▼ 17.独りで旅立ち
キリヤが目を覚ますと、そこは見覚えの無い古びた小屋の中だった。
「あ!目を覚ました!」
覗き込んでいた幼い顔がぱっと笑う。それを素通りした視線が、窓の外の荒廃した荒野に止まった。
キリヤの頭はぐちゃぐちゃに混乱する。
血生臭さと乾いた砂の匂い、もうとっくに消えた筈の脇腹の痛みと、鍛え直した筈の身体の重苦しさ。
ここは、あの世紀末な世界なのか?
信じられないような事だった。呆然としたキリヤに、傍に付いていた子供が話をし始めた。
「俺はシオン。キリヤさんのこと、レイさんに頼まれたんだ。」
「……レイさん、に?」
「うん。……ここは薬草を育てている街なんだけどね。
ここから更にずっと南に行くと、綺麗な女の人を買い集めている大きな街があるんだ。アイリさんを探してくるから、絶対にここから動かずに待っていて欲しいって言ってたよ。」
動かずにも何も、身体が重くて動きたくても動けない。
レイさんは私との約束を破った事は無い。だから、大人しく待っている事に異論は無かった。
シオンと名乗った少年は、私が毒に侵されていて、この村で漸く解毒が出来たこと、レイさんがとても必死だったことなどを更に伝えてくれた。
私がオールドランドで過ごした、決して短くはない月日の痕跡は、ひとつも残っていなかった。
「夢、だったのかなぁ……?」
よくわからずに首を傾げたが、それにしてはやけにリアリティのある夢だった。なにより、夢の中で知らない事が多過ぎた。
「やっぱり、夢じゃない……よ、ね」
身体を鍛え直した後、やらねばならない事が出来た。飛翔白麗を試すのだ。
それがもし本当に身体に感覚として残っていれば、あの世界は実在するのだ。シンクとの死闘の決着をつける為に何もない宙を掌で叩いた時の事を思い出す。音素の塊の力を利用せず、本当の意味で水鳥拳の真髄を体現できたのは、あの一瞬だけだった。
一ヶ月が過ぎた頃、オールドランドでの時と異なり私の身体はほぼ元の状態に戻っていた。今更考えると、どちらかといえばこの速度が自然なものである気がする。
よくよく思い出せば、あちらの世界での筋肉の落ちる速度は異様なほど早く、回復は遅かった。一度体得した筈の水鳥拳の動きを身体がたった数ヶ月程度で忘れてしまうなんて、冷静に考えればそんな筈はないのに。
「……いいか。もう、戻ってこれたんだし。忘れてしまおう」
独りごちて、全ての記憶を心の奥底に仕舞い込んだ。全部無かったことにする、というのが私の最終的な判断だった。
余計な事を考えるのを止めたら気分が軽くなり、身体を動かそうとシオンの家の外へ出た。シオンは薬草の世話に行っている。
ん、と両手を組んで伸びをして、さて、と構えをとった時だった。
「おおい!聞いてくれみんな!」
街の門を駆け込んできた男が大きな声で叫びながら私の前を通り過ぎていった。周囲がざわざわと騒がしくなり、街の人達が男をどうしたのかと取り囲む。
「アスガルズルの女王が殺されたんだってよ!」
「えっ!?」
驚きの声を上げたのは、集まってきた人混みの中に紛れていたシオンだった。
「おいシオン!お前のところにあのお嬢さんを預けていった男、まさか……!」
「そ、そんな筈ないよ!」
「いいやわからないぞ!あの男の荒みきったツラなら何をしたっておかしくはない!」
街のざわめきが大きくなる。事情がわからないが、レイさんの話しであることはすぐに分かったため、あの、と人だかりに声をかけた。
「詳しく話を教えてください。レイさんに関係のある話しなら、私にも関係があると思いますんで」
レイさんが向かった南の大きな街とは、アスガルズルというかなりの規模を持った娼婦たちの都だというだという事だった。そこを統治しているのが、女王エバという女の人だったらしい。
彼女は聖帝……は誰だかよくわからないとして、KING……も聞いたことがあるような気もするが誰かは知らないから置いといて、それらの人達や拳王ラオウといった乱世の頂点に君臨する男達と情事を交わした女で、未来を見通す力があるらしい。
この街はそのアスガルズルに薬を産出する街としてその庇護下で今まで平和が保たれていたものの、女王エバが殺され、何かしらの余波が来ることが予想された。
その下手人と疑われるレイさんが置いていった私が街にこのまま留まっているのは私にとっても街にとっても良くないため、私はアスガルズルへと発つことにした。
「シオン君、お世話になったね。」
「いいよ。それより、庇えなくてごめんね、キリヤさん。」
私の残留を街の人に説得できなかった、としょげ返るシオン君に、気にしないでよ、とその頭を軽く撫でる。
「じゃあ、元気でね」
prev / next