記憶する声


「おい」

文化祭の準備の最中、不意に声をかけられ、顔をあげると、目の前には自分より一回り大きい、薄桃色のうさぎがいた。
否、うさぎの着ぐるみを着た、誰かがいた。

「…えっと、誰ですか?」

声がくぐもっていて、誰の声なのかよくわからない。低かったので、おそらく男であろうことはわかる。

「俺や、俺」

(そう言われてもなあ…)

二、三度聞いただけでは誰だか判断出来ない。それに、相手も俺俺言わずに、名前を言ってくれればそれで済むというのに。
オレオレ詐欺か、と心の中でつっこみをいれる。
どこかできいたことある声だというのは、声をかけられた時から思っているのだが。

「…白石くん?」

同じクラスの男の子の名前をあげてみるが、うさぎは首を横に振る。

「じゃあ、謙也くん」

ふるふる、とまた、横に振る。そこで、ふと、一人の男子生徒の名前が浮かんだ。

「あっ、光くん!」

光くんは近所に住む、一つ下の学年の男の子だ。クールだが、悪戯好きである彼の仕業だと、私は目星をつけた。
うさぎは縦にも横にも首を振らなかった。

「無言は肯定って言うんやで、光くん?」

言いながら、うさぎに近付く。うさぎは微動だにしない。

「何で着ぐるみ着てんの?」
「……確かに」
「え?」

うさぎに聞き返すと、うさぎは両手で私の頭を挟んで言った。

「普段からモノマネばっかして全然地声出さへんかもしれんけど俺の声も覚えとけ」

一言だけ残して、うさぎは、くるりと踵を返し、去って行く。驚き固まっていた私は我にかえり、その背中に言った。

「わかった。だから、ユウジくんの声、もっと聞かせてな!」

うさぎは一瞬振り返ろうとして、止め、左手をあげた。
途中、床に置いてあるバケツに躓いてこけたのを目撃してしまったが、それは、恰好つけたいうさぎには黙っておこう。



100920