お忍びって何かかっこいい
>




「マナ、もういらないのかい?」


「こんな高いお肉めったに食べられないんだから、食べなさいよ」


午後7時、観光を終えてお母さんとのり子さんと旅館で夕飯をとっている私は恐ろしく静かだった。食欲もあまりない。数時間前まで、真選組と出会うまでは楽しかったのに。良い感じで旅行楽しんでたのに。


「俺たちは将軍家のお忍び旅行の護衛を仰せつかってな‥マナちゃんも来ていたなんて、ビックリだよ」


明らかな苦笑いで自分達がここにいる理由を言った近藤さんに軽く会釈をして、私はすぐに店を出た。とりあえずこの場から逃げたいと思った。


「藤堂、」


店を出る直前、沖田の横を通りすぎたとき沖田に声をかけられた。久しぶりに近くで聞いた彼の声に心が揺らいで、でもやっぱり悲しくて。返事をすることも顔を見ることもせずに店を出た。それから真選組はお母さんたちとも喋ってたみたいだけど、私は一人で他の店を回って、彼らを避けた。


どんな顔をして会えばいいか分からなかったし、それはきっとみんなも同じだろう。ただでさえ気まずいのに真選組のそんな表情を見るのは御免だ。


ていうかこんな急に出現されても困る。関係がギクシャクしている今はなおさらで。しかも私はそよ姫とこの旅館で出会ったわけだから、当然彼らもここに泊まるわけで。もうため息も出ないんだけど、もうこんなのさ、アレだよ、何これ珍百景だよ。


「露天風呂、行ってくる」


恐らくないだろうけど、真選組が私たちの部屋に来るようなことがあるかもしれないので私は逃げるように温泉へ向かった。お母さんとのり子さんは、枕投げまでには帰って来るんだよと見送ってくれた。あえてなにも聞かない二人は私に気を遣ってくれているんだと思うと申し訳なかったけど、ありがたかった。


「はぁー」


気持ちの良いカーペットの上を裸足で歩く。温泉にゆっくり入れば少しは気が楽になるかもしれない、せっかくの旅行なんだからちゃんと楽しみたい。お母さんとのり子さんと思い出を作りたいもん。こんなどんよりしてちゃダメだ、うん。そう思いながら温泉まで続く廊下を進む。


「わっ、すいません」


考え事をしながら歩いていたから、曲がり角を曲がったところで誰かとぶつかった。やべ、前もこんなことあったな。えっとあれはたしか‥病院の廊下で、私が持ってた花瓶が割れて。


「藤堂?」


そうそう、ぶつかったのは沖田でね‥ってアレ?沖田の声したんだけど、何で?


「‥お、きた」


まさかと思い顔を上げるとそこには沖田が立っていた。あの日と同じ状況、目がバッチリ合う。赤く大きなその目に自分が小さく映っていた。まるで引き合うような視線は苦しくて、私の心はこの間泣いた日と同じ感覚だった。


来ることが分かってたら避けたのに、こうも突然ではリアクションすらとれない。


「‥っ、」


沖田から目をそらすと、待っていたかのように心臓が大きく鳴り始めた。ばくん、ばくん、それは沖田に聞こえてしまいそうなくらい大きくて胸をぶち破ってしまいそうだった。静かな廊下、どこからか川のせせらぎと虫の音が聞こえる。良い秋だ、目の前に沖田がいなかったら!勘弁してよ、何この状況。ちゃんと前見て歩けよ自分んんん!何バカみたいにぶつかってんの、学習能力ないのかよ。考え事なんかするんじゃなかった、部屋で大人しく高級な肉食ってればよかったァアア!


考えれば考えるほど気まずくなっていく空気に耐えられなくて、私は体勢を整えて沖田を避けて一歩踏み出した。ぶつかったことにくわえて至近距離だったことさえも嫌で、頭上から沖田の視線を感じながらその場を離れようとした。


「待てよ、」


沖田の小さな声に、足を止めてしまいそうになった。何でそんな弱々しい声してるのよ、あんたが。今度は反省とかしたりしてるわけ?さすがに。言いたいことはたくさんあった、でも沖田の目を見てそれを言う自信がなかった。


私は沖田のことが怖かった。もうこれ以上、あんな思いをするのは嫌だから。私の知っていた沖田が崩れ去っていってしまう音を聞くのは辛いから。


もうあんな風に、沖田に裏切られたくないから。


「藤堂!」


だから、沖田の声を背中から追い出すように走った。あぁ、何で‥何でこんなに沖田は私の中をぐちゃぐちゃにするんだろう。私の胸を苦しく締め付けるんだろう。



「うぅ‥っ、くっ」


思いっきり走って、人気のない場所で立ち止まった。呼吸を整えながら溢れる涙をぬぐう。ダメだ、私こんなに泣き虫なはずじゃないのに。何で泣くの、バカじゃないの自分。うじうじしたって無駄なのに、何も変わらないのに。


本当は、まだどこかで信じていた。あれは嘘だって言いに来てくれる沖田を待っていた。また普通に毒舌吐きながらお店に来てコロッケ盗み食いしに来るんだろうって。


本当は、よォメス豚って言いながらいつもの沖田で来てほしい。


「っう、っひ‥く」


本当は、沖田と仲直り‥したいよ。


でも、素直じゃない私はどうすればいいのか分からない。どうすれば前みたいに沖田の目を見て話せるか、名前を呼ばれてどんな顔で振り向けば良いか、どうすれば素直に自分の気持ちを言えるのか、私は分からない。


こんな気持ちは初めてだった。


前へ 次へ

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -