いつもよりのろのろと制服を着て、職務に就く。キッチンに挨拶をしてカウンターに立つと、仕込み中のブルーノがいた。

「遅かったじゃん」
「二日酔い」
「マジで。めずらし」

ブルーノの言う通り珍しいことなのに、私は滞りなくその日の仕事を終えた。私すごい、誰か褒めて。そう言葉にしても褒めてくれる人はいない。些細なことでも受け止めてくれる人がほしい。

「なつみちゃん今日暇!?」
「じゃない」
「即答!」

そして相変わらずブルーノは元気だ。酔いの醒めない頭に響く。確かこいつも一人暮らしをしていたように思うけど、これはもともとの性格なのか、私が卑屈なだけなのか、隠してるのか、よくわからない。
今日はお兄さんは来なかったし、ブルーノの好きな女の子も来なかった。マスターの『お客さん少ないだろうから』は当たっていた。それにしても、好きな子がいるのに今日暇!?とは、こいつは私に何を求めているんだ。
暇じゃないというのは嘘だけど、二日酔いで身体にまとわりつく倦怠感と脳を揺らす痛みも引いていない状態で、ブルーノの相手は出来る気がしない。

「ねーえ、どうしても暇じゃない?」
「……なに?」
「うわ、つまらん理由だったら殴るぞって顔」
「してないよ。で、なに」

ブルーノは顔の前で手を合わせて、わざとらしくウインクする。目潰ししてやろうか。

「……ちょっと、相談したいことがあって」


今私の目の前でぼろぼろ涙をこぼしながら愚痴るブルーノに、心底、失敗したと思った。こいつが泣き上戸なんてちっとも知らなかった。しかも相談事の内容は恋愛ときている。やめてくれ。
場所は昨日も来た、裏手のバー。昨日の今日で違う男を引き連れて来たくはなかった。でもお兄さんと来たのを最初の最後にしてしまっては、私はもう二度とこのバーに寄り付かないだろうから、まあメリット半分といったところである。

「さっきから煩いね、ふられたの」
「ちがわい!」

カウンター席で、ほぼだんまりを決め込んでブルーノの愚痴を右から左へ受け流している私は、昨日と同じくソフトドリンク。
左へ受け流された愚痴はここのバーのバーテン兼マスターさんが拾ってくれている。ありがたい。ブルーノがグラスをテーブルに叩きつけるように置く。その音と、いつもカフェで流れるような柔らかなジャズでなく、一昔前に人気を誇った著名な外国バンドの洋楽が脳内で渦巻く。
綺麗な黒髪で背の高いバーテンさんは、初めて見た。四十路一歩手前ってところだろうか、それなのに若々しいからお兄様って感じだ。

「そこのお姉ちゃんもうげっそりしてるよ。ほどほどにしてやんなよ、色男」
「もしほんとに色男だったらこんなとこで泣いてねえよっ」
「女のせいで泣いてるあんたは色男か、助兵衛か、それとも安本丹?ま、朴念仁じゃなさそうだね」

バーテンさんはきゅっと目尻を釣り上げて、いたずらっぽくニッと笑った。
色男。スケベ。アンポンタン。朴念仁。男の人って、女にもいろいろいるように、たくさんいる。女だけ、ということはない。お兄さんはどんな人?私はそんなことも、全然知らないんじゃないの?最初から知ろうとしていないんじゃないの?
男と女というだけで、私一人が先走っているだけじゃない?このバーで一緒に飲んだ(というか食べた)のも、いやもっと根本的な……お兄さんがカフェに通ってくれているのも、本当はすごく貴重な縁なんじゃないのか。
恥ずかしい。どうして私はいつも、いつまでも、こんなに幼い。

「……あの子ね」
「ん?」
「好きな人……いるん、だって」

ブルーノはギャンギャン喚き散らすでもなく、涙声でぽつぽつと話し始めた。あの子というのは、言わずもがな、あの子だろう。足繁く通っては、ブルーノの作るラテアートを興味深そうにしげしげと眺める、あの子。

「いや、そりゃあね、おれが知ってるあの子だけじゃないわけだし、いたって、おかしくはないんだけどね?……錯覚してるうちは、すげえ、楽しかったんだよ……楽しかったから、余計に」

楽しかったから、と、ブルーノは言った。
私は、楽しいなんて考えたこともなかった。俄然、こいつの話を聞いてやろうと思ってしまった。ブルーノにあって、私になかったもの。足りなかったもの。私が知っているこいつの、知らなかった部分。
知識欲は時として人を愚かにもするが、そのほとんどは糧になる。いや、ならなくてもいい。私は今、ブルーノの話を聞きたかった。
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