ただいまとおかえり
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「本当にここでいいのか」


「うん、ありがと」


「‥あそ」


遊園地で一日を過ごした私たちは、帰り道の大江戸駅で別れることになった。家まで送っていくつもりだった沖田を私が断ったのは恥ずかしかったから。沖田と観覧車で電話したことが今さらになって頭を支配して。一緒に乗るより恥ずかしいんじゃね?と思いながら隣を歩く沖田をときおりチラチラ見ることしかできない。あんなことをしておいて、行くなとか言っておいて沖田はいつもと変わらず余裕そうで、単純に羨ましいぞコノヤロー。


「じゃあ、ね」


「‥おう」


明日はここから京への列車に乗ることを一応伝える。見送りに来てとは言えないけど、黙って行くのは嫌だし。まだ素直になりきれないけど、こういうことからでも少しずつ自分なりに頑張っているつもりだ。でもやっぱりどこかで沖田が来てほしいと願っているのはたしかで。もし彼が来てくれなかったら、これが沖田と会う最後になる。ここで別れて半年間は、会えない。


そう思うと何かきちんと言わなくちゃ、とあらゆる言葉が頭を駆け巡るけど、何を言えばいいか分からずに目の前の沖田が背を向けて歩いていく。あ、と思いながらもその後ろ姿だけでも、と沖田の背中を焼き付けた。あぁ、やっぱり寂しい。楽しかった一日が儚く終わっていくような感覚が私を襲う。


「藤堂、」


冷たい夜風がぶわっと髪をさらって、視界をさえぎる。冷える指先で髪を直しながらもう一度沖田を見ると沖田がこちらを向いて立っていた。数秒前までは背を向けていたのに。どきっと胸が跳び跳ねる。無表情に近い沖田の顔からは何を考えてるのか分からない。


「‥帰り、轢かれねぇように気ィつけろよ」


「ふ、不吉なこと言う、な‥!」


ちょ、自分のツッコミのキレ悪っ。何これ。いや別に芸人志望とかじゃないんだけど、自分に厳しいタイプでもないんだけど、今のはひどい。ドキドキしてるからって、急に振り向いて名前を呼ばれたからって。反省したいんで空からタライ落ちてこないかな!


「‥じゃあな」


「あ、うん」


そうこうしている間に沖田はまた私に背を向けて歩き出した。


「‥ふぅ、」


沖田が見えなくなるまでなんとなく動けなくて、ぼーっとしたまま立ち尽くした。やっと沖田が見えなくなると脱力感が私を襲う、疲れたわけじゃないけど色々あった一日だからかな。

結局沖田に好きとは言えなくて、ネズミーランドも入れなかったけど、でも楽しかった。


沖田と一日一緒にいられて。いつもと変わらず言い合いをしたりもしたけど、沖田の隣を歩く嬉しさとドキドキを味わったのは初めてだったし、電話越しに沖田の気持ちを聞けて照れ臭かったけど嬉しかった。キラキラした思い出がいっぱいできたよ、沖田。


「ありがと、」


呟いた声は、またやって来た大きな夜風に消えていった。ありがとうの一言が目を見て言えたら、もっと良かったけどそれはまだ難しい。



‥‥‥


‥‥





「あら、おかえり。早かったじゃないの」


「お、お母さん!?」


家へ帰ると居間に明かりがついていてしかも入院中のお母さんがこたつでミカンを食べていた。それまで沖田とのデートを終えてふわふわしていた気持ちが一気に覚める。え、何やってんの?まさかまた脱走?


「あんたが明日からいなくなっちゃうから、最後くらい一緒に過ごそうと思って」


「‥‥‥」


「やあねぇ、そんな顔して。大丈夫よ、外泊届けはもらってきたから。ほらマナもミカン食べるかい?」


お母さんがニコニコしながらミカンを差し出す。私はぽかんとしたままお母さんを見つめるしかできなかった。だってお母さんが家にいるのっていつぶり?しばらく毎日一人で住んでいた家がこんなにも暖かく感じることはなかったのに、


「ほら、寒かったでしょ。入りなさいよ」


「‥う、ん」


入ったこたつが窮屈だと感じることはなかったのに、


「ミカン。八百屋のおじさんがくれたんだよ、あんたにもよろしくって言ってたよ」


家で自分以外の誰かがいる感覚がじわじわ心に染みてきて温かさがそっと身体中を広がる。


「‥‥っ、」


暖かいはずなのに、鳥肌が立ってしまうのは家族の温もりを肌で感じたから。お母さんが家にいて、隣で笑ってるから。


あぁ、誰かがいるだけで家はこんなにも明るくて暖かいんだ。そう思ったら何だか泣きそうになった。悲しきかな、明日からしばらくこの家を開けるけど。


「‥お父さんとのこと、あんたにお礼言ってなかったと思ってさ」


「え?」


お母さんが優しく微笑みながら持っていたミカンを置く。お母さんの口からお父さんという言葉が出てくることがとても新鮮で、それでいて病院で見るお母さんよりずっと元気でお母さんらしいお母さんに心がホッとする。


「ありがとうね、お父さんに話聞いたよ。びっくりしたねぇ。マナがあんなに逞しくてまっすぐな子だとは思ってなかったよ、これっぽっちも」


「‥失礼だな」


「でも、お母さんが見くびってただけで、マナは本当に良い子に育った。マナ、今まで苦労させてごめんね。お店のこともお母さんを楽にさせてあげたいって言ってたこと、もう大丈夫だよ。お母さんは幸せだしお店も繁盛してるから。だから、これからは自分のために生きて」


「な、っんで‥そんな真剣なこと」


お母さんが珍しく真剣に話すので、私はリアクションが分からずお母さんを直視することもできなかった。お母さんからそんな言葉や泣きそうな表情が出るなんて思わなかったから、


「っく、」


お母さんが私のことを誉めてくれるなんて思ってなかったから、


「‥何、泣いてんだい」


「おっ、かあさんも泣い、ってる‥し!」


恥ずかしくて照れ臭くて、でも心は西野カナより震えてて。抑える間もなく溢れだした涙を乱暴に拭うことしかできない。


「あんたは京でも、頑張れるよ」


「‥うっ、ん」


少し乱暴に、お母さんが私の頭をくしゃっと撫でた。朝セットした髪型が少し崩れたけど、そんなことどうでもよかった。お母さんのその一言が私を奮い立たせる。お母さんがそう言ってくれるなら、頑張れるよ。


帰ってくる場所がこんなにも暖かいなら、どんな環境でも笑っていられる。


「マナ、」


だって私はいつだってお母さんが大好きな、たった一人の娘だから。あいうえお弁当の跡継ぎだから。


「マナは私のホコリだよ」


「…お母さん?カタカナだとゴミと間違えるから誇りってちゃんと変換して」


「あぁ、そう。じゃあ埃で」


「どういうことだァアァァア!それがゴミだって言ってんの!」


それから、私はお母さんと一緒に夜遅くまで色々なことを喋った。AIBOから始まりお父さんとの話も聞いたりして、寂しく過ごすはずだった時間はとても楽しく幸せだった。


そして明日、私は江戸を出て京へ、行く。



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