▼ 15.兄弟子の覚悟
自分を庇ってキリヤが悪党の凶刃に倒れた時、レイは何処かで何かが切れた音を聞いた。
気が付けばキリヤに襲い掛かった女二人は血に染まって絶命していて、レイの手は赤く汚れていた。
「ハッ……キ、キリヤ!!」
直ぐ様妹弟子に駆け寄るが、その痩躯は床に叩きつけられた頭と、深々とナイフの挿し込まれた腹部から、止めどなく溢れる血で色を失っている。
慌ててレイは彼女を抱き上げた。何としても、死なせてなるものか。
手当により一命を取り留めたキリヤだったが、その意識は戻らなかった。更に悪い事にキリヤの腹に突き刺さったナイフには毒が塗ってあり、僅かながら彼女の体力を刻一刻と奪っていた。
解毒薬を手に入れようにも、助けになりそうな情報を何一つ彼は持たない。
どうすれば……焦燥感と無力感にレイは呻いたが、手立ては無い。
「……あ、あの」
そこへ声を掛けてきたのは、ライドウのねぐらから助け出した、妹の面影を持った女だった。
「た、助けて頂いて、ありがとうございました。
あの……わ、私、この人を助けられそうな薬のある街を知ってます!」
「何!?」
女の言葉にレイは弾かれたように顔を上げた。女はビクリと震えたが、目の前で三人惨たらしく殺した事で怯えられているのだという事はレイも理解していた。
「こ、ここよりずっと東に、薬草の栽培をひっそり行っている街があるらしいんです。もしかしたら、げ、解毒剤も……」
「あるかもしれない、か」
女がコクリと頷く。
「どれくらい東にある?」
「そ、それが……」
レイが街の場所を尋ねると、女は申し訳なそうに言い澱んだ。
「ど、奴隷として運ばれていた時に聞いただけだったので、わからないんです……。その話を聞いた街も、三週間以上はかかったと思います……」
「さ、三週間……」
悪夢のような恐怖を思い出して、気の毒になるほど女は酷く震えた。女の示した地は遠く、キリヤの体力が持つかはわからないと、レイも言葉に詰まってしまう。それでも、東に救いがあるかもしれないとわかり、レイは軽く女の肩を叩いた。
「……いや、充分助かった。すまないな」
「い、いいえ……お役に立てずに、すみませんでした」
去って行く女を見送って、レイはキリヤを慎重に抱き上げた。傷が痛むのか、キリヤは苦しそうに額に脂汗を浮かべて呻いたが、置いていくことも出来ないので少しだけ我慢してくれ、と心の中で詫びる。
食料やキリヤのための包帯などは、ライドウの支配から解放された街の住民たちが幾らかは分けてくれた。ここへ留まる理由はもう無い。
レイはすぐさま東へと発った。
レイにとってキリヤという女は、可愛い妹弟子という存在だけには留まらなかった。彼女はレイの師、フウロとリンレイの娘であり、女の身でありながらレイが背を預けられるほど強く、良きパートナーとしてレイはキリヤを認めていた。
その間に男女の情があったかといえば、レイには何も答えられない。
元々キリヤは、南斗水鳥拳のこれからを担っていく男に与えられる女だった。
最も早く水鳥拳の伝承者として目されたのはレイだった。故にキリヤは12になった頃からレイの世話をさせられていた。
そして、最も早く伝承者として認められたのも、やはりレイだった。
キリヤ本人は水鳥拳の流派としての思惑など全く知らないだろうが、彼女が村へと戻ったレイの同行を水鳥拳の教え手である長達に許されたということは、つまりはそういう事だ。
だが、その頃には既に、レイとキリヤの間には男女の区別無い信頼と、兄弟子と妹弟子という限りなく肉親に似た関係性が確立してしまっていた。
少なくとも、アイリが攫われるまでは、レイはそう思い込んでいた。
しかし、旅を始めてからはどうだ。
世が野心と暴力によって乱世と成り果ててからも、心が荒むような醜い争いや謀に何度関わっても、キリヤの真っ直ぐな性根は何一つ変わらない。
純真な少女のような、曇りの無い瞳に惹かれていたのは紛れもない事実であった。喩え、レイ本人が自分のその気持ちに気づかぬままであっても。
唯一つはっきりと分かることは、レイにとってキリヤは掛け替えの無い存在で、決して失う訳にはいかない最後の心の拠り所だった。
絶対に助けてやる。待っていてくれ、キリヤ。
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