「悠一?」

姉ちゃんはいつも、窓の外を見ている。
そのときはいつも声を掛けたら何かが壊れてしまいそうな雰囲気を纏っているから、おれが声を掛けられずにいると、部屋に足を踏み入れる前におれに気づく。今みたいに、おれの名前を呼ぶ。そして、いきなり名前を呼ばれて思わず少し身構えたおれを見ると、すごくきれいに、儚く笑う。

「来てくれたの」
「具合が悪そうだって、忍田さんから連絡があったからね」
「忍田さん?余計なことしなくていいのに」
「余計なことあるもんか」
「私なら大丈夫なのよ。なんともないの」

そんなわけないくせに。
忍田さんが見てそう判断して、わざわざおれに言うくらいなんだから、よっぽどだったのだ。なんともないって、それは今容体が落ち着いているからの話であって。

おれより三年早くこの世に生を受けた姉ちゃんは、五体満足な健康体とはいえなかった。
姉ちゃんはトリオン器官が人よりちょっと大きいせいで、器官のすぐ隣にある心臓に負担がかかってしまっている。ろくに走ることもできないのに、無駄に多いトリオン量のせいで近界民には狙われっぱなしだ。
保護と器官の研究と近界民をおびき寄せるのとを兼ねて、姉ちゃんは本部の医務室の隣の無機質な部屋にひとりでいる。入院とさして変わらない。監視カメラはあるけど。姉ちゃんの希望で、部屋にはスモークガラスの窓がついてる。
姉ちゃんはいつも、外部からは何も見えないその窓の外の、何を見ているんだか、何かをじっと見ている。
おれは今日も何をするでもなく訪れて、ベッド横のパイプ椅子に腰掛けた。

「なんか欲しいものあった?」
「ないわ、なんにも」
「無欲だなあ相変わらず」
「言っても困らせるだけだから言わないの」
「なんだ。あるんじゃん」
「叶えられっこないことなのよ」
「実力派エリートにも?相当だね」

くすくす笑う姉ちゃんは、触れるとその輪郭を失ってしまいそうで、うかつに触れることもできやしない。いつの間にか姉ちゃんの背も追い越して、手だって姉ちゃんの両手をまとめて掴めるくらい大きくなって、守れるくらい強くなったはずなのに。

姉ちゃんはいつになってもおれの姉ちゃんなんだなあと思わざるを得ない。どんなに重いハンデを背負っていようが、否、それを背負って産まれ生きているからこそ。それに加えて三年長く生きている強み、おれはきっといつまでも、姉ちゃんが引いた線を越えることはできない。姉弟なのに。同じ血を分けた、たったふたりどうしなのに。おれが見る世界で、父さんと、死んだ母さんを持ってるのは、姉ちゃんだけなのに。おれは弟だから、姉ちゃんは最後にはどうしてもおれを守ろうとする。それが歯痒くて、少し悔しい。

「欲を言えばね」
「たまには言いなよ。なに?」
「せめて自分を守れるくらいには強くなれる身体がよかったの」
「うん」
「悠一に守ってもらわなくても」
「……」
「ちゃんと生きていけるような」
「姉ちゃん、」
「今さらこんなこと言ったってしょうがないのはわかってるの。困らせちゃうでしょ」

おれがしたくてやっていることを、姉ちゃんは、そう言う。迷惑なんじゃないかとか、心配かけまいとか、いつだって最優先事項はおれなんだ。
よっぽど自分のことを心配しろよと思う。おれに守られなくてもいいように生きたいなら、突き放せば済む話だ。尤も、そんなことしたっておれは離れていかないだろうし、姉ちゃんもそうはしない。
なにやってんだろう。
自分よりも弟のこと。だから、姉ちゃん自身は自分の命をおれのそれより軽んじているけれど、おれは姉ちゃんのも自分のも同じくらい大事だ。軽んじてなんかいない。
どうしてこうも噛み合わないんだ。

「わがままなこと言っちゃったけど」

知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げると、姉ちゃんは、硝子細工みたいな笑顔で、
漣なんてどこにもない水面のような、どこまでも深くおれを受け入れるようなうそつきの目で、おれを見ていた。

「悠一が悠一自身のために生きてくれたら、私はそれでいいの」

ーーーそれで、この人を守るために生きたいと思えるような人に出逢って、その人と自分のために生きてくれたら、

「それ以上は何もいらないわ」

そんなのおれだって同じだ。
姉ちゃんは姉ちゃん自身のために生きてほしい。そうでなけりゃおれはいつまでもおれのためには生きられないし、そんなどこの誰かもわからない守りたい人になんて出逢えっこない。
姉ちゃんはうそつきだ。おれよりずっと、ずっと、うそつきだ。そんな目をするくせに、潜ったら最後底に叩きつけて、浮かばせてもくれないくせに、こんなことばかり言って、おれのことばかり気にして、ああ、なんだってこの世はこんなに生きづらい。
おれは姉ちゃんがいつか心の底から幸せを感じられるように、そのために生きている。そしていつかその時が来たら、それは、おれがおれ自身のために生きてきた証だ。そんな未来、未だ視えやしないけれど。

「そろそろ帰ったほうがいいんじゃない」
「……そうだね」
「気を付けて帰ってね」

また来るよ。
いつも、さよなら代わりに置いていくその言葉に、窓の外を見たまま姉ちゃんが涙を流していることは、知っているんだ。



姉を守りたい弟と弟を縛りたくない姉



迅悠一の姉
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