、と







ポタ、ポタ…






あの時そなたは十分泣いたのだからな







『だのに、そなたを残してすまない』







泣くな






『そなたは強い子だ』






私は、勝手だな





斯様な私が






『そなたに、国を託そうと』






思っておるのだから






『私が憎いなら憎め』







だが私は





そなたを






『愛しておるよ、松寿丸』









―――雨の中がむしゃらに走って走って、気付けば誰の目にも届かない砂浜まで来ていて。
抱え込んだ両膝の中に顔を埋めて。
声が枯れるまで泣いた。

end.

涙が枯れ果てるまで

20130113

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