▼ 22.参謀総長の再起
キリヤとの死闘後、シンクは全ての気力を無くした。医務室で療養を受けてはいるが、殆ど廃人のように力無く毎日を過ごしている。
キリヤはあの後、崖から海に飛び込んだらしい。決着のついたあの瞬間、リグレットの放った譜術がキリヤに致命傷一歩手前までのダメージを与えたという。その状態では満足に身体を動かせる筈も無く、恐らく死んだだろうと報告があった。
「シンク、まだ沈んでいるのか」
様子を見に訪れたラルゴがそう声を掛けてきたものの、シンクはそちらを向くのも億劫に感じられて、無言を返した。
「もう二週間が経つ。……キリヤの死体はまだ見つかっていない。」
殺す必要があったのだろうか、と、ラルゴが首をゆるく振った。一度任務を共に行っただけだが、シンクが考えていたよりもラルゴはキリヤを気に入っていたらしかった。しかし、この男の上げたキリヤの戦闘能力の報告があの性急な処分決定に繋がってしまったのだと知っているシンクにとって、ラルゴは簡単に許せる存在ではなかった。
「……死んでないよ」
思わずぽつりと零すと、ラルゴの目が惑う。
確かに、キリヤの譜術に対する防御力は極端に低い。彼女が音素を取り込むことが出来ない為だ。だが、それでも、どうしたってシンクにはキリヤがあっさりと死んでしまったとは信じられなかった。
「最後の最後に、宙さえも捉えて飛んでみせた。」
飛翔白麗、とキリヤの呼んだあの瞬間を思い出す。いつだったか他愛無い話の中で、それは南斗水鳥拳の究極奥義なのだと言っていた。自分には絶対に辿り着けない真髄、と。
キリヤは自分を過小評価する傾向にあるのはシンクも気付いていたが、土壇場で習得するとはまさか思いもよらなかった。
「そ、そんな事が……?」
「うん。……本当に、キリヤの説明に誇張は無かったよ。キリヤはあの拳を美しく強いと常々いっていたけど、まさかこの僕が戦闘中に見惚れる程なんてね」
キリヤが宙を飛んだとき、死を賭けての戦いである事も忘れてたその技に思わず魅入ってしまった。その事がシンクの心に一つの波紋すら起こさない程、心底美しい技だった。
「あんな崖程度、訳ないよ。だから、死んでない」
「……そうか。」
「……うん」
それきり二人の間に沈黙が降りる。医務室は静寂に満たされ、シンクはこれ以上話すことは無いと寝返りを打ってラルゴに背を向けた。
だが、突如として慌ただしげな足音が廊下から響き渡る。何事だと顔を上げたシンクとラルゴの元へ、飛び込んできたのはアリエッタだった。
「どうした、アリエッタ」
「あの、あの!大変なの!キ、キリヤが見つかったって!」
「何だって!?」
アリエッタの叫んだ言葉に、二人が素早く立ち上がる。アリエッタはただこっち、と二人を先導した。
貨物船に発見されて引き上げられた、という知らせと共にダアトに運び込まれたのは、確かにキリヤであった。気を失っているのか目は閉じられ、肌は血の気を無くして白く、裂傷だらけである。見るだけならまるで死人のようだ。
「運の無い娘だ。生きて逃れたのに、またここへ戻る嵌めになるとは」
ヴァンが薄く笑い、剣を抜いた。その前にシンクが飛び出す。
「待って、ヴァン」
「どうしたシンク。なぜ邪魔をする?」
思わずシンクが息を呑むほど、ヴァンの声は冷たく無慈悲だ。
「キリヤが目を覚まして、もう一度コイツの選択を聞いてからでも問題は無いでしょ?どうせすぐには動けない。次はしくじらずに始末出来る」
「ほう、随分と気に入ってるではないか。」
「……当たり前でしょ、僕はキリヤに負けた。強い奴が手駒入れば入るだけアンタにも都合がいい筈だ」
ヴァンの感情の見えない氷のような瞳がシンクを射抜く。シンクの言葉の意味を探ろうとしている、というのはすぐに分かった。
もしかすると、キリヤと共に斬り捨てられて終わるだけかもしれない──死さえ感じさせられて恐怖に痺れる頭をシンクは叱咤して、気丈にもヴァンを真っ直ぐに見つめ返した。
ヴァンのすぐ向こうでは、ラルゴが迷いのある顔で成り行きを見つめている。情けない顔しないでよ、とシンクは内心で零した。
「……よかろう。シンク、言い出したお前にその娘の事は任せておく。だが、もし……」
「分かってるよ。もしキリヤがまた断るようなら、必ず始末する。しくじったら僕ごと殺せばいい」
一瞬の睨み合いがあった。ヴァンはふ、と殺気を霧散させて、構えていた剣を下ろす。
「期待して待つとしよう」
最後にそう吐き捨てて、ヴァンはリグレットを伴い去っていった。その背中が完全に消えてから、シンクは身体中の力が抜けて地面に座り込む。
極度の緊張、なんて、作られてから初めてのことだ。
「……大丈夫か」
「うん、平気……」
躊躇いがちに声を掛けてきたラルゴに何とか返事をする。
「ラルゴ、キリヤを運んでもらってもいいかな」
「構わん」
prev / next