「鈴木、」
「は、はい」
沈黙を破ったのは土方さんだった。急に呼ばれて慌てて返事をしてしまったせいで肩がビクッと揺れたのを土方さんに見られてしまった。そんな私を土方さんがジッと見つめる。切れ長の目で真っ直ぐ見られて、私はどうすればいいのか分からない。何で土方さんこっち見るんだ!私も私で何で名前呼ばれただけで、こんなにびくついて「…変わんねーな」
下を向いてオロオロしていると土方さんが呟くようにそう言った。ふと顔を上げて彼を見ると、土方さんは薄く微笑んでいて。
さっきオフィスで見たあの薄い笑顔と重なって、その横顔に見惚れた。ぼーっと見つめる私と、携帯灰皿に短くなったタバコをぐしゃりと潰す土方さんの間には夜風とタバコの匂い。
「さっきオフィスで言ったろ?お前、入社したときからずっと俺のこといつも怯えた目で見るのなって」
「…え、あ…はい」
急に何を話すんだろうと思った。少し懐かしむように遠くを見つめる土方さんにはそんなこと言えないけど。怯えられるってどうなの?私が言うのも何だけど。怖いと恐れられる土方さんだって人の子だ、怯えられることにいい気分はしないだろう。…私が言うのも何だけど!
「鈴木、」
「はっ、はい」
いつのまにか下を向いていた私を土方さんが呼ぶ。またさっきみたいに、咄嗟に顔をあげて返事をした。すると土方さんは、
「ほら、な」
そう言ってまた、薄く笑っていた。
「お前、いつも泣きそうなんだよ。俺が呼ぶと、そうだなァ…腹痛と失恋とペットの死が同時に来たみてェな顔する、入社したときから。山崎とか沖田と話してるときはそんな顔これっぽっちもしてねェくせに……あと坂田もか。まぁ、俺みたいに日中怒鳴り散らしてりゃ怖がられんのも無理ねぇけどよ」
「………」
そりゃあ貴方が怖いので多少表情も強張りますわ!も〜本当勘弁してぇや!…なんてお腹壊しても失恋してもペット死んでも、例え私が死んでも言えない。でも土方さんが言ったことを全面否定できるほど、間違ったことを土方さんは言っていない!むしろ紛れない100%の事実だ。それが正解です。ピンポーン、越後製菓。
「お前にはとくに厳しくしたからな、まぁでも鈴木に後輩だもんな。沖田、生意気だけど頼むぞ」
そう言って土方さんが悲しそうに笑った。瞬間心が凍りそうな衝撃が走った。悲しげな表情と”頼むぞ、”なんて前向きな台詞が合ってなくて、土方さんが今どんな気持ちでその言葉を言ってるのか私には分からなかった。
「…なーにまた泣きそうな面してんだ、先輩らしく堂々としろ」
土方さんこんなに優しくなっちゃって何かの前触れか?死亡フラグか?とざわざわと胸騒ぎがする中、土方さんが私の背中を軽く押すように叩いた。上半身が少しグラつくくらいの優しい衝撃。泣きそうにもなるよ、土方さんにそんな優しくされたら。
土方さんの怖さを知っているから、でもその怖さのもっともっと奥にはあったかい優しさがちゃんとあるってことも最近やっと気付けたから、
だからこそ今の土方さんは、私の胸を締め付ける。込み上げてくるものをおさえられなくなる。でも今なら、土方さんに言えると思った。今まで言いたくて、なかなか言えなかったこと。
「土方さん、私…は土方さんが怖いです。でもそれだけじゃない、土方さんが先輩で良かったって思えること…今ならいっぱいあります。新社会人から数年たって少し、本当に少しだけど心に余裕が出てきて土方さんの言葉や教育に、有り難みを感じます。私も後輩からそんな風に慕ってもらえるように、頑張るの…で、っ」
もう、堪えきれなかった。ダメだ、泣いてどうする。今なら…今なら今までの壁を乗り越えて土方さんに思っていることを伝えられるチャンスなのに。普段じゃ絶対に言えない。今日起きた出来事があったから、今ここに二人でいるから、何より土方さんがすごく優しい目をしているから…。
ずっと、ずっと欲しかった土方さんからの優しさは、自分が思っていたよりも残酷に私をボロボロと壊していく。
「鈴木から久々に呼ばれたな、土方さんって」
私が急に泣き出したから、驚いたように固まっていた土方さんは楽しげな表情で2本目のタバコに火を付けた。必死な私とは裏腹に何かの余韻に浸るように穏やかな表情の土方さんに私は何て言えば良いのか分からなくて。感情的になっていた頭からしゅーっと何かが消えていく。
「お前がよくやってるのを俺はちゃんと見てる、だからもう少し堂々としていい」
えっと、これはどういう状況だろうか?土方さんは今私を褒めた?ほめた?ホメタ?HOMETA?褒められなさすぎて”褒められる”というものがどういうものか分からなくなっていた。それはそれで悲しすぎるだろ私。えっ、でも待って、これが褒められるってこと?自分が褒められるような仕事ぶりを発揮している自信がこれっぽっちもないから信じきれないっていうのもあるし…って、だから悲しすぎるだろ私ィ!
「心配しなくても鈴木が考えている以上に、会社も俺も鈴木を必要としてる」
「……っ、う…」
今度は心が凍りそうなレベルの衝撃ではなかった。パリーンと硝子が割れたような、不意に頭を打ち抜かれたような、衝撃だと感じる余裕がないほどの。一時停止した心とは裏腹に、眼球の奥から一斉に溢れ出した涙が私の感情を表していて。ぼやけていく視界の真ん中で、驚いている土方さんが見えた。
「…っうぅ!っ、ひっく…っえ…っんっひっ…っく…!」
え、俺褒めたのに何でこんなに泣かれるんだ!?えっ、はァ!?とまさか自分の台詞が起爆剤になっていることに気付かずアタフタする土方さん。でも構わず私は泣き続けた。呼んでいたタクシーが来て土方さんが本気で焦って私を宥めるまでは。
だってずっと土方さんの背中に投げかけていた疑問や虚無感の答えが見つかった気がしたんだよ。こんなにも感情をむき出しにしたのはいつぶりだろうか、ここ数年で積み上げた硬いもので覆われていた心からボロボロと壊れた破片が落ちていく感覚。
でもそれはきっと、新しい私を見せてくれるだろう。もっと高く飛べるような羽を携えて、
見上げた夜空に残るタバコの匂いを空っぽになった体に吸い込みながらそう思った。
ーーー
ーー
ー
「とりあえずカルピスとたこわさ。グラスに氷はナシで。カサ増しNGな」
「沖田くん、お宅の上司たちまだ来てないのに注文?しかもカルピスたこわさ?ガキなのかジジイなのかどっちだよ。まず合うの?その食べ合わせ合うの?あ、オネーサン俺は生ひとつと枝豆」
「ちょっとそこのあなた、銀さんのオーダー受けたからって調子乗るんじゃないわよ!あ、あとすぐに酔えるお酒くださるかしら」
「(…土方さんとサチコ、早く来てくれ…!)」
fin.
→あとがき