定時である17:00を過ぎて数分、オフィスにいる数人が帰り支度をし始めた。残業があるのは繁忙期がほとんどで、普段は私のように上司からの仕事や自分の仕事を終えていない者だけが残業をしていく。まぁ土方さんは別だけど。今日一日ずっとパソコンから離れなかった猿飛先輩はそそくさとオフィスを出ていった。営業課との飲み会があるらしい、相変わらず気合い入ってるなぁ。


「‥‥‥」


少しだけ人が減ったオフィスにはパソコンを打つ音が響いていて、ときおり廊下から仕事を終えた他部署の人たちが通る足音が聞こえた。土方さんに頼まれていた書類はまだ終わっていない、定時まで期限を延ばしてくれたけど量が多いので定時提出は無理だった。でも運よく土方さんはいま席を外しているし、沖田くんと退も手伝ってくれてるので上手くいけばあと1時間くらいで帰れるだろう。壁にかかる時計の針がカチッと動く、あと少しだと自分に言い聞かせ、私は乾いた目をパシパシさせた。


それから20分ほど経った頃、私のデスクへ沖田くんがやって来た。よく見れば彼は自分のジャケットとバッグを持っている。もう帰るらしい、いつでも帰宅OKスタイルだ。


「この書類のデータ移行は終わりやした」


そう言って先ほど手伝ってくれた書類の束を私に差し出す。新人にしてはなかなかのスピードでやるじゃないか、と驚きながらも全く疲れも達成感もにじみ出ていない沖田くんの表情を見たらなぜかお疲れさま、の一言が出なかった。


「じゃあ俺、先上がりやす」


「あ、うん‥ご苦労様」


急いでいるようには見えなかったけど、帰りたいオーラは無表情の中にチラリと見えた。沖田くんが入社してから残業をしていったことはたぶん今回が始めてだ。そのことも含め、今日は沖田くんの色んな一面が見れた金曜日だったな。


「あの…ありがとうね、これ手伝ってくれて」


受け取った書類を控えめに顔の近くまで持ってきて、微笑んでみた。私なりの感謝の気持ちだったけれど、沖田くんにはあまり伝わらなかったのか少し眉間が狭くなっただけで返事はなかった。


きっと沖田くんは私からのお礼なんて欲しくないと思う、でもあなたが手伝ってくれたおかげで助かったよと言いたかった。


それはいつの日か、私が土方さんから掛けてもらいたかった言葉だからかもしれない。怒り製造マスィーン(第2号)が言えることじゃないけど、それでも上司から誉められたいという願望は心のどこかにずっとあった。その気持ちは今も叶わないまま時間という重さに沈んでしまっているけど。


沖田くんは私みたいに誉められたいなんて単純で幼稚な考えはしてないと思うし、私が誉めたって彼の嬉しさという感情には何も響かないかもしれない。まず彼が私を上司として認めているのかすら危ういし。


「どうしたんですかィ、お礼なんてらしくないでさァ」


「どういうこと!?」


沖田くんの乾いた声には少し笑みが含まれているように聞こえた。きっと私は沖田くんに、当時の自分を重ねて見ている。上司だろうが誰だろうが言うことは言って、だけど真面目に仕事をするわけじゃない。少なくとも私は沖田くんみたいな新人じゃなかった。それでも、私は思う。


誰かに認められること、存在を必要とされていることは仕事をするうえで大きな原動力になるって。そして土方さんからそういった分かりやすい感情表現を貰ったことがないからこそ、その大切さは分かっているつもりだ。


沖田くんに仕事をする原動力があるのかという問題は…置いておくとして、先輩という立ち位置に立っているなら私は自分が求めていた先輩になりたい。


そんな気持ちを沖田くんはあまり理解していないらしい、微笑む私を見て小さく首を傾げている。


こういうところはまだまだだな、なんて得意気になってしまう私も先輩としてはまだまだだろう。


「今日は合コン?デート?」


「まっすぐ家帰ってクレヨンしんちゃん1時間スペシャル見やす。野原一家が旅行に行く話と春日部ボーイズの仲間割れの話ですぜ」


「へぇ、スペシャルかぁ」


私も見たいぞ、と思いながら帰っていく沖田くんを見送った。一応、お先に失礼しやすと言ったけどあんなに気持ちのこもっていないお先に失礼しやすは聞いたことがない。


「なんかサチコ、先輩っぽい」


また人が減ったオフィス、ふと退の声がして視線を向けると退が片眉をくいっとあげて微笑んでいた。微笑ましいのか可笑しいのかよく分からないその表情だったけど、私の気持ちはお見通しなようで恥ずかしくなった。


「俺らのときと新人度が違うけど、でもやっぱり俺らからしたらまだまだ若いね沖田くん」


「退こそ先輩っぽいこと言ってんじゃないの、」


「はは、本当だ」


退が笑う、静かなオフィスがあたたかくなる。外はまだ明るい。

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