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あたしの名は薊。金瘡医(きんそうい)だ。伊達政宗様の下に身を寄せている。伊達お墨付きの医者さ。
金瘡医というのは戦で負った刀や槍、弓、鉄砲の傷を治す医者で、特性上、血を見ない時はほぼない。布や薬の扱いには自信があるんだが、刀とか武具の扱いは全くだ。せいぜい針縫いくらいが限界でねえ。
だからいつも待ちぼうけだ。自分の傷も顧みずに戦うあの背中が負ってくる傷を、帰ってきてから見つけて溜め息が出る。
政宗様に仕える、名誉ある参謀…だから無茶をするのは
(分かってるんだけどねえ)
たまにはこちらの気持ちにもなってほしい。
「…―――政宗様の御帰りだー!!」
思うや否や、だ。性急な足音が報せを運んでくる。突如耳に入り、時が止まった―――ように感じた。はっとして小袖を翻し、あたしはその場へと急いだ。
―――
「―――今戻った」
そう言い縁側にどかっと腰かけるのは城主の政宗様だ。気が抜けたんだろう、この屋敷の門を潜り近付いてきて直ぐだった。薬道具を持って、たすき掛けやらして屋敷の入り口まできたあたしは、政宗様に続いてぞろぞろとやってきた忠臣の中に小十郎を見つける。
「…」
それで満足だった。薊の目はすっと下に落ち、即座に縁側を降りると政宗の前に畏まった。
「政宗様、お怪我はありいせんでしたかい?」
「オレは大丈夫だ。他の奴等を見てやってくれ」
小さく頷いて、地に着いていた片方の膝を離すと立ち上がり政宗に背を向ける。屋敷を出て向かわなければ。
急ぐ足が側近達とすれ違うがてら「あんたらは?」と数人に振った。「大丈夫だ」と返ってきたから「あいよ」と戻し、本気で走ろうと足に力を入れて一歩踏み締めた。その時だ、
刹那的に小十郎と、
すれ違った。
「…!―――」
はっとして二歩目を駆ける前に首を横に捻った。離れていく小十郎の背中、見えづらいが腕の内側に隠れて、胸の脇辺りに刀傷が見えたのだ。
だんっと二歩目で、足を止め体の勢いも抑止する。何だ、という風にすれ違った政宗の部下達が足を止め、振り返る顔はきょとんとしていて。気付いた政宗も顔を上げた。
「あんた…」
目が合って互いに直視していた。小十郎は振り向きかけの体と目線であたしを見るだけだ。だから。
「―――…、」
動き始めようとした口で先を言おうとしたが
「行け」
と、先に目を逸らしたのは小十郎で。あたしに背を向ける。
「あいつ等の中に深手した者もいる」
再び歩き始め、「俺は大丈夫だ」と言い終えた。
「…」
眉は自然と寄り、思う事が心渦巻いていた僅かな沈黙。しかし
「…そうかい」
あたしもそれしか言えずに。背を向けながら目を閉じて、その場から走り去った。
―――
時は既に夕刻に近付いていた。軍が帰還したのが已の刻だったが、私を含め他の医者見習い数人で事に取り掛かり、落ち着いたのがやっと今だ。
額を腕で拭いながら、屋敷に戻ってきた。行きは肩に担いでいた止血用の布や、手提げしていた薬草類の箱も殆ど使い切ってしまい、現在は薬箱が軽い。
屋敷に戻ってくると、視界の隅でこちらも手当の済んだ兵が並んで座って談笑していて。その中で気付いた男が「薊様!」と明るい顔で手を振ってきた。ふっと笑ってあたしも手を軽く一振りする。一先ず安心か―――と、目を離し縁側へ上がり、奥へと進んだ。
「ご苦労だったな薊」
予想通り、人気が途絶えた奥部屋の一室に政宗様はいた。着流しに着替えていて、大分休息は取られたようだ。
薊は「お安い御用さ」と返す傍ら、政宗の横に期待を裏切らず控えていた小十郎を見た。政宗よりさらに高い身丈の小十郎を仰ぎながら、薊の目はぎょっと開く。
「あんた…まだ着替えてなかったのかい!?」
“何故”という言葉が出てきそうな押しの強さで薊が食ってかかった。理由は小十郎の服装が戦から帰ってきた時と全くもって同じだからである。治療がない者はともかく、怪我人は必ず新しい衣に着替えて、清潔に保つべきだと決めたのに。
しかし小十郎は逆に叱咤の目を向けてきた。
「お前、政宗様の前でその言葉遣いは止めろとあれほど」
「OKOK、オレは許してんだ小十郎」
硬い小十郎を窘める政宗は慣れた様子で、小さな苦笑を浮かべている。
その助け船に乗っかって、薊は語気を強めた。
そんな場合ではない。
「そうさ!政宗様はいいって言ってくれてんだ。それよりあんた少しでも傷の手当てとかしたのかい!?」
「―――っ!!」
小十郎の顔が険しさを増す。と言っても、窘められて煩わしいと言いたげな表情だ。ずいずいと身を乗り出して強い目を送ってくる薊に困惑していると言っていい。
その間にも薊の態度はあからさまになり、明らかに不機嫌に腕を組むと顔を斜め下に傾けた。
「どうっせ何もしてりゃいないんだろ?
―――はー!ホントに何回言わせりゃ気が済むんだい」
「…行けよ小十郎。このままじゃコイツの気は済まねえだろう?」
ふて腐れるように動きを止めた薊を見て、政宗はすぐ斜め後ろに振り仰いで小十郎を見ながらそう言った。政宗の言葉を発端に薊の目はちらっと動く。機嫌の悪さは包まれずに小十郎に向いていて。
斜め下の政宗を険しい顔で黙視していた小十郎だったが、次の瞬間には諦めたのか、腑に落ちない返事と顔色で正面の薊に向き直った。
「はあ…」
薊は不満げな上目とともに、口を曲げている。
「じゃコイツは頼むぜ」
どことなくにやにやと楽しんでいる顔を小十郎に向けて直ぐ。その横を通り過ぎて掌をびっと上に立てながら、さりげなく政宗がその場を抜けて。あっさりと縁側の奥へいなくなった。
そうして残った二人の間には、のっ退きならない静けさが横たわった。
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