あ、また来てる。
背が高くて、どこを見てるのかわからない目の、飄々としたお兄さん。

ある日はカウンター席で、ウチのバリスタ、通称ブルーノが作るラテアートを、興味深そうにじいっと見ていた。ブルーノはそれで緊張したらしく、変な汗をかいていた。
ある日は入り口から死角になる席で、もちもちした生地が人気のマスター自慢のワッフルを頬張っていた。お会計のとき、美味かったです、と言ってくれた。初めて聞いた声は思っていたより低かった。
ある日は窓際の二人がけの席で、もう一つの席には荷物を置いて、アイスコーヒーとポップオーバーをお供に、ノートパソコンに何か打ち込んでいた。すごく頑張っているようだったから、アイスコーヒーのおかわりをサービスさせてもらった。
ある日は金髪の人と黒髪の人と、テーブル席で、カフェの雰囲気に少し場違いなうどんをすすっていた。どうしてそんなメニューがあるのかといえば、マスターがちょっと変わった人だからである。他の二人はそれぞれバジルソースのパスタとチキンカレーを食べていた。

顔はしょっちゅう見かけるのに、私はお兄さんのことをこんなにも知らない。


今日は窓際の一番奥の席。端っこがお好きなんだろうか。
開店から30分経った午前11時過ぎ、木曜日。一番乗りだった。毎日通い詰めってわけではないけれども、お兄さんはお客さんが空いている時間帯によく来店するから、私もマスターもけっこう覚えている。
今日の注文はアメリカンだけ。でも注文を取りに行ったブルーノがキッチンにそれを伝えに来るのは少し遅かった。ちょっとだけお話ししたらしい。お兄さん、最近、金欠なんだとか。年の近そうな同性の店員が相手だと、些か近寄りがたいオーラをまとっているあの人でも、そういう話をするんだなと思った。
コーヒーを準備するのはだいたいは私の仕事だ。豆を挽こうとカウンターに出ると、ブルーノも出てきた。さっき入ってきた女の子のお客さんがラテアートを注文したからだって、嬉しそうにしている。その女の子もしょっちゅう来てはラテアートを頼んでいるような。

「あの子のこと好きなの?」
「いや、おれあの子の名前も知らない」
「聞けばいいじゃんヘタレ」
「うるせーな。好きとか、ちげーし」

エスプレッソは深煎りで微細に挽かなくてはいけない。ごりごりと豆を挽く音にブルーノの声はほとんどかき消され、横顔が少し赤くて、やっぱり私も女だから、そういった色恋の話は大好きだ。今日のラテアートはハートとかどうだろう、と下世話なことを思いながら、アメリカンローストの珈琲豆を粗挽きにして抽出する。
大きめのカップに注がれたこれを飲むお兄さんを想像する。途端に豆を挽く自分の手から力がやんわりと抜け、手つきも心なしか柔らかくなったことに気がついて苦笑した。何やってるんだろう私。
店内に流れるジャズが穏やかだ。相変わらずマスターは嫌味でなく良い趣味をしている。

「あのお兄さん面白いよな」

肩がビクッとした。あのお兄さん、というのは、あのお兄さんで合っているんだろう。話したこともないのに面白いよなと同意を求められても困るんだが。

「知らないけど、そうなの?」
「面白いよ。この前なんか」

ブルーノから聞いた話で、お兄さんにはちょっと間抜けなイメージが付加された。思わず笑ってしまい、お湯を注ぐ手が震えた。
面白い人なのか。あの大柄なお兄さんが背筋を丸めて、ワッフルに挟まったフルーツを取り出して別々に食べる姿に話しかけたかったなと思った。面白いことも大好きだ。今ほど男になりたいと思ったこともそうそうない。そうしたら、そんなお行儀の悪い姿にも、もっと簡単に声をかけられたかもしれないのに。

「……金欠なんだっけ」
「サービスしてあげるの?」
「……オランジェットくらいいいよね」

あんたもたまにしてるしね、と言うと、ちらりと天井に目線をやってから、いいんじゃないのとブルーノは笑った。キッチンからひょっこり顔を出した初老のマスターも、いいんじゃないの、どうせ余り物みたいなもんだから、と笑って言った。ちょっと恥ずかしい。
淹れたてのアメリカンコーヒーを注いだカップをソーサーに載せて、お兄さんが座っている窓際の席に運ぶ。突っ伏して寝ていた。大きな猫みたい。声をかけてもいいのかな。どきどきしたけれど、良かったのか悪かったのか、私がコーヒーをテーブルに置くと、お兄さんは目を開けてしまった。びっくりした。

「あ」
「いえ、ごゆっくり」

お兄さんが人当たりのいい笑みを浮かべた。口元だけの笑顔でも、なんとなくそう見える笑い方。お疲れなんだ、やっぱり何かサービスさせてもらおう、と決意に似たものを感じる。
カウンターの向こうに引っ込むと、何故かブルーノがニヤニヤしていたから、店のイメージダウンにつながる前に、膝裏に蹴りを入れておいた。
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