ガシャン、
携帯をいじりながらヤカンをコンロにかけたので距離感が掴めずそれはやたら大きい音を立てた。
電話が鳴ったりコピー機が動いたり土方先輩の罵声が聞こえるオフィスとは違って、給湯室は常に静かだ。今みたいに来客用のお茶を作るときだったり午後、コーヒーが飲みたくなったときだったり、私は給湯室を使うことが多い。給湯室って何かこう‥仕事から一時的に解放できる気がする。
「ふーぅ」
今日は朝から疲れた。土方先輩と坂田さんのサンドイッチがだいぶキテるようだ、あのコンビは嫌だわ本当。来週予定している友人との飲み会メールに返信しながら首を回す。退に湿布もう一枚もらって肩に貼ろっかな。
ガチャ、
ヤカンのお湯が沸騰するのをストレッチしながら待っていると急にドアが開く音がした。普段、給湯室は人の出入りがあまりないので(私は別)油断していた、しかも私ストレッチって!土方先輩だったら殺されるゥウ!嫌な汗が背中を伝っていくのを感じながらそーっとドアの方を見る。
「‥‥何してんですかィ」
沖田くんが空のペットボトル片手に立っていた。明らかに軽蔑したその言葉がそのまま表情に出ていた。恥ずかしい、恥ずかしいけどまだ沖田くんで良かった。
「‥ストレス社会で三年も戦うとこうなるの」
体勢を整えながら超無意味な言い訳をした。沖田くんは興味なさそうにヘェーと相づちしながら持っていたペットボトルをゴミ箱へ投げた。
「係長の机に置いておいたら1時間説教でさぁ。ペットボトルごときに1時間ですぜ、冗談通じねぇ男だ」
「何を?まさかペットボトル置いておいたの?」
「書類飛んで行きそうだったんでィ、親切でさぁ」
沖田くんは土方先輩を怖がらない、私より後輩なのに。2ヶ月前に本社勤務になったばかりなのに。彼は高校を卒業してアルバイトから契約社員、二十歳で準社員になり、今年正社員になったというかなり努力型の人間であり、そして本社勤務ということはエリートコース確定。そんな沖田くんいわく、ここへ来るまでに土方先輩より嫌な上司にしごかれた経験があるのでアレは屁でもないらしい。なんとまぁ頼もしい新人だろう。ちなみに土方先輩のことアレとか言ったけど私は普通に怖いデス。
「係長はいじられんのに慣れてないから面白ェんでぃ」
「沖田くんだけだよ、そんなこと言えるの」
まぁ私としては二人のやり取りは面白いから結構好きなんだけど。どこぞのやたらと英語を使うエリートとのコンビより全然良い。
「それにああいうタイプって実は根が優しかったりすんでさぁ」
「あぁ、まぁそれは分かる気がするけど」
しかも分析力が半端ない。一応、彼の教育係である私だけど逆に沖田くんから学ぶことも多い。私の新人時代とは全然違う。
コポコポ‥
沸騰したお湯を茶葉が入った急須に入れる。沖田くんはなぜか帰らず、私の動作をじっと見ていた。
「鈴木先輩、係長のことどう思ってんですかィ」
「どうって‥ただの怖い上司」
「あれが怖いんですかィ、ゆとりだなぁ」
「ゆとりは沖田くん世代でしょうが」
湯飲みに薄緑色の液体が注がれていく。良い匂いだなぁ、
「鈴木先輩って荒波に揉まれたことねぇでしょう」
急に何を言うのかと注ぎきった急須を持ちながら沖田くんを見た。それも分析?
「荒波ってどこが?毎日土方先輩という海で溺れかけてるけど」
「そういうとこでさぁ」
妙にスッキリした笑顔を私に向けた沖田くんは給湯室を出ていった。いやどういうこと?私全然スッキリしてない。