不器用な優しさが心地いい
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「あれはマナが一歳になる少し前のことだった、」


お父さんはすぐには話を続けなかった。パトカーから見える景色は茜空が広がっていて、お父さんの横顔が赤い、車内は静かだった。さっきまでリアクションが大きかった近藤さんも黙って運転しているし、沖田はアイマスクをしてじっとしていた。


「私の祖父、当時の京一弁当の料理長が急死して父は慌てて私を連れ戻そうと江戸にやって来た。跡継ぎは何がなんでも血族というしきたりがあったからね、私はそのしきたりを破るほど覚悟は固かったのに父は理解できなかったらしい。血族なら誰でもいいとような様子にも見えた。もう私が結婚してることも子供がいることも知っていた、だから父は‥そこに漬け込んできたんだ」


お父さんが拳をグッと強く握る。私はただ話を聞くしかできなかったけれど、その横顔でどれだけ辛かったか悲しかったかは痛いほど伝わってきた。


「父は乗り込んでくるなり妻と娘、そしてあいうえお弁当まで牛耳ると言い出した」


「えっ」


「それまで私が家を出たのはお母さんのせいだと思っていた父は許せなかったんだろうね、家出も結婚も全部私の意思だったことが。自分は京一弁当のことで必死なのに、私が幸せに生活をしていることが。それを目の当たりにしたことが」


お父さんは遠くを見つめながら薄く笑っていた。その微笑みは決して優しいものではなかった、冷たくて悲しい割れ物のような脆い微笑み。その日を思い出しているのかお父さんがゆっくり瞬きする度に胸がズキンと痛む。


「父は本気だった。跡継ぎのことに対しての焦り、私への怒り。もしかしたら一緒にここで心中してしまうんじゃないかって思うくらい父は興奮していた。たしかに私は親不孝者だ、でも解ってほしかった。でも私が説得しても頭を下げても父が許すことはなかった、きっと今も私を許しきれていないと思う」


「それで、京一弁当へ戻ったの?」


「あぁ。私がここに残ると言っても、もう前のような生活はできないと思ったからね。妻とマナ、お店におじさん。自分の意思を貫いたとして失うものが多すぎたんだ。父は言ったんだ、私が京一弁当を継ぐなら妻やお店には何もしないって」


だから京に戻ったんだよ、最後の一言を言うお父さんは微笑んでいたけれどそれが逆に辛くて。お父さんはどんな気持ちで私たちを置いて行っただろう、最後にお母さんとどんな言葉を交わしたんだろう。そう思ったら込み上げるものが一気に喉をかけ上がる、唇をぎゅっと噛んだときにはもう遅くて私の頬に涙が伝った。


「お店のおじさんはそれからすぐ亡くなってしまったらしい。俺は死に目はおろか葬儀やお墓参りにも行けなかった。妻やマナにも辛い思いをさせた…結局戻っても辛い気持ちはなくならなかったよ…マナ、ごめんな」


「うっ、ううん…違うの、そうっ、いう涙じゃ…ない、よ」


私の涙に気づいて申し訳なさそうにするお父さんに慌てて首を振る。これはお父さんの苦しさやお母さんの悲しさを考えた涙なんだよ、何も知らなかった私が自分のことで泣いてるんじゃないよ。


「京へ戻っても結婚はせずにただ働いた。父は何も言わず妻やマナにも危害を加えることもしなかった。それだけは父に感謝するよ、口だけでもしかしたら私が知らない間に何かするかもしれないって内心思ってたから。元気に暮らしていてほしいって思うしかできなかったけど‥それでもよかった、こうして娘にまた会えたからね」


「‥う、ん」


「それとマナが京へ連れてこられるきっかけは私のせいなんだ。一ヶ月前に轢かれそうになっている野良猫を助けたら腕を怪我して料理ができなくなってしまってね。その頃からだ、父がこそこそと外出したり調べものをするようになったのは。私を連れ戻して10年以上江戸の名前を出すことさえしなかった父が江戸へ出掛けたときはまさかと思ったけど、マナを誘拐するとは思いもしなかったよ‥」


「そうだったん「ううっ、ぐっ‥!」


いやだから何で近藤さんがいちいち泣くんだよ、嬉しいけどちょっと迷惑なんですけど。私の台詞に丸かぶりなんだけど。


「マナ、」


お父さんが私の頭をそっと撫でる。ずっしりと感じる重み。あぁ、優しい手だと思った。お母さんもこの手がきっと好きだったに違いない。私が想像していた父親よりもお父さんは父親らしい温もりを持っていて、私はとても嬉しかった。


「立派な、娘さんになった‥っな」


気づけばお父さんも泣いていた。震えるその声に顔を上げて頷く。そうだよ、お父さんが愛したあのお店でお母さんにたくさん愛情を受けて育ったんだよ。でも私にはお父さんの愛情も染み込んでる、私の知らない心の奥深くできっとずっとあったんだよ。


泣き声が響く車内、沖田がアイマスクを外してさりげなくラジオのボリュームを上げた。それはさっきのようにうるさいからと耳を塞ぐのとは違う、私たちが思いきり泣けるように。近藤さんの嗚咽寸前の泣き声を消すように。


「‥親子ってのは似るモンですねィ。泣き虫なところも、困ったやつ放っておけないところも」


バックミラーにチラリと映った沖田の目は心なしか潤んで見えた。独り言のように呟く沖田にお父さんがえ?と聞き返した。


「あんたの娘も、野良猫助けたことあるんでさァ」


「え、そうなんですか‥」


お父さんはビックリした表情で私を見た。そういえばそんなこと、あったな。まぁ野良猫じゃなかったけど。しかもかなりヤバめの飼い主だったけど。色んな意味で忘れたい過去を思い出しながらお父さんは料理ができなくなるとか考えなかったのかなと思った。手が使えないって相当な事故だったんじゃないのかな。いやこの人ならそんなこと考える暇もなく猫を助けに行っただろう。


「正直、料理ができなくなるって言われてホッとしたんだ。戻ってきてからはほとんど働きづめだったしあそこで料理をすることが楽しいと思えなかったからね。毎年お母さんとマナの誕生日に花を買って部屋に生けていたんだけど、いつかまた会いたいと思っていたから今なら行けるかもしれないって、逆に嬉しかったんだ」


恥ずかしそうに笑うお父さんに私も笑い返した。もう涙は止まっていた、笑わないといけないって思った。せっかくお父さんに会えたんだ、お母さんと三人で会えるんだ。泣いてたらもったいないよ、きっとお母さんにも怒られちゃうだろう。


「これからどうなるかは分からないけど、できるならお母さんとマナと暮らしたいなぁ」


「‥うん、お母さんもきっと喜ぶよ」


「ううっ、よかったなぁ!マナちゃん!」


「‥は、はい」


結局一番泣いていたのは近藤さん、ハンドルを握りしめながら構わず泣き続けていた。沖田はまたいつのまにかアイマスクをして何も話さなかった。


いろいろなことが一気に起こったけれど、お父さんに会えた、お母さんとの過去も聞けた。小さい頃、感じた孤立感や心に負った穴はいつのまにか埋まっていて。


私はお父さんの肩にもたれて目を閉じた。いろんなことが一気に起こっただけじゃなくてたくさん泣いて疲れた私はすぐに眠りの世界に落ちていった。


夢の世界へ入る寸前、お父さんの大きな肩を感じながらどこかそれが沖田に似ていると思った。病院で沖田がわざと私を自分の肩にもたれさせて眠っていたことを思い出す。それが何だか可笑しくてでもちょっと嬉しくて気づかないフリをしていたけど。沖田もお父さんと同じあったかい肩だった。


優しいお父さんと性格の悪い沖田が似ていると思うなんて自分でも変だと思ったけど、似ていたんだ。どこかって聞かれれば分からないくらいほんのりだけど。


‥‥‥


‥‥





次に目が覚めたとき、視界に映った窓からの景色は暗くて空は闇に包まれていた。ずいぶん眠ってしまったらしい、でもまだ江戸には着いていないみたいでパトカーは走り続けていた。助手席では沖田ではなく近藤さんが眠っている。交代したのか私の前の席である運転席で沖田が運転していた。隣にはお父さんが遠慮がちに私の肩に頭を乗せていて笑みがこぼれる。そして気づいた、自分の体に真選組のジャケットがかけられていることに。


「‥‥‥」


まさかと思い、そーっと運転席を横から覗くと沖田はベスト姿。ということはこのジャケットは沖田のもの。いつのまにかけてくれたんだろう、とジャケットを深めにかぶりながら思った。吸い込んだ空気は沖田の匂い。あぁ、慣れないと思っていた匂いを懐かしいと感じてしまう。沖田に抱き締められたときのドキドキが蘇る。


あぁ‥嬉しいくせに、素直に喜べない。


「沖田‥」


それは沖田だから。こんな優しいことするのが似合わない沖田だから。


彼の名前を呼ぶとビクッと沖田の肩が小さく揺れただけで返事は返ってこなかった。でもよかった、今の私は沖田とまともに会話なんてできないから。このジャケットに包まれているだけで心臓がうるさいから。


でも、今日は‥私も‥素直に、言おうと思う。


「‥沖田、ありがとう」


赤信号でパトカーが止まったとき、勇気を出してそう言った。抱き締めてくれてありがとうなんて言わないけど‥助けてくれて、支えてくれてありがとう。そんな感謝を込めた寝起きの掠れた声は聞こえただろうか、沖田の肩は動かなくて、返事もなくて。ったく‥私の感謝ありがたく受けとれよコノヤロー。


「‥‥寝言は寝て言え」


青信号、パトカーが動くと同時に聞こえた小さな声に思わずふふふと笑ってしまった。沖田が今どんな顔をしているか想像がつくのが可笑しい、静かな車内の空気がふわり軽くなる。


「(素直じゃないなぁ、私と同じくらい)」


口元までジャケットを持ってきながら夜空を見上げた、温泉で一緒に見たときほど星は散らばっていなかったけれど、あの日と同じくらい輝く夜空だった。


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