豚の心、餓鬼知らず
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「たのもー」


江戸へ帰ってきて一週間、江戸での生活リズムを取り戻せてきた今日この頃。私は久しぶりに弁当屋として真選組屯所にやって来た。あの日、私を気遣って会ってくれた土方さんのおかげで少し気持ちが軽くはなったもののここへ来るのは緊張する。相変わらず沖田が元に戻る目処はついていないみたいだし。


「いやぁ!本当はマナちゃん家のお弁当食べたかったんだけど、総悟の件でなるべく関係者以外は屯所に出入り禁止だったし、総悟から目離せないから買いにも行けなかったんだよ」


のり子さんが真選組から宅配の注文をしばらく受けていないと言っていたのはこのことだろうと思いながら、近藤さんに弁当を半分持ってもらって屯所に上がる。あれから屯所には来ていないので、沖田がいるかドキドキしながら近藤さんの後ろに続く。会いたいけど会いたくない、そんな矛盾した気持ちが心臓の鼓動を早くさせる。


「今日は良い天気だし、庭で食べるのもいいなぁ。マナちゃんもどう?」


「は、はぁ‥」


お日様が屯所の庭に光を降り注いでいるのを見ながら近藤さんは上機嫌。いや状況考えろよゴリラ!沖田のことがあるってのに呑気に食えるかってんだ!こちとら食欲もあんまりないんだからな!


「あ、近藤さん‥マナさんも!」


しばらく廊下を進んでいると先の部屋から出てきたのはミツさん。私と近藤さんに気づいてニコッと微笑みながら会釈をしてくれた。


「ミツちゃん、総悟は?」


「あ、今ちょうど寝たところで‥すみませんマナさんが来ること知らなくて」


どうやらミツさんは沖田を寝かしつけていたらしい。今出てきた部屋の方をチラリと見ながら小声でそう言った。よく見ればミツさんは手に絵本を持っていて。


「あ、そうかそうか。いやーマナちゃんすまんね」


「いや、大丈夫です」


近藤さんが苦笑いしながらこちらを見た。私はそのまま首を振った。そんなことよりも私の心のなかには黒い渦が立ち込めていた。


「マナさん、お弁当屋さんなんですよね?それもしかしてお弁当ですか?」


鈴のような心地よい声で近づいてくるミツさんに私はうまく笑えずにただ小さく頷いた。彼女は今まで沖田と一緒にいて、絵本を読んであげて、沖田が眠るまで傍にいた。


その事実がどうしても受け入れられない自分が情けないと思った。どうしてこんなに心が狭い考え方しか出来なくなってしまったんだろう、沖田のことになると余裕がなくなっている自分がいる。


「私、お弁当運ぶのでもしよかったら総悟くんに会ってあげてください。寝てるけど‥見ていくだけでも」


ミツさんは"ね?"と首をかしげて自分が今出てきた部屋を指差した。沖田に会いたい、その気持ちに勝つものは今の私にはなくて。それが例えミツさんの提案でも。


‥‥‥


‥‥





襖を静かに開けると部屋の真ん中に小さな布団が敷かれていて、沖田が仰向けで寝ていた。寝息は聞こえないけどかけられた布団が動いているのが見える。胸がドキドキをするのを抑えながらそーっと部屋に入る。やたらと静かな空間に畳にこすれる自分の足音が目立つ。


「‥‥‥」


沖田を起こさないように枕元までやって来た私はそのまま腰を下ろした。沖田はおとなしく眠っている。閉じられたまぶたと少しだけ開いた小さな口はとても可愛らしくて、そういえば沖田の寝顔を見るのは初めてだなと思いながらしばらくその寝顔を見つめた。


沖田であって、沖田じゃない。それでもこんなに愛しい。変わらない気持ちだけがふわふわと浮いている。ねぇ、沖田…私どうすればいい?


沖田のことでこんなに悩むなんて、好きだと確信したとき以来だ。もうあんな思いしたくなかったのに。私は何も特別なことを願っちゃいないのに。


「‥おきた、」


布団から出ていた白くて柔らかい小さな手、私はそっと自分の手を重ねた。私より温もりのあるその手は私の知っている沖田の手と同じに感じた。温泉で私の肩をつかんだ手、病院で私を抱き締めてくれた手、最後に会ったとき繋いでくれた手。


あのときよりずっと頼りない小さい手に震えてしまう。沖田の温もりに寂しい気持ちが溶かされる。


「‥ん、」


そのとき、沖田がもぞもぞ動いた。突然のことにハッとした私は手を放そうとしたけど、沖田の小さな手がそれを阻止した。


「‥っえ、」


おきたが私の指を二本ぎゅっとつかんだのだ。小さな手が私の指を包んでいる、赤子が母親の温もりを探すように。


予想外な展開に頭が追い付かないけど、じんわり伝わる熱に目頭が熱くなる。


「‥っ、く」


スヤスヤと眠る沖田の寝顔がぼやける。何で、何で、


「なんで、こんなときに‥手なんかにぎるの、」


私のこと知らないんじゃないのか。いじわるで嫌いなんじゃないのか。めすぶたなんじゃないのか。


何で、あんたはいつも私を苦しめるの。


言葉にならない気持ちが涙になって溢れる。ポタポタと畳にできていく染みが止まらない。それでも沖田の小さな手は私の指を握っていて。


「‥ないてる」


柔らかな声がしたとき、ハッとした。


「‥お、おきた?」


今の今まで寝ていたはずの沖田が目を覚ましてこちらを見ていたのだ。寝起きとは思えぬほど意識がハッキリしていてこちらを見て大きな目をパチクリしている。


「(ギャアァァア!何で起きてんだアァァア!)」


私はというと心臓が爆発してしまいそうなほどパニック状態のまま沖田と見つめ合っていて。溢れていた涙は止まり、かわりに耳が熱くなった。恥ずかしい、何これ、帰りたいィィィイイ!


「おまえ、このまえのめすぶた‥?」


体を起こしながら沖田は私に気づいたらしい。本当ムカつく、寝起きでもメス豚発言するこの男マジムカつく。


「めすぶた言うな!バカ餓鬼!」


「なんでこんなところにいる、ふほうしんにゅうだ!」


「(‥っぐ!いっちょまえに難しい言葉使いやがって!お前こそ家に不法侵入しまくってただろうがアァァア!)」


明らかに不審者を見つめるような視線を送る沖田。やばい‥これ以上マイナスポイントを稼ぐわけにはいかない。


「かえれ!」


「‥な!」


沖田は私をあからさまに毛嫌いしている、小さな体でも威圧感は半端ない。帰れって、そんなキツい言い方しなくてもいいんじゃないの!?そんな沖田に私の心は悲しさと怒りが同じくらい込み上げて。


「かえれ!」


「っ、帰るわバカ!一人で寝てろ!怖い夢見て厠行けなくなっても知らねぇからな!」


頬に残る涙を乱暴に拭って立ち上がる。部屋を出る直前、沖田の方へ振り向いてもう一度「クソガキ!」と中指を突き出してやった。


私はお弁当の代金を近藤さんに貰うのも忘れて屯所を飛び出した。


「‥っ、」


悲しくてムカついて、沖田の表情と帰れと言った言葉がいつまでも消えなかった。


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