Ken×Hika
奇麗なサンゴの茨をくぐり、色とりどりのガラスで出来た扉を開けると、生活感のない空間がおれの視界を埋めた。整理整頓されたその場所は客商売向けのようにカウンターと、その裏には液体の入った瓶がずらりと並んでいた。奥にはホタテ貝のベッドなどおれ達人魚が使うありふれた家具が並べてあった。
「誰か来とるん?」
背後から声がして振り向くと、色素の薄い、外ハネが特徴的な長髪の人魚が物珍しそうにおれを見下ろしていた。驚いて距離をとると、人魚は小首を傾げて呟いた。
「人魚のお客さんは珍しなぁ、ここ最近ゲテモノが多かったんに…」
「目の保養になるわぁ」と人魚は口元を緩めておれに微笑んだ。その人魚は見たこともないようなくらいの美貌を持っていた。同性のおれでも目を奪われ、仕草の一つ一つに惹かれてしまう、一種の魔力を孕んでいるような。魔力…?
「あ、あんたが、西の魔女なんか…?」
「んー、ええ顔や。せや、うちが魔女って呼ばれとる」
魔女はにこっと笑ってカウンターに入った。頬杖をついておれをじっと見る。
「自分みたいな若い娘がここに来るなんて、めったにあることやないんやで?何か悩み事でもあるん?」
評判が悪いなんてウソだ。こんなに奇麗な笑顔を浮かべられる人魚に悪い人魚はいない。おれはその魔女に、姉達には言えなかったことを打ち明けた。すると魔女は目を伏せておれの話を一心に聞いてくれた。そして、それを聞いたうえで棚に飾ってある瓶の中で最も小さいものをおれの目の前に差し出した。
「自分はその“ケンヤさん”に会いたい。でも人魚のままでは会えへん。そこでこれの出番や」
「これ、…何ですか?」
「よくぞ聞いてくれたなぁ!」
魔女は愛嬌たっぷりの笑顔で胸を張って手のひらに収まるくらいの瓶にそっと指を添えた。
「これはうちの自信作や。人魚の掟から逃れるために改良に改良を重ねてようやく出来上がった秘薬…これを飲めば人魚の足とはおさらばや」
「どういうことです?」
「…ニンゲンになれるっちゅー話や」
「!」
自分の耳を疑ってしまうほど、魔女の言葉は衝撃的だった。確かにニンゲンになってしまえば人魚の起きてからは解放される。このウロコやひれがなければ。
「ただしこれには副作用が生じてしまうねん」
「副作用って、どんなですか」
「急激な変化に体が耐えきれんくて、激痛が伴う」
「………でも、それでもええです」
「ホンマに、飲む気か?」
これさえあれば、おれはケンヤさんに、会える。答えはもう、決まっていた。
「この薬、もらえますか」
「ええで。ただし何が起こってもうちは責任はとらん。それでもええなら持っていきや」
「わかりました」とだけ伝えてその瓶を抱え、一礼して魔女の屋敷を後にした。これを飲めば、ケンヤさんに―――…
おれは小さなふたを開けて、それをひと息に飲み干した。
―――…魔女は若い人魚に渡した瓶と対になっている、小さな瓶を手のひらで転がしていた。
中身は何もない、空洞となっているその瓶を愛おしげに眺めながらホタテ貝のベッドに寝そべる。その表情は恍惚としていて、イタズラに成功した子供のような無邪気さをも兼ねていた。
「ええ取引やったでぇ、自分」
いない相手に礼を言い、瓶の中に溜まっていく光に目をやった。儚げに揺れて、淡く発色する光はまるで若い人魚のように脆い。瓶いっぱいにまで溜まった光を閉じ込め、魔女は小瓶に口付けをした。
「毎度」
にやりと、口元を歪めて。
Mermaid
( Mermaid )
自分解釈版人魚姫。プロローグ的な位置で投下。←0328加筆
20120221 ナヅキ
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