幸せだった過去

あの時、私はまだ幼子だった…――





『――…今年も育たねえな』



此処は四国の一部、淡路。
日照りが何日も続いていた。
今日もこの村に作物はおろか水もない。
ここを出て余所で暮らす村人も大分増えた。

立ち上がったこの男――宗定には子供がいなかった。
この村に住み何年か経つが、こんな事初めてだ。
これでは



(俺もいつか
…此処を出なければいけなくなる―――)



自分の育ったこの村。
生きる為に捨てなければならないかもしれないと思うと胸が苦しくなった。



『帰る、か…――』



ふう、と小さく溜息を吐いて。
今こうして考えても埒があかない。
宗定は引き返した。

―――そして少し経つ。
歩いていたら何か、人影らしきものが見えて。



「…?」




だが、それは地面に横たわっているように見えた。
不審に思い、早足になる。
倒れていたのは、老人。
だが普通じゃなかった。
身ぐるみは血に染まり、辿ってきた道を残すように血痕があった。



『どうしたんだあんた!?』



どうやら何処か由緒ある家柄の人らしい。
着ているものは農民には程遠い、厚手の上質な羽織だった。
それも赤く染まり、老人の命は消えかけていたのが分かった。



(何があった…)



眉を寄せる。
その時、老人がうっすらと目を開けて。



『どうかこの子達を…』



みれば両腕に抱えられていたのは小さな布。
それを被ったのはまた小さな命。
片方は泣きそうにしている赤子、片方は眠っている幼子。
どちらもすす塗れで何か、火に巻き込まれたのだと分かった。



『沙羅と、由叉(ゆうさ)を―――…』



そして目を閉じて。
老人の力が抜けた。



『――…おぃあんたっ!
待ってくれ!
起きてくれ!!』







それからまた月日は流れて―――………






『…―――宗爺!!』

『どうした沙羅』



赤混じりの焦げ茶。
だが艶やかな長い髪を靡かせて
沙羅は宗定に駆け寄る。



『由叉がまた消えたのよ』

『あいつはふらっと居なくなるからな。どうせまた海岸にいるんだろう?』



―――



―――ザァ…



『―――……』



波が引いては迫ってくる。
肩までしかない茶混じりの髪は軽く外跳ねして、風に揺れた。
右に流れる前髪。
切れ長の目は少し姉より大きく。



『由叉!』



振り向くと走ってくる沙羅。



『姉さん』

『勝手に一人で村から出ちゃダメよ
危ないでしょう』

『いいじゃん
俺はちょっとやそっとじゃやられない』



由叉は茶色掛かった自分の髪を靡かせ沙羅を振り返る。



『それに俺はもう子供じゃない。
姉さんも宗爺も心配し過ぎだよ』

『確かに私達は小さい頃から宗爺にたたき込まれてきたから、自分の身はある程度守れるけど…』



苦笑して



『宗爺が怒ると手が付けられないの、分かるでしょ…?』

『それは………』



同じく苦笑する。
怒ると恐いどころじゃない。

自分達の師であり物心付いた時には傍で面倒を見てきてくれた宗定。
父と呼ばれるのが気恥ずかしいらしく、爺と呼び始めてもう十数年が経つ。
血は繋がっていない、そして本当の父母なんて知らなかったが大切な育て親がいる。
何の不満もなかった。

自分達が生きてこれたのはこの人のお蔭なのだ。



『宗爺怒ってた?』

『今ならまだ間に合うわ』

『……』

『……』

『仕方ないな…』



目線を逸らしつつ苦笑を浮かべる。



『さぁ、戻りましょう!
本当にもう戻った方がいいから…』



由叉の手を掴み、村に戻っていった。


[ 20/214 ]

[*prev] [next#]

[戻]




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -