▼ 21.兄弟子と赤色の悪夢
レイさんとの合流で心に余裕が出来たのか、最近は寝付きがよくなってきた。
「それじゃ、今日は先にお休みさせて頂きますね」
今夜はレイさんが先に見張りに立つ。迫り出した崖の影に丸くなると、すぐ横にレイさんが腰を下ろした。
こんな風に近くなった距離感に嬉しくなる。もそもそと体勢をかえてレイさんの太腿に触れるか触れないかの位置に頭を持っていくと、レイさんがおい、と戸惑ったように声を上げた。
「たまにはいいじゃないですか。子供の時のお泊り会を思い出しますねぇ」
「はぁ……」
人の体温が近いというだけで、とろりとした眠気の訪れは格段に早くなる。重たくなった瞼を逆らわずにおろすだけで、意識は眠りの底へと落ちていった。
ゆるり、と目を開く。
真っ赤に染まる世界が視界に飛び込んで来て、私の身体は素早く立ち上がった。
「あれ……これ、また夢?」
この現実感の無い感覚には覚えがある。オールドラントで見た、レイさんの出て来た夢がそうだ。奇妙にふわふわと浮くような感覚、自分を取り巻く世界の不確かさ。そこには何一つ匂いも、音も無い。
黄昏で朱と紅に染まった、美しい光景が視界いっぱいに広がっていた。足元は凪いだ水面のように空の風景を反射している。地平線までその光景が永遠に続き、まるで空の中に立っているようだった。
何歩か前に進み出してみる。足元は冷たく、しかし水音、波紋、その両方とも立つことは無かった。
「トウヤ」
「!」
ふいに、背後から聞こえた声に肩が跳ねる。
今の、声、
それはよく知っている、高い少年の声だった。共にいたのは短い期間であったけど、最後に聞いたのは怒号だったけれど。
──シンク。
覚悟を決めて振り向いた先には、やはり、見知った深緑の髪と金の仮面がそこに在る。
「トウヤ」
「トウヤって、誰?」
たが、どうして彼の呼ぶのは私の知らない名前なんだろう。その声に含められた響きさえも、知らないものだ。シンクは誰を呼んでいる?誰を私と間違えている?
仮面越しにシンクが私を見据えているのが分かる。そこに込められた感情までは、読み取ることは出来ないけれど。
「私、トウヤじゃない。」
「──、キリヤ?」
コクリと頷いて、拳を強く握り締めた。今すぐこいつをこの手で引き裂いてやりたい。だけど、この夢の世界ではどうしてか、殺意や憎悪が霧散するように萎えていく。
「……そんな眼が、出来るんだ……」
シンクの口から小さく零れた言葉に、私は自分の眉間に力が入るのを感じた。
「餓えた狼みたい、」
「黙れ」
思わず言った言葉は、乾ききった声をしていた。激しい怒りで全身が火に包まれたように熱く、苦しく感じられる。
「僕を殺したい?」
「そうだね。けど、もうどうでも良いかも。
シンクはもう私の目の前に立つことは無いし、私はレイさんの側に戻れた」
「そう言う割には、随分と荒んでるみたいじゃないか」
シンクがせせら笑うように私の喉元をトン、と指で突く。
「僕と同じにおいが今のアンタからはするよ。憎しみに身を任せているんだろ?」
「煩いな、それのどこが悪いんだ?」
「いや?何も悪くないよ。
だけど……最初に見たアンタの目は、怖いくらいに澄んでいたのにね、と思っただけさ」
一瞬で頭に血が登るのを感じた。伸ばされたシンクの腕を払い、逆にその細い首を掴み上げる。
「わかったような口を聞くな!」
「──っは、はは……よ、わくな……たん、じゃ……ない?」
息も絶え絶えに、シンクが笑う。どうしてか、そこには嘲りの色は無い。どちらかといえばそれは……憐憫の声。ぎり、と食い縛った奥歯が鳴った。
いつだったか、母の語った言葉が頭の中でぐるぐると勝手に回っている。──水鳥拳は、義の星の宿命を背負う拳。人の為に使う拳の宿星であるのだ、と。
「貴様を殺し、アイリちゃんを連れ去った男を殺して彼女を取り戻せば、この憎しみと怒りだって晴れる!」
「無理、だ、ね、アンタ、は、い……しょうそ、の、に、くし……か、らはの……れら、れない、」
力任せにシンクを下へと叩きつけた。シンクは呻き声すらも上げず、ただその手を伸ばそうとする。間髪入れずに蹴り飛ばすと、仮面の下でシンクがふと力無く笑った。
「何がおかしい?」
「皮肉だ、ね、アン、タに、会……う、まえ、の僕にそ、くりだ……」
どういう意味なのか、その言葉の真意は分からない。何のためのものかも分からない悔しさが喉の奥まで迫り上がり、私は唇を噛んだ。昂る感情に息が詰まる。
これは悪夢だ、紛れもなく。美しいと思った夕暮れの世界が、もはや血の色にしか映らない。
「っ!、レイさん……!」
堪えきれずに叫んだ瞬間、私の意識は覚醒した。
「おい、キリヤ?大丈夫か?」
レイさんが私の頭をゆっくりと撫でている感覚に、目が覚めたのだと分かった。全力疾走した後のように息が上がり、心臓が痛い程に早鐘を打っている。
「目が覚めたか」
「……レイさん」
「随分魘されていた。悪い夢でも見たのか」
ゆっくりと身体を起こし、まだうまく働かない頭で周囲を見渡す。風の中に生臭い鉄の匂いがあった。
「誰か襲ってきました?」
「雑魚だ。軽い運動にもならん」
レイさんからすればこの世の殆どの人間が雑魚である。周囲に何もないこの荒野を通るような人間にレイさんに敵うほどの力ある者がいるとは思っていない。なので例によって怪我の心配などはしていない。
「で、どうしたんだ」
「や、ちょっと夢見が悪かったんだと思います」
続けられた追求に曖昧にぼかして返事をすると、レイさんはじっと私の目を覗き込んだ。誤魔化しと隠し事を見透かされそうな気がして、思わず目を逸らす。
「……疲れているのか?」
「ち、違いますよ。それに、これ以上休む暇は無いです。アイリちゃんを探さないと……」
「……フ、そうだな。
だが今晩は寝ていろ。倒れられても困る」
レイさんの右手が私の肩を促すように叩いた。水鳥拳の修行中には針山の上で三日立ったままでいる、なんてこともザラにあったのに、相変わらず心配性な兄弟子である。
言われた通りに大人しく再び横になると、それでいいと言わんばかりに頭を撫でられた。
思い切り子供扱いされている気がするのが、今更少し気になった。
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