決意の朝 >「うん、じゃあまたね」 電話を切ってしばらく携帯の画面を見つめていた。開店前の時間、私は今の電話で、お父さんに京で料理の勉強をさせてほしいと頼んだ。お父さんは優しい声で待ってると返事をしてくれて、二週間後から京へ行くことも決まった。 嬉しさや期待に、寂しさと不安が少々。複雑な気持ちだけどせっかくのチャンスは無駄にしたくない。京でたくさん勉強をして、大きくなってここへ、江戸へ戻って来たい。 「さてと、」 そして京へ行くまでの二週間、江戸での生活を楽しもう。私は携帯をエプロンのポケットに突っ込み、お店がある一階へ降りていく。今日もお弁当たくさん売るぞ。 「あら、そんなすぐ行くのかい」 「うん、もう向こうはいつでもオッケーらしいけど」 朝の仕込みを手伝いながらのり子さんに京のことを話した。お父さんは私が京へ来ることを想定してか勉強ができる環境を作ってくれていたらしく、二週間後ではなくても良いと言っていた。ただお店のことや自分の支度もあるので、二週間後ということになった。 「やっとお店が静かになるねえ」 「どういうこと!?」 鼻唄を歌いながらおにぎりを握るのり子さん。ったく‥のり子さんまであいつら(沖田&三人組)みたいなこと言って!本当は寂しいくせに!私がいないところで泣いてるんでしょ! 「沖田くんは何て言ってたんだい」 「え、何てって‥別に普通」 のり子さんの隣でおにぎりを握りながら会話は進む。のり子さんは少し慎重にその話を切り出した。 「寂しくないのかい、マナは」 「わ、私は別に寂しくないよ」 おにぎりを握る力を少し強めて、頷きながら答えるとのり子さんがこちらをチラリと見た。少し威圧感のあるその目に思わずたじろいでしまう。 「な、なに‥?」 「あんた最後まで素直にならないつもりかい」 ため息が聞こえてきそうな呆れた口調、のり子さんがおにぎりに海苔を器用に巻いていく。 「素直って‥私、素直じゃない?」 「素直のすの字もないじゃないのさ」 「‥う、うそ!」 当たり前だとでも言うようなのり子さんの表情。私ってそんなに素直じゃないの? 「あんたが京へ行こうが沖田くんと離れようが別に良いけど、後悔するんじゃないのかい?このまま行ったら」 「‥後悔、って?」 「そんなの自分が一番よく知ってるでしょう、」 「‥‥‥」 あぁ、微笑んだのり子さんはきっと全部知ってる。私が沖田に思ってることも、そんな感情を隠そうと見てみぬフリをしていることも。私が沖田に臆病になってしまっていることも、全部。この人の前ではどんな嘘でもバレてしまう。そりゃそうだ、のり子さんはお母さんと同じくらい私のことを知っているから。 だからこそ、考えてしまうこともある。のり子さんの言葉は私に重くのし掛かるのだ。 「帰ってきて、沖田くんに彼女がいても‥あたしゃあんたのこと慰めないよ」 「か、彼女って‥大袈裟じゃな、いの」 ほら、今だってのり子さんの言葉がいちいちグサリ刺さって抜けてくれない。それはきっとのり子さんの言ったことが本当に起きてしまったらと考えて胸がざわつくから。もし沖田に彼女ができてしまったら、いつものようにからかうことも、ましてやおめでとうなんて言う余裕もないから。 「マナが臆病にならなくたって、沖田くんはきっとあんたのこと好きだよ」 「‥す、好き‥えぇ!は?」 「それに、京に行くあんただけが寂しいんじゃないんだからね。置いていかれる身にもなりなさい、沖田くんがどんな気持ちであんたの背中を押してくれたか」 おにぎりを作り終えて手を洗うのり子さん。私はただ固まっていた。置いていかれる身のことなんて、考えてなかった。私は自分のことに精一杯で、でもみんなは応援してくれてたから、みんなの気持ちを考えることさえしてなかった。衝撃が走ったように頭が真っ白になって、その中に映るぼんやりとしたシルエットは沖田の姿。 「‥行けよ」 「いじめられて怒られて、いつもみてぇにブッサイクな泣き顔で勉強してこい」 「その代わり、帰ってきたらお前の飯食わせろ」 私は沖田のことが好き、なの?沖田相手だと好きの意味さえ分からなくなる。だって私たちはいつもうるさくて会う度に喧嘩ばっかりして、いつだってお互いを認めたり思うことなんてなかったはずでしょう?それがいまさら好きだなんて、そうですかって飲み込めないよ。 ‥ねぇ、沖田は、沖田はどんな気持ちで私の背中を押してくれたんだろう。いつもと同じ意地悪な言葉の裏側にはどんな意味があったんだろう。考える度わからなくなって、もどかしくて、でもなぜか無性に沖田に会いたくなって。 いつの間にか溢れだした気持ちに、嘘はもうつきたくなくて。これが好きというものか、恋というやつか。ふわり浮かんだ可能性は意外にもぐらぐら揺れていた気持ちにピッタリはまる音がして。まるでそれが正解かのように、心がひとつに定まって真っ直ぐ私を立たせてくれる気がして。 「のり子さん、私‥沖田のことが好きなのかな」 信じきれていない自分の気持ちは小さな震える声に変わって自分の耳に入ってきた。 「いまさら気づいたのかい、まだまだ子供だねぇ」 ケラケラ笑いながらフライパンに油をひくのり子さんはとても楽しそうに笑っている。私だけが知らなかった、自分のことを誰よりも知らなかった。沖田のことだったからと変な意地があって知ろうとしなかったのかもしれない。 ムカつキングの沖田がいつの間にか私の中で大きくなっていたことも、沖田のドSと言っていいのか際どいレベルの言動の中に見え隠れするあたたかいものが私の心を蝕んでいたことも、沖田の前で泣いたり怒ったりして感情をぶつけられることも、沖田といる私はいつだって自分らしくいられることも。 全部、どこかで分かっていたのかもしれない。分かっていて隠し続けていたのかもしれない。沖田に知られるのが嫌だったから、沖田に負けたみたいで悔しかったから。だからいつだって私は沖田の前では強気でうるさくて、自分を悟られたくなかった。でも、もうそれも隠せそうにない。 だって私と沖田は離ればなれになってしまうから。隠していても平気なままの生活はもうすぐ終わりを告げるから。 ‥大嫌いな沖田に、会えなくなってしまうから。 「今日の午後に真選組の宅配入ってるから頼むよ」 「うん」 今の思いを素直に言ったら沖田は何て言うかな‥想像すらできない。沖田に思いを告げている自分も、それを聞いてる沖田も。 でも、それでも言わなくちゃ。あいつにからかわれて、けなされることは慣れっこだ。きっとこのまま言わなかった方が負けだ。自分の弱さとどうでもいいプライドに負けてしまう。 もう自分の気持ちを隠したまま、自分に嘘はつけないよ。 「手ぶらで帰ってきたら、おしりの割れ目みっつにするからね」 「‥何その罰こわすぎるんだけど」 包丁片手に料理を始めたのり子さんに苦笑いを浮かべながら開店準備のためにキッチンを出た。 外はもう冷たい空気が包んでいて、シャッターを開けた途端に灰色の空が広がっていた。いつもと変わらないはずの朝は、とても新鮮に感じて、背筋が伸びる。 こんな清々しい朝は久しぶりかもしれない。心が洗われるような、体中の細胞が活気付くような。 「‥待ってろよ、バカ沖田」 すぅと息を吸う、いつもとはほんの少し違う朝が始まった。 前へ 次へ back |