蛙の子は蛙
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「‥その女に触るんじゃねェ」


シンと静まり返った部屋で、存在感を放つ沖田の鋭い視線は私でさえも生唾をのむほどで、隣にいるおじいさんもたじろいでいた。


「沖田、っ‥」


怒りを感じるその声に、何だか胸が熱くなる。今まで感じたことがない気持ちに私はうまくついていけなくて。でも沖田の真剣な表情はこんなにも空気を変えて、その瞳は私を見ている。それに加えて体が痺れてしまうんじゃないかって思うくらいの漫画のヒーローみたいな台詞が沖田の口から出てく「おい、その女に触るんじゃねェつってんだろィ、異臭が移るぞ」


「「「「「‥‥‥‥」」」」」


沖田の一言に部屋の空気が途端に軽くなった。思わず部屋を囲むように立っている隊士たちの視線が沖田へと動く。私も思わず恐怖を忘れて沖田を見る。え、いま何て言った?と考える私をよそに沖田はゴーングマイウェイ。(訳:我が道を行くように続ける)


「おい聞いてんのかジーさん。その女傷つけてみろィ、売り物にならねーから買取りだぞ」


「「「「「‥‥‥‥」」」」」

真顔でそう言う沖田に、自分の顔がひきつるのを感じた。


「おじいさん、ちょっとその刀貸してくれませんか?あの、すぐ終わるんで」


思わず足元に当てられている刀に手を伸ばそうとしてしまった。沖田てんめっ、ここまで来てそういうことするのか!一応シリアスなシーンなんだけど、今!助けに来てくれたんじゃないの、口喧嘩ならあとで相手してやるから!何で今その台詞チョイスしたコルァアァア!


「勝手に人様の屋敷に上がり込んで‥江戸の警察がなぜこんなところまで来た!この娘は渡さんぞ!」


「わっ、」


急におじいさんが興奮して私の腕をつかんだかと思えば、足に当たっていた刀が首もとに移動した。途端に緊張感が走る、このジジイまじ元気なんですけど!腕の力半端ないんですけどォオ!


「‥った、い」


ギリギリと増す痛みと首もとに当たる刃の冷たさ。真選組が来てくれたのに、これじゃあ逃げられない。


おじいさんが興奮しているので真選組も下手に動けないのか、顔をしかめてこちらをじっと見ている。沖田も眉をひそめて私を見ていた。


そんなこれまでにない張り詰めた空気を破ったのは、


「父上!いい加減にしてください!」


私のお父さんだった。彼は大声でそう言ったあと意を決したように私とおじいさんの方を見た。


「父上、貴方がしていることは犯罪です。家の名誉やしきたりのために、この子をこんなところまで連れてきた。決して許されることではないです、そして私にもその罪を償う責任はある」


「五郎、お前は何も分かっておらん!この家が先祖代々守り受け継いできた京一弁当を、我々は何が何でも守らねばならんのじゃ!」


「でもそれは犯罪を犯していいことにはならない!そんなこと、誰だって分かるはずです」


二人の言い合い‥というかお父さんの説得により、おじいさんが私の腕をつかむ力が弱まっていって、


「父上、貴方の京一弁当を愛する心は私が一番知っています。ですが名誉やしきたりだけじゃ、大切なものは守れません」


「‥っく、」


カランと音がしてついに首もとの刀が床に落ちた。おじいさんがその場に座り込んだのを見計らって土方さんの「確保!」という声が部屋に響いて、あっという間に事態は急変、おじいさんは抵抗することもないまま真選組に確保された。


「大丈夫か?」


解放感にほっとしたのかゆっくり腰を下ろした私の肩を抱いたのは、聞き覚えのない声だった。


「‥っ」


顔をあげればお父さんが目の前にいて、泣きそうに潤んだ瞳には私が映っていた。私の肩をつかむその手は大きくてあったかくて、震えていた。


「マナ、会いたかっ‥た」


そして私はそのままお父さんに抱き寄せられ、きつく抱き締められた。父親に初めて会い、言葉を交わし、抱き締められ、正直私の感情は追い付いていなかった。幼い頃の自分からすればこの状況は憧れであり、成長した今もずっと心の奥深くで望んでいたことかもしれない。ただ、ちょうどいい感情がなくてこの愛情をどう受け止めればいいか分からなくて。


あったかい、と感じるのが精一杯だった。でもそれでじゅうぶんだった。


「マナ、目元がゆみにそっくりだ。とても綺麗な目をしているな」


私から離れたお父さんは泣いていた、頬を濡らしながら私の頬に手を当ててそっと優しく撫でた。その行為は私の心まで触れられているようで、一気に心が震える。綺麗だと言われたその瞳から涙が溢れた。きっと今、お父さんは私を写してお母さんのことを思っているだろう。そして私もお父さんを写して心にお母さんを描いている。


「マナ、マナ、っ‥」


お父さんは涙を流しながら私の名前を呼んだ。それはまるで18年間言えなかったぶんを埋めるように、今まで言いたかったぶんを一気に溢れさせるように。だから私もずっと言いたくて、言えなかったこと‥言っていい?


「マナ、っく‥マナ‥」


「お、とうさ‥ん‥」


震えた声は小さく心細い、それでもお父さんは嬉しそうにくしゃっと笑ったあと、少年のようにわんわん泣いた。私が泣き虫なのは、きっと父親譲りだ。お母さんが泣いているところ見たことないし。


今度は私がお父さんを抱き寄せて、その背中に手を回した。私の知らない大きな背中、私はこの背中をずっと追っていたんだよ。今までの孤独、片親という気にしていた心の穴を塞ぐように、埋めるように私たちは抱き締めあった。涙も泣き声も我慢せずに。


きっとお母さんが今の私たちを見たら笑うだろう、泣き虫親子だと。


「藤堂、」


それからしばらくしてお互い落ち着いたあと、沖田が近づいてきた。優しいその呼び方は心地よい。久しぶりに見るその表情は柔らかい。


「おふくろさんは無事だ、安心しろ」


「本当、に?」


お母さんの安否を聞いてホッとした私の目にはまた涙が溢れて、そんな私を見ていた沖田はスカーフをほどいて私に差し出した。


「おふくろさんにはそんな不細工な面、見せんじゃねーぞ。また意識なくならァ」


「ちょ‥どういうことだコルァ!」


優しいと思えば、当たり前のように毒を吐き落とす。それが沖田の不器用な優しさだと気づいたのは、いつからだっただろう。


「顔拭け、さっさと帰るぞ」


このスカーフを借りるのは二回目だ、もしこれからも私が泣くようなことがあっても、彼はきっと同じ優しさを見せてくれる。自惚れだと、思い込みかもしれない。でもきっと沖田は、そのスカーフをほどくだろう‥いつものように不細工だと言いながら。


「マナ、」


足の鎖を取ってもらって、自由になったところでお父さんに呼ばれた。お父さんは何か言いたげな表情でこちらを見ていた。そうだ‥お父さんからはまだ何も話を聞いていない、どうして私がここに連れてこられたか、お母さんと何があったか。でも、


「お母さん、入院してるの‥お父さんも来てくれる?」


やっぱり今はお母さんに会いたい、何があったかは分からないけど、でもお父さんにも会ってほしい。離れていても、ずっと会っていなくても私たちは、家族なんだから。


「‥いい、のか」


「お母さんも喜ぶと思う、それに何があったか話、聞いてないし」


そう言って微笑めば、お父さんは一瞬目を見開いたあとふわり笑った。


「‥笑うと、ゆみにそっくりだ」


お父さんのその笑顔はとても穏やかで、優しかった。お母さんにもこうして笑っていたのかと思ったら、心にじんわり熱いものが滲んだ。


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