▼ 20.兄弟子と荒野を往く
アスガルズルを経って、アイリちゃんを探す旅は再開した。
「お前、拳のキレが増してないか……?」
「うーん、やっぱりそう思いますか?」
常の如く襲ってきた野盗を遠慮無く引き裂いた。先に担当した連中を片付け終わったレイさんは、私の動きを観察していたらしい。着地した私を少し眺めてから、そのように切り出してきた。
「ああ……。死を潜り抜けて強さを得たのかもしれないな」
「そんな事もあるんですか?」
「伝え聞いただけの話だがな。」
死に近づくほど人は強くなる、とレイさんは続ける。なるほど、そうなのかもしれない。
……ここで一つの疑惑が私の心の奥底から気泡のように浮かび上がってくる。もしかして、オールドラントは死後の世界なのでは……。いや、そんなバカな。第一私は死んではいないし、転生してもいないのだ。
「どうした?」
「あ、いやなんでもないです」
「そうか」
ふいにレイさんの手が、私の頭をくしゃりと撫でた。再会してからというもの、レイさんからのこういうスキンシップが時たま行われるようになった。
何だろ……今までが殆ど触れようとしなかったレイさんであるだけに、珍しい。
ま、まさか。アスガルズルでの滞在で、女の肌に飢えるように……なんてことは絶対にありえないね、うん。レイさんのことだから、今まで通り街に泊まった夜に適当に処理してるなりなんなりしているだろうし。
普通に考えて、私が死ぬかもしれない時に後悔を抱いたとかそういう感じだろう。ということは、もう少し分かりやすく可愛がって置けば良かった等と思ってもらえたのか。
嬉しくなって、頬が緩む。
「む、どうした?」
「あー、なんでもないです」
にへらと笑う私に、レイさんは不思議そうに首を傾げたのだった。
レイさんに私が倒れていた間の話を聞くと、どうやらあの薬草の街に辿り着くまでに半年近い時間を要したらしかった。
ライドウの館で助けた女性が最初に齎した情報で、レイさんは一ヶ月ほど東に進んだ所にある薬草を栽培する街を訪れたが、そこで栽培されていたものでは私の毒を完全に消す事は出来なかったという。
次にレイさんが向かったのは、その街の薬の納め先である医者の元に栄えた小さな村だった。そこに着くまでに更に二ヶ月を使ったらしい。
しかし、レイさんが辿り着いた時には、村は野盗に襲われて壊滅状態であり、生き残りの男に南東にずっと行った先に別の薬草を栽培している街があると聞き、二ヶ月以上をかけて漸く薬を見つけられたのがあの街だったのだという。
「そ、そんなに長い時間私、レイさんに迷惑を……」
勿論物凄い慌てたし、罪悪感で一杯になった。私が間抜けにもナイフなんか喰らったせいで、レイさんは半年もの長い時間を私に使わなければならなくなったのだ!
半年あればアイリちゃんに手が届き、救い出せたかもしれないのに……!
「迷惑?馬鹿なことを言うな、キリヤ。お前が庇わなければ俺が刺されていたのだぞ。
それに俺には、アイリとお前のどちらか一方を切り捨てる事は出来ん。フ……安心しろ、お前の薬を求めて彷徨った時にもアイリの情報を探るのは欠かしたつもりは無い。」
「で、でも……」
「結果として、アスガルズルにアイリが居たという事が判ったんだ。俺達がアイリに近づいているという事が分かっただけでも収穫はあった。」
確かに、なんの情報もないまま彷徨うよりは……。
気にするな、と頭をぽすぽすと叩かれて、これ以上は単なる私の罪悪感の押しつけでしかないと判断する。こくりと頷くと、レイさんの目元が微かに柔らかくなった。
(笑った……)
村が襲われる前の、平和な頃のような穏やかな微笑だった。
やっぱりアスガルズルで何かあったのかもしれない。街を襲った父と決着をつけただけ、と言う訳でもないだろう。明らかにレイさんの心の在り方が変わっている。
そういえば……。
レイさんの振るう拳も、何かが違っていた。伝承者としての印可を受けるために闇闘崖へと立った時のような、柔軟で美しく、切れ味の増したもののように変わった気がする。
アイリちゃんが攫われてからというもの、レイさんの拳は気づかない程徐々に父のそれに似た性質を帯びていたのだと、今ならば解る。特に私と離れてからは、かなりの速度で荒い剛の拳になった事は、辿った痕跡からわかっている。
それがアスガルズルの1件以来、どちらかといえば母の拳の面影を感じるようになったのだ。
しかしレイさん本人がその変化に気がついてないようなので、尋ねようもない。
関係がありそうなことといえば……
「そういえばレイさん、アスガルズルでエバを抱いたらしいですね」
「な、なに?」
「エバには不思議な力があったと聞きましたけど、レイさんも何か言われたりしました?」
エバには未来が見え、予言をするという事はシオン君から聞いていた。レイさんのあれだけ荒んだ拳からするに、精神的にもレイさんはかなり厳しい状態にあった筈だ。エバが一夜でその心を安らげ、拳に元の美しさを取り戻させたのなら、エバという女は本当に只者ではない。
「え、エバは……その!いや……」
けれど、何故かレイさんはとても珍しい事にわたわたと慌てている。困惑したり怯んだようになったりとその表情も忙しい。
「どうしたんですかレイさん?……あ、もしかしてエバの事好きになったとか」
「違う!」
「そんなに慌てなくても、アイリちゃんには何も言いませんって。どうしたって休息は必要ですし、街に寄った時くらいしか女も抱けませんしね」
「お、おま……」
レイさんは絶句して、口をパクパクとさせた。もしかしてレイさんって軽い下ネタすら苦手な人だったりする?或いは以外と初心なのかもしれない。
「……キリヤお前、気にしていないのか?」
「え?やだなぁ、レイさんだって正常な男なんですから、今さら女を抱いたところで不潔!なーんて言い出したりしませんよ。それより、下世話なこと尋ねたりしてすみませんでした。」
「いや、そうじゃなくてだな……」
レイさんは頭を抱えてハァ、と溜息をついた。うーん、この感じも久々だな。
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