「げ」
私の昼休みは蛙のような声で幕を開けた。退がゆかりおにぎりを食べながらこちらを覗いてきた。ちなみに退もマイ弁当派である。
「どうした、弁当の汁こぼれてた?」
「‥こぼれる以前に弁当忘れた」
作ったまま家の机の上に今も放置してあるだろうお弁当を思い浮かべたらため息が出た。だし巻き卵うまく出来たのになぁ。
仕方ないから1階にあるコンビにで済まそうと鞄から財布と携帯と社員証を出した。
「あれ、サチコちゃん」
「げ、坂田さん」
本日二度目の蛙の声はコンビニのおにぎりコーナーで出た。坂田さんと出くわしたのだ。彼と交わした朝の会話を思い出してお弁当を忘れたことを激しく後悔した。ていうか坂田さんランチ行ったんじゃないの?
「お弁当忘れちゃってーははは」
私の手に握られた野菜ジュースとおにぎりを見た坂田さんが何か言い出す前に自白。でも嘘はついていない、本当に忘れたんだから。
「俺も仕事片付かなくてさァ、外出てる暇ねぇんだわ」
坂田さん、"俺も"とか言ったわりに私とどこも同じ理由じゃないです。まぁ変な空気になってないからいいや。
「220円になります」
そのまま坂田さんとレジに並んだ。朝とは違ってセクシャルハラスメント的な言動はなくて、それだけで彼の隣は清々しかった。
眼鏡をかけた至って普通の店員さんからお釣りと買ったものを受け取った。コンビニを出たところで一応、坂田さんを待った、どうせ帰る場所は同じなわけだし。
「お待たせー」
少しして待っていたことに驚きもせず呑気にヘラヘラ歩いてきた坂田さん。あぁ、そうだ彼は本来こういう人だったとさっきまでの爽やかさは一瞬で現実へ覚めた。
「サチコちゃん、昼飯少なくね?」
エレベーターを待ちながら坂田さんは私のコンビニ袋を見た。いやあんたが多すぎなんだよと膨れ上がった坂田さんのレジ袋を見ながら思った。
別にダイエットをしているわけじゃない、朝をしっかり食べてくるからお昼はそこまで空腹になっていないだけ。でもわざわざそれを坂田さんに説明するのは止めた、面倒くさい。
「(‥私ってこんな面倒くさがりだったっけ)」
それを考えることすら面倒だと気づいたのとエレベーターが来たのはほぼ同時だった。
「げ、」
そしてここで本日三度目の蛙の声が出た。何で今日はこうもげーげー言わなくちゃいけないんだろう。
「出たなァ、土方くん」
坂田さんが嫌そうな表情で見つめる先。そう出たのだ、土方先輩が。私たちが乗るエレベーターに。舌打ちする土方先輩。うわーいやだァア!この二人とエレベーターとかマジ勘弁。今朝みたいになったら堪ったもんじゃない。
「‥私買い忘れオモイダシマシタ」
「「行かせねぇよ」」
「(‥ヒィイイイ!)」
犬猿の仲のくせしてなぜハモる!怖い、怖いから睨まないでください心臓にくるんで。
「はーい、ニコチン上司は放っておいて俺と次のエレベーターにしようね」
「おまえ気安く肩に手ぇ回してんだ、つーか何で一緒にいる」
エレベーター前で揉める二人。あーもう面倒くさいことが始まったよ、一日二回もいらないから。しかも今お昼だよ、勘弁して。お昼くらい自由にさせてくれ。
「だいたいてめぇは会社の女に手ぇ出しすぎなんだよ、チャラつきやがって」
「は?堅物キャラのひがみですか?女口説いたこともねぇくせに」
きっとこの二人、しばらくはこのままだろう。悪いけど私はお先に失礼させてもらおう。いや別に悪くないか。
途中からもはや私関係なしの言い合いを利用して、エレベーターに乗り込んだ(土方先輩はキレてとっくにエレベーターをおりていた)。
‥とりあえず閉ボタン連打。