「桂のコレ、まだありますよ」
「‥‥‥」
卒業式を終えて、友人たちが泣いているのを横で見ながら一人素面で教室へ戻ると小太郎が学ランの第二ボタンを指差しながらやって来た。なかなかのどや顔と台詞から、どこぞのピンクブレザーを着ている鬼瓦芸人を連想したけど正解だったらしい。たいして分厚くもない胸板をぐっと出して例の芸人のネタであろう両手を左右に動かし始めた。
「カツ、カツッカツッカツ、かつら!カツ、カツッカツッカツ、かつら!」
「‥お願いだから死んでくれない」
こいつは何がしたいんだ、卒業式のテンションじゃねぇだろ。しかもマネするネタ古いし。
「かつらのコレ、まだありますよ」
「‥他を当たれ」
しつこく第二ボタンをプッシュしてくるので、アホらしくなってさっさと席につく。あぁ、この席に座るのももうないんだとか、制服を来て登校することもないのかとか、今までの環境と別れる寂しさはなかった。
「卒業パーティーのことなんだが、各500円以内でお菓子を持参だと言っただろう?ジュースも追加にしてよいか」
「‥どうせ私と小太郎だけのパーティーなんだし、小太郎が用意してよ」
当たり前に私の席へやって来た小太郎。私を見下ろすように立つ彼の髪は今日もきれいだ、さすが三年間教師の注意を聞かずに貫いた髪型である。
「ねぇ、小太郎」
小太郎と会話を交わし、同じ学校へ通い、同じ電車で同じ町へ帰る。もう生活の一部となった小太郎の存在、今さら彼がいない日常は考えられない。でもそれはきっと恋愛感情で言っているんじゃない、ひとりの人間として、ともに生きてきた友人として。小太郎がいない私は、どんな人間なんだろうと、まるで他人事のように思う。
「何だ、ジュースの種類なら何でも良いぞ」
日に日に頭のネジを落っことしてるようなやつが、私にとってはかけがえのない存在だなんてさ。
伝えたいことは、わからなかった。卒業だからといって小太郎と離れるわけではないし、きっと明日も来月もずっと私たちは一緒にいるだろう。
お互いがお互いを必要としなくなるまで。これから出会う人やとりまく環境に、お互いがいなくても生きていけると解るときまで、私たちは一緒に生きる。
「ねぇ、小太郎」
だけど私はそれがとてつもなく、怖い。
「何だ、卒業だからといって酒はまだ早いぞ」
小太郎をアホだの長髪だの言っていたって、こうしてずっといるのは彼が好きで心地が良いからで。そんな小太郎がもしいなくなってしまったら?私のなかで小太郎を越えるものが出てきてしまったら?
そうして小太郎を縛り付けてしまいそうで、怖い。これが恋愛感情であるのなら簡単なことなのに。その第二ボタンだって嬉しいのに。
"友達"をいつまでも続けるのはこんなにも難しいことなのか。
「ねぇ、小太郎」
だから私はいつも名前を呼んで、こっちを見てくれる彼に安心するしかないんだ。誰よりも小太郎が大切なんだよと思いながら、言動には出せないまま。
「名前が素直じゃないことは知っている。安心しろ、これはもう予約済みだ、好きなときに取りにこればいい」
小太郎が得意気に笑いながら第二ボタンを軽くつまむ。何そのシステム、相変わらずバカだな、と思いながらもその金色のボタンに安心している自分がいる。本当のバカはきっとわたし。
好きなときに貰えるなら、私がそのボタンを手にするときは、きっと小太郎と別れるときだろう。
そのとき私はうまく笑えるだろうか、ありがとうの一言でも言えるんだろうか。もしかしたら第二ボタンの存在すら忘れているかもしれない、
それでも小太郎がいなくなるまで、私がいなくなるまでその制服は、ボタンは外れないままだ。
とんだ束縛だと思う、こんなこと小太郎本人に言っても馬鹿だから分からないと思うけど私にとってはとてつもない葛藤である。
それでも私は小太郎の隣にいる。お互い、小さなこの世界ではかけがえのない存在だから。
こんな小さな世界を懐かしく思うとき、小太郎はきっと私の隣にはいないんだろう。せめてその長髪はいつまでもキープしてほしい。
その"とき"がくるまでは買ったときと何も変わらぬ状態でタンスの奥にしまわれているであろう学ランを想像したら、少しだけ気持ちが軽くなったので小太郎に笑ってみせた。
「卒業、おめでとう小太郎」
「あぁ、おめでとう。言い忘れたがジュースは1リットルサイズのを買うんだぞ」
「(…まだ言っとるんかい)」
崩壊のときも、どうか (どうか、笑っていて)
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