篝火にゆらめくは遊女の影。数多の障子を照らす橙の灯に、格子内から飛び交う売女の媚びる声。男の腕が女を捕え、多額の金が往来するのが当たり前。女の意など無視もよいところ。入るは易し、出るは死を以て。この遊技場は表とは遮断された空間に浮かぶ、男が全ての常世の国。
この大見世一番の花魁道中を横目に、乱れた着物はそのままにして男を蹴り飛ばす。自分に大金をつぎ込んで夢のような一夜を堪能した男は眠りについたようで、その寝顔は満足そうやった。
――――…あのよに、道中を歩きたいとは思わん。
お得意の客受けのする笑みを貼り付けて淑やかに務めを果たす太夫も他の売女も皆同じや。身を売られたか、閉ざされたこの遊技場で生を受けたかして体売るんを強制された機関人形にすぎん。人間として生を受けたはずやのになんで?という疑問はとうに薄れて消えた。郷に入っては郷に従え。いつしか忘れて、派手な着物を身に纏って薄汚く身を売るんや。格子で誘う売女と同じよに。やけどうちは違う。うちは人間だった時の記憶がある。やから今日も身を清めて、あの人の帰りを待つんや。客なんてどうでもええ。金なんていらん。うちにはあの人がおればそれで。

「お疲れさん。少しでも寝てきや」
「いやや」
「相変わらずやな。今日も帰ってくるかわからんのやで」

客の寝ている隙に風呂からあがったうちに声をかけたのは見世番の謙也。ここに売られた時うちを人間と見てくれた、うちが心を許した者の数少ない内の一人や。

「最近寝とらんかったやろ」
「とかなんとか言うて、うちの体見たいんやろ」
「あほ、今は風呂番や風呂番」

ははは、と笑う謙也につられて口元が緩む。濡れた着物をそっぽを向く謙也に投げて新しい着物に袖を通す。鏡に映る胸元の赤い花は客が変わっても残ってしまう。あの人に抱かれる時には白い胸元でと決めているのに客足が途絶えることはない。ならなんでここまで上り詰めたんかと聞かれれば、あの人に言われたからや。やからうちは、あの人と交わした約束の実現を目指して抱かれ続けるしかない。例えそれが望まないものだとしても、や。

「かれこれ半年やなぁ」
「……せやな」

謙也がぽつりと呟いた言葉に、目を伏せて返す。うちをここに連れてきたあの人は放浪癖があって、酷い時には一年ほど旅に出ているらしい。もともと女に執着するようなタイプでもあらへんから、売女はあの人が帰ってくると普段より声を張って惹きつけようとする。ここが一段と賑やかになるのはきまってあの人が戻ってくる時や。
うちがあの人言うんは、千歳という男のことや。ここで多くの客を引く花魁は千歳の手がかかっているものが多い。外から連れてきたもんもおるし、中で育ったもんもおる。千歳は女の品定めが上手いらしく、そのおかげもあってここの遊郭は大見世にまで上り詰めたとか。まだここに連れてこられて一年も経たん内にすぐに格子女郎になったんは、きっと千歳の目ぇが良かったんや。

「今度はいつ返ってくるんやろか」
「待ち人来ず、か。辛いなぁ、若草」
「今はくらや。若草ちゃう」
「でも客引いとるやろ?」
「うちが引きたい客ちゃう!」

和櫛を台に叩きつけ、涙を浮かべた瞳で謙也を睨む。謙也は目を丸くして苦い顔をして言葉を濁す。“若草”はうちがこの遊技場で呼ばれとる名前。本当の名は謙也と千歳しか知らん。本当の名は、千歳がうちにつけてくれた大切な名前やから、誰にでも呼ばせるわけやない。ここにおる謙也には、二人の時に偽りの名で呼んでほしくなかった。うちの境遇を知っとる、謙也には。

「また女泣かすちこつばしよると?」
「千歳!」

くすくすと笑って風呂場の玄関先からカランコロンと下駄を鳴らして現れ出たのは、うちの待ってた、ずっと待ってた千歳やった。相も変わらず胸元をだらしなく開けた着流しで、風呂場の壁に寄り掛かる。うちは感極まって千歳に駆け寄った。けど、濡れた床は滑りやすくなっとって、足をもっていかれてしまう。危うく転びそうになったところを千歳は抱えてくれた。外の匂いに混じった懐かしい匂いがうちを包む。

「危なっかしいとこは変わっとらんね、くら」

大好きな音が、響きが、耳を伝って体中に沁み渡っていく。ここ半年の乾きが潤う感覚がした。千歳の匂いを吸って逞しい体に擦りつく。千歳の大きな手はうちの頭を優しく撫でてくれた。何も変わらん、変わらんでいてくれた。

「はぁ…今度はどこ行ってたんや?」
「ちと東の方に用があっと。ようやく戻ってこれたばい」
「他の女にくらんでないやろな?なぁ?」

先の名残の涙目で千歳を見上げると、千歳は笑って「なかよ」と言った。ああ、でもうちはこの時いつも思うんや。千歳の言葉は花魁の口説と同じやないかって。うちを悦ばす言葉並べて、ウソみたい、それでも信じたい、と思わせるんや。

「くらが一番別嬪たい」

そう言うて口付けを落としてくれる。何度も何度も、うちがその気になるまで。そんなことしなくてもとうにうちの心は千歳のもんやのに。

「毎度お熱いなぁ、熱い熱い。ウチには花形太夫がおるんに」
「あの子もたいが別嬪やが、くらには敵わんとね」

そっと腰を撫でられて息が抜けてしまうんも、全部全部千歳が好きやからや。

「な、なぁ、いつ、いつうち抱いてくれるんの」
「んー、くらがもっと頑張ったらね」
「うち、頑張っとるんよ、やから、やから、はよ、はよしてや」

千歳はうちの言葉が全部、口説やと思とるんやろか。口説は興味もない客にだけや。千歳には全部、本心本音を並べてるんに、なんで気づいてくれへんの。着流しを握っても、泣いても、手だけは出してくれない。うちがもう汚いから?やからなん?千歳は今日も、うちの欲しい問いの答えを出してはくれへんかった。

「楼主さんに会わんといかんたい。くら、よか子で待っとっとよ」
「やや、行かんで」
「明日はここにおるけんね、急がなくてもよか」
「やって……んぅ」

駄々をこねるうちを宥めるよに口付けて、瞳を覗き込んで「ご褒美あげるけん、待っとっとよ」と囁かれれば、頷くしかできへん。しぶしぶ着流しから手を離し、恋焦がれる胸を押さえて千歳の後ろ姿を角を曲がるまで目で追った。

「ホンマ、千歳の気が知れんわ」

謙也は肩をすくめて泣き崩れるうちの肩に自分が着ていた羽織りをかけた。その優しい温度に瞳の奥がじんと熱くなった。



(若草物語より一部抜粋)
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