渡る世間は選択ばかり >「いらっしゃいませー」 お父さんが京に帰った。またお母さんのお見舞いとかで帰って来ることはあるけど、しばらくは京一弁当のことで忙しくなると言っていた。 そして私には今までの生活が戻ってきて、いつものように朝から店番。のり子さんが台所でお弁当を作っている。お母さんは一時は危なかったけど今は安定して退院も見えてきたって医者が言っていた。 何もかもがいつも通り、お母さんのことに関しては良い方向へ向かっている中、私はずっと悩んでいた。 それはお父さんに提案された、料理の勉強のこと。京一弁当で修行をさせてもらえるかもしれないこと、そしてそれは自分の意思にかかっていること。 前の私だったらきっと京へ一日も早く行きたいとウキウキしているだろう。いや、もしかしたらもう京へ行っているかもしれない。 でも私は迷っていた、悩んでいた、考えていた。江戸の生活と京での修行を。ここずっとそればっかりが頭を支配していた。 「何でィ、シケた面して‥あ、元からか」 「おっ、沖田!」 暇な時間、ショーケースにだらんと上半身を預けてモヤモヤ考えていると頭上から声がした。慌てて顔を上げると沖田が立っていた。いつ入ってきた!不法侵入か!なんて騒いだりはもうしない。これが彼の登場スタイルだから。前ならここから口喧嘩が始まっていたけど、もうそんなことで喧嘩もしなくなった。 でも私には違う意味で沖田と喧嘩したくない理由があった。 「悩みなら10分45000円で聞くぜィ」 「高ぇよ」 それは、さっきも言った京へ行くか行かないかということ。もし行くとなれば当たり前にこの日常はなくなって、沖田にも会えなくなる。もしそうなるならわざわざ喧嘩なんかしたくない、笑顔でバイバイは‥気持ち悪いけど友好的にお別れしたい。 「‥いやもうそれ京に行く気満々じゃん」 「は?」 「いや!何でもない」 ポロリこぼれてしまった言葉をかき消すように大声で返事をしながら首を振る。そんな私を不振そうに見ながら沖田は首を傾げた。 沖田は、私が京へ行くって‥もし行くことになったら何て言うだろう。「さっさと行け帰ってくんな」とか追い払われるかな。それとも「行くな」とか反対してく‥‥ダメだ、行くなって止める沖田が想像できない。普通に「何で俺に聞くんでィ、勝手に行けよメス豚」とかさらりと言う方しか想像できない!悲しい!そんな沖田しか知らない自分悲しいィイ! 「おい何ぶつぶつ言ってるんでィ、さっさとコーンコロッケ寄越せ」 「‥‥はいはい」 チッ、こいつ人がどれだけ悩んでるのか知らないくせに‥!悔しいけど、ムカつくけどこの悩みはあんたも絡んでるんだよ!悔しいしムカつくから本人には言わないけどな!なのにお前はのんきにコロッケ食いに来やがって。ショーケースを乱暴に開けてコーンコロッケを包む。 もし、京に行くことになったらもうこの作業もしばらくできなくなるな、なんて考えながらコロッケを待つ沖田に渡した。 「(‥いやだから何で私はさっきから行く前提で話をしてるんだ!)」 あぁ、ダメだ‥悩みって精神的にめっちゃ疲れる。まだ午前中なのにこんな疲れてるとか。仕事中はできるだけ考えないようにしようと首を横に振る。それを見ていた沖田が早速コロッケにかぶりつきながら私の名前を呼んだ。 「俺は肉じゃがでいいと思う」 「は?」 いきなり肉じゃがって何?と思いながら沖田を見る。キョトンとした顔でもぐもぐコロッケを食べるその姿は子供のようで、私は一瞬その表情に気をとられてしまった。 「夕食何にしようか迷ってんだろィ?それなら肉じゃがにしとけば間違いねぇよ」 「いや夕食のメニューで迷ってねぇよ!朝10時からそんなこと主婦でも考えんわ!」 「じゃあ何に悩んでんでさぁ」 「‥ぐっ!」 沖田との会話が誘導尋問のように感じて、開きかけた口を閉じる。危ない、さらりと沖田に悩みを言ってしまうところだった。沖田に相談したって結果は分かっている、京へ行くことになるだけ。 でもやっぱりそれじゃ嫌だ、と思っている自分は沖田に止めてほしいんだろうか。行くな、って。 あり得ないその言葉を求めているのだろうか、沖田に。相変わらず子供のようにコロッケを食べる沖田をちらりと見る。あぁ、何でこんなやつに私悩んでるんだろう、あほらしくなってくる。 私のしたいことは、こんな‥沖田に揺らいでしまうほど、何かと比べて迷うほどちっぽけじゃないはずなのに。 「財布忘れたから浸けといてくんねェか?」 「‥忘れといてよくそんな堂々と食えるなお前!」 何で沖田はそんないつも通りヘラヘラふざけてるのに、何で私ばっかり変なんだ。 「安心しろィ、お前は常に変だ」 「はいはいどうも。って聞こえとったんかいィイィィイイ!」 前へ 次へ back |