Kurobasu


火黒ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【兎狩り】から二つ季節が過ぎ、まだ落ち着きを取り戻せていない頃。豪雪に見舞われた【帝光地区】では降り積もる雪を除雪する作業に追われる者や冬眠を迎えた者もいて、動物達はほとんど姿を現さなかった。覆うように茂った草に積もった雪の重みで巣が潰れてしまわないように、兎達は定期的に巣が見つからないようにカモフラージュした状態を保ちながら雪を除けなければならない。
秋の間に溜めこんだ木の実や果物が山のように高く詰まれた状態を何とかしようと、巣の奥の部屋で降旗は悪戦苦闘している。笠松は高尾と共に除雪作業に手を焼き、雪塗れで戻ってくる姿は手先や鼻を真っ赤にしているのを見ると交代で除雪作業を待つ兎達が寒さに震えるのが目立つ。これも巣を保つために仕方のないことだが、動物たちが巣にこもり、危険の少ないこの日だけは巣の外に出ることを許された黒子は楽しみに心を躍らせていた。

「テっちゃんなーに笑ってんの?」

まじ疲れんだからな?このシゴト、と除雪作業から戻ってきた高尾が黒子の頬をつつく。指の先まで冷え切ったその体を温めようと氷室が絹でこしらえたコートを高尾の肩に掛ける。頬に突き刺すようなその冷たさに一度は反射で目を瞑るも、外に出れるという楽しみの方が勝って寒さなんて忘れてしまいそうだった。

「お疲れ様、和成。奥で良が温かいスープを作っているからもらっておいで」

高尾は微笑を浮かべる氷室を見て、ああ、仕事で疲れて帰って来た時にこうやって迎えてくれる人がいるなんて幸せだ、と感じて思わず氷室に抱きつく。別段嫌がる様子もなく優しく受け入れるその姿は聖母を彷彿とさせた。思えば出迎えてくれる氷室、出来たての美味しい料理を出してくれる桜井、抱き締めるだけで疲れなんて吹っ飛ぶ黒子、頑張ったなと頭を撫でてくれる笠松、不器用ながらも労わってくれる降旗はいわば癒しの楽園に住む妖精か天使か何かだと錯覚できるくらいには充実した毎日を過ごせている。【兎狩り】がなければ出会わなかっただろう仲間との日々は、着実に、そして無意識に彼らの負った深い傷を互いに癒し合っていた。互いの種族を理解し、時には喧嘩もしたけれど、今ではそれもいい思い出となっている。

「氷室、後は任せたぞ」
「はい。奥で休んでいてください。…テツヤ、温かい格好をしておいで」
「大丈夫です。準備は完璧です」

高尾の後に戻ってきた笠松にも同様のコートをかけ、労わりの言葉をかける。黒子はやけに興奮した様子で外に飛び出した。慌てて氷室も黒子の後を追いかけた。
肌を刺すような寒さが体を覆い、吐く息は真白。一面の白い世界は久々に巣を出た感激の次に【黒子】の巣でかつて皆と過ごした記憶を蘇らせた。ぱっと視界が赤く染まる。【兎狩り】のフラッシュバックが起こり、瞳に映る世界には兎一匹映らない。一人ぼっち。それを感じ、ドクンと心臓が打つ。寒さか恐怖か、コートを羽織っているのに急激に体温を奪われる感覚がして振り返る。

「テツヤ?」

いた。生きている兎が。腕を伸ばして氷室を抱き締めるとその体温が感じられる。【黒子】の巣の現状をあの日確かに見た氷室はぎゅう、と背中に腕を回す黒子の体を包み込んだ。何か思い出してしまったのだろうか。
笠松は黒子に巣に留まらせることで辛い記憶を思い出させてしまうことを避けていた。皆より幼い黒子にそんな思いをさせたくない。巣の兎達は黒子にとても優しく接していた。

「……後で雪だるまでも作ろうか」

ね、と黒子の頭を優しく撫でる。こくんと頷いた黒子は氷室の手を握って他の兎達が集う屋根への梯子を上ろうとする。梯子に足をかけた瞬間、凪いでいた風が雪を連れて梯子を上る途中の黒子をさらった。ふわりと体を持ちあげるほどの風の勢いで、黒子の軽い体は風の流れによって林の方へ吹き飛ばされてしまう。氷室が手を伸ばすも黒子の指先を掠めただけで掴みとることはできなかった。雪と同化する白い幼兎は林の中へとその姿を隠し、風に煽られた梯子が積雪に落ちる。梯子が積雪に体を預ける前に、氷室は黒子が飛ばされた方向に無我夢中で走り出した。

「……ッ、テツヤ!」

黒子を外に出したのはオレの責任だ、これで死なせでもしたら、と嫌な想像が脳内を埋める。後ろからかかる兎の声も吹雪に掻き消されて氷室の耳には届かない。林の中へと消えていく黒銀の後ろ姿は荒れる吹雪に紛れて見えなくなった。



どれだけ走っただろう。足首を容易に飲み込む雪の上を走り続けるのは体力を奪われるには打ってつけの好意だったのかもしれない。長らく住んでいた【陽泉地区】は度々豪雪に見舞われる地方ではあったが【帝光地区】に移り住んだ後はその雪に苦労した記憶も薄れてしまっていた。
――――…鈍ったな。この程度の雪で息を切らすなんて。
自嘲気味に口角を吊り上げる。黒子の身を心配しているからこそ、焦りが生じているのがわかる。早く見つけ出さないと、と思うも黒子は雪と同じ真白の耳を持ってかつ髪は色素が薄い。羽織ったコートもベージュをしていた。わかりやすい黒地にしておけばよかった、と今になって後悔する。

「テツヤ!どこにいる!」

力の限り叫んでも返事はなく、横から吹く雪風にまともに立つことすらできなくなりそうだ。木の陰に身を隠して吹雪をやり過ごすも、黒子の姿はどこにも見えない。指先がかじかんで体温が落ちていく感覚に睡魔が煽る。重くなる瞼を気力だけで堪えて足を進めると、雪に埋もれた大きな切り株のある開けた場所に出る。そこには切り株の前に雪を被った黒子と、見たことのない狼が横たわっていた。叫びたい気持ちを抑えて走り、黒子の体に積もった雪を払い落す。コートや服が擦れて破れた形跡があるところを見ると枝に引っかかったのかもしれない。血が出ていないのが幸いのことだが、危惧するべきは隣の狼だ。

「テツヤ、テツヤしっかりしろ」

狼の様子を見ながら黒子の頬を叩き、意識を戻そうと試みる。痛みにうっすらと目を開けた黒子の無事を確認し、隣で横たわる狼に視線を落とす。赤毛の狼は呼吸をかすかに感じるものの兎がこんな近くにいるのに噛みつかない――気がついていないのだろうか――のは何かおかしい。

「大丈夫かい、よかった…」
「は、い、風に飛ばされて怖かったですけど、…この狼さんにぶつかって……」

吹き飛ばされたままの速度でこの切り株目がけていたのなら、こんな軽傷では済まされない。ということはこの狼は黒子が飛ばされるよりも前にここにいたということになる。氷室は細心の警戒を払いながら黒子を狼から遠ざけて危険を承知で狼に近づくと、後ろから黒子が必死に訴える。

「その狼さん、さっきから動かないんです」

もしかしたらと狼を気にかける黒子に氷室は死んではいないよと告げる。狼の上に重なる雪を払うとその下から血に汚れた雪が顔を出した。氷室に隠れてその様子は黒子には見えていないらしい。血を見せればパニックに陥ってしまうかもしれないと推測した氷室は狼が動けない=喰われる心配はないと判断して雪から巨体を引きずり出した。赤い雪は周りの雪で覆うようにして誤魔化した後、氷室が置いていこうとしたまだ息のある狼を見て黒子は言う。

「その狼さん、ここに置いていくんですか」
「巣に連れていくって言うのか?こいつは狼だぞ、正気か?」
「でも、その狼さんは何か違う気がするんです」
「…こいつを連れて帰って、巣の皆が喰われたらどうするつもりだ」
「山桃の、山桃の匂いがしたんです。その狼さんから」

厳しい顔をする氷室は黒子の言葉に眉をひそめる。狼は肉食だ。木の実を食べる狼など聞いたことがない。

「昔母から聞いたことがあるんです。兎の味方をする狼がいたと。僕らと同じように食事をする狼がいたって」
「……そんな話、聞いた覚えはないな」
「信じてください、彼にはその可能性があります」

黒子はきっぱりと断言するような口ぶりで氷室に言う。氷室は半信半疑で狼に顔を寄せると、黒子の言う通りに山桃の匂いがかすかにだが感じられた。
いつまでもここに留まるわけにもいかない。吹雪は先ほどよりもひどくなっているし、体温を奪われて凍死するのだけは免れたい。かといってこの狼を置いていこうとすれば黒子もここを動くことはないだろう。自分の使命は何だ?黒子を連れて帰ることだ。けれど狼を連れて帰るわけにもいかない。試行錯誤の結果、氷室は狼を引きずるように背負って黒子と共に巣へ変えることに決めた。難しい結論だと我ながら思う。非難を浴びるのは覚悟をしていた。



巣へ着くと心配して待っていた兎達は予想通り身を強張らせて氷室達を見ていた。事情を話すのはまず、この狼の四肢を括ってからだと残して氷室は自分の部屋のベッドに狼を寝かせる。壁にかけていた縄で暴れないように手足をきつく縛り、不安げに見詰める兎達には黒子が先ほどと同じように弁明していた。
狼を巣に連れ帰ってきたという報告はすぐに笠松の耳に入り、黒子は笠松を前にして苦戦していた。この兎達を指揮する笠松を説得しなければ、あの狼は助けられない。自分にはわかるのだ。あの狼は白であると。

「氷室は黒子に甘すぎる。手足を縛ったぐらいで狼を防げるとでも思ったら大間違いだ馬鹿野郎!」
「で、でも笠松サン!あの狼全然覇気ないっすよ?いや、そりゃ狼は警戒して損はないっすけど…」
「あんなのは演技でもできる。喰い殺すつもりがないと言い切れるわけないだろう」

狼の傷は肉食獣に噛まれた傷跡だと、応急処置を施した氷室は言う。処置の際の痛みに反応はするものの未だ意識は戻ってはいない。

「なんならオレの部屋を施錠して、南京錠でも付けてもらっても構いません」
「でもそしたら氷室サン部屋から出られなくなって危ないじゃないっすか!」
「テツヤを信じて巣に連れ帰ってきたんだ。皆を危険に晒しているのはわかってる。だからオレが責任を持つ」
「僕も一緒に残ります。僕が言い始めたことです。僕にも責任があります」

結局、黒子と氷室が狼の対処にあたり、危険を回避――被害を最小限に――するために笠松は心を鬼にして氷室の部屋を施錠した。心配そうに見つめる兎達はこの部屋に近づかないようにとだけ伝えてその場を収め、念のために降旗にこの部屋の監視を任せた。
部屋には数日分の食料と何段にも積み重ねたタオルや薬草を煎じて作った薬などが置かれた。狼の傷は癒えるにはまだ時間がかかる。手足を縛ったがいつ起きて暴れるかわからない。その恐れもあるため油断はできない状況だった。

「…すみません、僕のせいで氷室さんに迷惑をかけてしまって」
「気にしなくていいよ、例え彼がオレ達を襲っても、オレが死んでも止めるから」

浮かべる笑顔は少しやつれているように見えた。黒子は負い目を感じながらも、この件は僕が処理しなければいけないと決意していた。この巣に住まう兎達の命がかかっているのだ。幼い兎の判断だなんて言い訳など通用しない。一種の賭けだった。彼が本当に兎を食べない狼ならば強い味方になりえると思ったのだ。母の話は事実だと思える根拠は黒子がまだ、今よりも幼かった時に仲の良い狼が傍にいた、そんな記憶が頭の端にあったからだ。

「彼は悪い狼じゃない。これは本当のことだと思います」

負傷した狼を見詰める瞳は今まで以上に強い意志を秘めていた。【兎狩り】の後、黒子と出会った時から。これからの人生を共に生きると覚悟していた氷室にとって、最初から黒子を否定する選択肢など無かったのかもしれない。 




紫氷ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「…幸男さんに花束をあげたい?」
「はい」

目を丸くする氷室を見つめるガラスのような瞳は、だめだと言っても聞かない頑なさを映した。困ったな、と微笑する氷室の顔にもさすがに苦さを隠し切れてはいなかった。
【兎狩り】の後、オオカミの目をかいくぐりながら細々と暮らし、ようやくそれに慣れてきた春のとある日のこと。あの日から兎達の為に目まぐるしい日々を送ってきた笠松の為に何かしてやりたいと桜井に相談したところ、丘の上の花畑は春を迎えてとても華々しいと言う。そこで黒子は花を摘んで笠松達にプレゼントしたいと考えたのだ。だが兎達の中でも幼く非力な黒子を一人では巣の外へは行かせられないと言う笠松の判断ゆえ同伴者がいないと花畑へも行かれない状況だった。高尾は今日も森へと出向いて森の状況調査をしているし、桜井はほとんど食事を任されていおりその支度で忙しい。筆頭である笠松には当然秘密にしてあるし、降旗は家事の当番に当たっている。ちょうど仕事が終わって手が空いているのは氷室だけ。

「確かにあの丘の花畑は奇麗だけれど、見晴らしがよくて熊や狼に見つかりやすい。いくらテツヤのお願いでも、それは聞けないな」

けれど氷室は黒子の身を案じて、過保護の域にまで達しているくらいの心配性だ。そんな危険な場所に、増してや自分が連れていくなんてことはしないだろう。案の定首を横に振られた黒子はしゅんと首を項垂れる。わかってはいたものの、恩返しがしたいと思う気持ちは一向に収まることはない。危なっかしいという理由で家事の手伝いもできず、かといって皆をまとめることもできない。加えて高尾のような柔軟性など持ち合わせていない。せめて自分ができることは皆を労ることくらいだ。そしてそれも許可が下りなければ実行に移すことはできない。

「…火神君が一緒でも、ですか?」

ちら、と窓を覆う草の隙間から林を見やる。彼はこの巣から離れた林の中で一人、暮らしている。
火神とは雪が降り積もる寒い寒い冬の日に、巣の前で倒れていた一匹の狼のことだ。空腹に力尽き、氷室と黒子によって元気を取り戻した火神とは兎に対しての食欲がないことを確認した後、黒子と鏡は友達と呼べる関係になっていた。そして同時に用心棒としても働いてくれている。彼と共にいるのならば狼や熊だって追い返せる。何も危なくなんかない。
黒子の視線からそれを読みとった氷室は食い下がることのない黒子の態度に折らざるを得なくなり、色素の薄い水色の髪を撫でた。

「……わかったよ。タイガも一緒なら心強いからね」

まったく、テツヤには敵わないよ。そういう氷室の表情は先ほどとは打って変わって穏やかだった。




色とりどりの花々が歓迎する丘はいつか来た時よりも美しい、髪をなでるそよ風に打たれながら氷室はふと思った。黒子と火神ははしゃいで花畑を走りまわっている。花を散らさないようにするんだぞ、と声をかければ元気のよい返事が返ってくる。…ずっと巣にいさせるのもそれはそれで辛いものか、と外に出て思う。火神と共にいるからか、外の空気を吸って活き活きとする黒子はいつもより楽しそうだ。

「ほら、花束を作るんだろう?二人ともはしゃいでないでこっちへおいで」
「おう!」
「はい!」

桜井お手製のご飯を下げて持ってきていた氷室はちょっとしたピクニック気分を味わっていた。いい気分転換にもなるか、と。

「よし、いいもん作ってやるよ」

花を摘み、片手に纏めていく黒子の横で、火神は得意気にシロツメクサを冠状に編んでいく。おお、すごいです、と口々に感嘆の声を浴びて上機嫌の火神は器用に作り上げたシロツメクサの花冠を黒子の頭に乗っけた。

「わぁ、火神君て見かけによらず器用なんですね」
「本当だね。不器用かと思ってたのに」
「見かけによらずってなんだよ。それにタツヤも!」

ぱぱっと氷室の分も花冠を作っていた火神は、氷室にやらねーぞ、と脅すもひどいなぁ、さらりとかわされてしまう。くれないのか?と催促された火神は諦めて氷室に花冠を手渡すと、二匹の兎は揃って笑みを浮かべる。今までは一人で暮らしていた火神も黒子と氷室と出会って感情が豊かになってきたと実感していた。家族のいなかった火神はこの空間が温かく幸福な時間が過ごせる数少ない場所でもあった。
ぴく、と火神の耳が震える。笑いあう兎を庇うように聴覚を研ぎ澄ませ、辺りに注意を払う。

「どうしたんだ?」
「……シッ、誰か来る」

火神のその言葉の後にガサガサッ、と森の木が揺れる。風に吹かれた音ではなく、作為的に鳴らされたそれに氷室は黒子を背に隠す。キッと睨んだ茂みの中から現れたのは、未だ見たことがない、規格外の体格を持った狼だった。

「………ッ!」

息を飲む氷室の背から少しだけ顔を覗かせた黒子も止めからも良く分かるその巨躯に体が怯えるのがわかった。
大丈夫、僕らには火神君がいる。ちらりと火神に視線を寄こすと火神も暗黙の了解を経て狼の前に立ち塞がる。のそりのそりと緩慢な動作で花畑に侵入する狼は大きな欠伸を一つして、目の前の三匹を視界に捕えた。

「あー、なんかいたー」

間延びした、緩い口調が特徴的な兎は火神が警戒するのとは逆に、ゆったりとした所作で間合いを詰めてくる。ずしりずしりと重い足音を鳴らして近づく狼はこちらの動揺を誘っているのか意図はわからない。

「なんかおいしそーな匂いしたんだけど、何持ってんの?」

火神を無視してご飯の詰まった籠を持つ氷室に寄る狼は鼻を鳴らして伏せ目がちに籠を見詰めた。火神はいつ狼が黒子や氷室を襲うかタイミングを見計らっている。噛みついたら速攻で喉元に食らいついてやる。

「あ、…ああ、食べるかい?」

氷室はぎこちない動作で籠の中に収められた山桃のジャムの瓶を取り出した。多分、これが一番強い匂いを放っているはずだと見当をつけて。狼は肉食だけれど果物も食べる個体もいるはず。願わくばこの狼が果物も嗜好品として食べる個体でありますように。

「そーそーこの匂い、食べていーの?」
「いいよ、君にあげる」
「ありがとー」

ふわりと笑う狼に敵意を感じない。それがすごく怪しかった。油断したところをばくっといくのではないかという一抹の不安を胸に抱え、けれどそれを知られてはなるまいと平静を装う。できるだけ、高尾のようにフレンドリーに。
氷室が背に庇う黒子は少しだけでも花を摘めたはずだ。それに火神が作ってくれた花冠もある。プレゼントとしてはまあまあのものだろう。隙をみて帰るしかない。氷室はジャムを夢中で食べる狼を横目に作戦を練る。

「これすげーうめーし!もうないの?」
「ごめんね、これだけしかないんだ」
「そっかぁ…」 
「気に入ってくれて嬉しいよ」

狼の口についたジャムをそっと拭うと、狼は名残惜しそうに瓶に視線を落とす。氷室の行動に火神は青ざめた顔で見ていたが、何か考えがあるのだろうと思いこむことにした。

「オレ達はそろそろ帰らなきゃいけないんだ」
「もう?」
「日が伸びたにしろ、すぐに暗くなってしまうからね」
「えー、残念」

駄々をこねそうな狼は見逃すのと引き換えなのか、じゃあ名前教えてよ、と氷室に詰め寄った。食べ物くれる人に悪い人いないし、と何の根拠か氷室達にはさっぱりだが、彼なりの根拠があるのだろう。

「……氷室。氷室辰也だ」
「じゃあ室ちんだ。ね、またここに来てくれる?」
「ここに?………ああ、わかったよ」
「約束ね」

深追いがしないタチなのか、狼は去る時は自分から動いた。嬉しそうに微笑んだ表情に敵意など微塵も感じられなかったが、やはり面と向かって対峙したせいで氷室は精神を使い果たしてしまい、狼が去った後すぐにへたり込んでしまった。

「タツヤ!」
「辰也さん!」

大丈夫か、と弟分達は心配してくれるが氷室の体の震えは治まらなかった。火神を遥かに超える体格の狼と対峙した氷室の疲労は生半可なものではない。獰猛さは見受けられなかったがそれでもあの体格ならば顎の力は想像すらできない。噛みつかれたら即死だろう。震える体を抱き締めて、弟分達の前で虚勢すら張れなくなった自分を嘲笑して言った。

「はは…、オレが死んだら、せめて墓は立ててくれよ?」

口からは精一杯の冗談をついて出るけれどやはり体は正直なもので、いくら敵意を感じられなかったとしても狼に対して率直に感じた恐怖は未だ拭えてはいなかった。
我ながら無茶な約束を取りつけてしまった。この場を収めるには頷くしかなかったんだ。寿命が縮んだ、と氷室は落ち着かない胸を押さえて大きなため息を零し、火神の肩を借りて巣への道を戻った。




緑高ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「収穫ナシ、かー」

くああ、と木の幹に腰掛けて欠伸を一つする。高いところは好きだ。遠くを見渡せて、敵の姿が良く見える。優雅に舞う小鳥に何か変わったことはないかと尋ねてみても、小鳥たちは何もないよとさえずるだけ。何の変哲もないこの平和を噛み締めて良いものか、高尾は思考する。【兎狩り】から時間は経つとしても季節は一回りしていない。狼に狙われているとはいえど熊や狐も兎を食べる。危険は常に傍にあるのだ。

「とりあえず、この付近は特に警戒する必要も――――」

ないか、と続けるはずだった。見落としていた。自分が上るちょうど木の下に見かけない姿を発見したからだ。降りなくてよかった、とひと安心する。
ピンと立った耳、あの形は狼の類だと確信するも、その一際森と同化する緑色は今まで見たことがなかったのだ。微動だにしない狼の下にするすると木のツルを伝って音を立てないように狼の目前にぶら下がる。黒ぶちの眼鏡の奥には長い睫毛が揺れていた。

(すげー美人…)

万が一狼が起きたらすぐに木の上に避難できるようにとツルに足をかけたまま、そっとその眼鏡を奪う。眼鏡なんて高級品は当然貧しい兎には手に入らないものだ。眼鏡を外した狼の顔をまじまじと見つめると、またその整った顔立ちに、その頬に触れたくなった。すっと通った鼻筋に無意識に開かれた唇の隙間、耳と同じ緑色の前髪が閉じた瞳を半分だけ隠す。我ながら馬鹿らしい、食べられる側の兎が食べる側の狼にこんな興味を持つなんて。指先が狼の頬を掠めた時、ぱちっと狼の深緑の瞳が開かれた。慌ててツルを上って狼の手の届かない距離まで離れて様子を見る。

「誰だ!」

辺りをきょろきょろと見渡してピントが合わないことに気がついたのか、中指を目と目の間に置いた瞬間舌打ちが聞こえた。大分イライラしているのか、抱えていた本は無造作に置き、尻尾の毛を逆立てて睨みを利かせているも加害者である高尾は頭上だ。上を向かない限り高尾には出会えない。

「そこの狼サン、探し物はコレだよな?」

眼鏡を狼の眼前にぶら下げると、狼は手を伸ばしてそれを取ろうとする。が、高尾は狼の腕が眼鏡を捕える前にひょいと引き上げてしまう。そしてしばらくしてまた同じことを何度か繰り返すと、狼は大変遺憾な様子で高尾がいるであろう頭上に向けて言葉を放った。

「何をするのだよ!」
「へ?何をするのだよ、って……何なのだよ?」
「ッ、真似をするな!」

ぷくく、と狼の変わった口調に吹きだしそうになる高尾は必死に笑いを堪えて再度眼鏡をぶら下げた。すると狼は高尾が下げるタイミングを図っていたようで、高尾が眼鏡を下げると同時に狼は地面を蹴って垂直に飛んだ。がっと掴んだのは眼鏡ではなく、高尾の細腕だった。

「へ、ぇ……え、えぇぇぁぁあッ!?」

ぐん、と下に引っ張られる重力は狼の体重も重なり、高尾の体を支えるには掴まっていたツルは強度が足りなかったようで、狼に引っ張られるがままに落ちて行った高尾は草の茂る地面にダイブすることになった。ただ、狼も視界が不十分なせいで足場を崩したのか、高尾が目を開いた時には自分に被さるような体勢になっていた。
狼から香るのは書庫の匂い。本のどこか懐かしい匂いが鼻を掠めた。体を起こした狼はとても、とても奇麗な顔をしていた。眼鏡がないせいで若干キツイ顔になっているのを考慮しても、この狼に見惚れてしまうのも仕方がなかった。
高尾の手から強引に眼鏡を奪った狼は、眼鏡越しに改めて高尾を見て瞬きをした。

「……兎か」
「何だよその顔。兎ごときにからかわれて心外だっつー顔してんな」
「空腹ならばお前を喰い殺していたところだ」
「わぁ怖い、でもさっきは超面白かったぜ?“真ちゃん”」
「!」

狼が動揺した隙に高尾は素早く狼の下から逃げ、近くに垂れるツルを伝って高枝に上る。

「…何故オレの名を知っている!貴様は何者だ!」
「そう怒んなって、キレイな顔が台無しだぜ?」
「軽口を叩くな!」
「なんでかってはその本に書いてあったからー…」

高尾が指差すその先には、先ほど狼が抱えていた本に文字が書かれていたからだ。高尾含む兎は基本的に学はなく、地が読めない個体がほとんどだ。稀に文学を好む兎――黒子のような個体もいるが。高尾はほんの少しだけ、かじった程度しかわからない。その中で、狼――緑間真太郎の中の“真”を読めたからそのようなあだ名をつけたのだが、緑間には不評だったらしい。

「知ってるぜ。“真”って字は正しいって意味だろ?いい名前じゃん」
「…字が読めるのか」
「少しだけ、な」

緑間の手が届かないことをいいことに、高尾は枝に寝そべって緑間を見下ろす。淡い橙の耳を揺らしながら。

「名前は何だ」
「知ってどうするんだよ」
「お前のような兎は初めて見た。故に興味が湧いた。名前くらい覚えてやっても構わない」
「何その上から目線!…いーぜ、気に入った。オレもあんたみたいな狼は初めてだ。オレは高尾和成。よろしくでっす」
「……ハッ、下らん」

愛嬌たっぷりな高尾の軽口を軽く払った緑間は、自らの名が記された本を抱えて軽く嘲笑う。ただ、読み書きができる兎というのは珍しい。
食物連鎖の上位に位置する動物達は捕食者であるので学を学ぶ余裕がある。反対に下位に位置する動物たちは常に命を狙われている立ち場であるので読み書きができない者が大半を占める。
高尾は兎=下位であるのに読み書きができる、というところに緑間は興味を抱いていた。

「貴様、…高尾と言ったな。学があるのか。読み書きはどのくらいできる」

木に登ることはせず、緑間は高尾の寝そべる大樹を見上げる。高尾は枝の先に生る実を摘んで咀嚼しながら緑間を下目に見やる。

「いんや。期待されるほどできやしない。…なに、真ちゃんが教えてくれるの?」
「馬鹿め。何故オレがそんな面倒なことをしなければならないのだよ」

お前に聞いたオレが馬鹿だった、と言いたそうに憎々しげな視線を向けると、高尾は淡い色の耳を小さく畳み、いかにも怯えてますという外見で余裕綽々な視線を返した。
眼鏡をくい、と直す緑間は疲労を表すように溜息を吐いて踵を返した。

「次に風が南から吹く時!」

去りゆく後ろ姿に、高尾の声がかかる。足を止めた緑間は振り返ることはない。それでも構わないとでも言うように、高尾は声を張った。

「オレはここに来るからっ!」

この大樹を目印に。それじゃあな、と高尾は器用に木を乗り換えて自分の巣へと戻っていった。その姿を視界に入れることはなかったが、緑間はそれを聞いて静かに歩きだした。

「…まるで食べてくれと言っているようなものなのだよ」

あんな馬鹿な兎は見たことがない。緑間の口角は高揚か期待か、はたまた呆れから来るものなのか。それは自分でも気付かないくらいに、自然と上がっていた。
――――…本日の蟹座のラッキーアイテムは自分の名前が書かれた本。
そのラッキーアイテムが導いたこの出会いが、運命に寄るものだとしたら―――…?



青桜ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『あおみねくん、みてください。おはながとってもきれいです』

脳裏に焼きついて離れないのはいつか見た幼兎の笑顔。
―――…いつからだ。こんな夢を見るようになったのは。
狩猟に楽しさを見出せなくなって、何をするにも退屈になって、何をするにもやる気が起きなくなった時に夢枕に現れる幼兎は青峰にあの頃を思い出させる。

『あおみねくん、きみはぼくのひかりだ』

それは青峰が赤司の指揮下に入る前の、淡く花の咲く季節。毎日が楽しいと思えた色の付いた記憶の中には必ずあの幼兎の姿があった。他の兎とは違う、異質なものを内に秘めている兎と青峰は捕食者と被食者の垣根を越えた友人関係にあった。互いを信頼し合えたからこその絆がそこには確かに存在した。

「…………くそ、」

だが幼兎の巣が狼に襲われ、幼兎自身も命の危険に晒されたことから無理やりに引き離されてしまった。当時青峰は幼兎を食べる目的で近づいて、油断させたところで喰い殺すつもりだという出鱈目な噂まで流れてしまい、離れざるを得ない状況にあったことは否めない。
それからだ。青峰の性格が変わってしまったのは。腐っていく自分を本来のものへ戻すように、夢に現れる幼兎はあの頃と変わらない笑顔を向ける。それが、青峰にとって辛いものだと知らずに。
青峰は乱暴に頭を掻き、窓に目をやる。外はまだ薄暗い。時刻にして早朝四時くらいか。普段はこの六時間後くらいに目を覚ますはずなのに、幼兎が現れる日は決まって早朝に目覚めるのだ。

「あ、峰ちーん」

ノックも遠慮もなしに扉の縁をくぐって侵入してきた紫原は、開口一番「赤ちんがね〜」と口にした。
赤司といえば、青峰に指揮下に入る交換条件を提示した。その交換条件とは、赤司の監視下に入る代わりに任一定の条件下で自由な行動をしていいというものだ。ただ、些か自由すぎて青峰の真似をする狼も増えているという報告があったことからその“一定の条件”を赤司から提示されたのだ。

「だってさ〜。峰ちんは皆のお手本だからしっかりね〜」

じゃーね、とまたマイペースに部屋を出て行った紫原は彼らしくなく急いでいる様子だった。まだ早朝だと言うのに一体どこへ行こうと言うのか。気だるい頭はそれを追求することもなく、頭は赤司に提示された条件を果たさなければならないという義務感に苛まれた。
青峰は眉間に皺を寄せて伸びをすると、ベッドから這い上がる。胸の内に生じて留まるもやもやを振り払おうと、いつものように窓を開けて飛び降りた。



早朝の空気は冷たい。冷え切った風が髪を撫ぜて北に流れる。それと共に眠気も流れて行って、覚醒した頭が空腹を訴えた。狩猟は楽しいものだった。最近は自分の実力に見合うものがいないので狩猟もなあなあになってはいるが、今は子分もいなければ黄瀬もいない。一人でいる時が唯一自然体でいられる。食事を済まそうと、「かったるい」とでも言いたげに森に足を踏み入れた。
適当に出くわした猫を捕まえて腹が膨れたところで、赤司に言い渡された仕事が頭をよぎった。提示された仕事は、森を回って生態系のバランスを調査することだ。と言ったって青峰には理解すら難しい。要するに捕食者と被食者が偏って見られるかどうか、だと紫原に言われた。あの紫原が理解できるのなら青峰にも理解は可能だが、おそらく赤司がそう説明したのだろう。

「たりー…」

もともと赤司から仕事を言われることの少なかった青峰は、適当に森を歩いて回ることにした。
満腹になって少しすると眠気に襲われるのは誰もが経験したことがあるだろう。生あくびを繰り返しながら、身を隠すこともなく森を見渡す。視界に捕えた動物は捕食者であろうが被食者であろうが青峰を避けて逃げてしまう。これって調査というか、威嚇じゃねーのか、と疑問が湧いてくる。が、それが赤司の狙いなのだろう。この区域は赤司率いる狼の群れが蔓延っていることを見せつけて実質的に支配する。洛山の時もこのようなことをしたんだろうか。まあオレには関係ねーけど。
ふと、鼻がどこか懐かしい薬草の匂い嗅ぎつけ、興味本位で近づいてみる。するとその先には籠いっぱいに薬草を摘む兎の姿があった。
兎――桜井は巣に貯蔵していた薬草が底をつきそうになったことを把握して、調達に出かけているところだった。薬草は桜井の兎の主要な食物であり、怪我をした兎の治療薬にも使われる。が、その効能ゆえに薬草が生える地域は限定的だった。桜井の元いた【桐皇地区】には薬草が多く生い茂っており、食物に苦労はしなかったが【帝光地区】は薬草の生る地域は少なく希少だった。それに早朝なら多くの肉食動物はまだ眠っている時間で危険も少ない。絶好の時間帯だ。
が、今日に限っては青峰という【キセキ】の狼が来てしまった。こればかりは桜井にも予測はつかなかった。

「………ぅわっ!」

背後に気配を感じ取った桜井が後ろを振り向くと、その数十メートル先に青峰の姿があった。脱兎のごとく走り出した桜井はまさか青峰が追ってくるとは思わなかった。危険に敏感な【桜井】は通常捕えるのが難しい。が、逃げるのが遅かったわけでもない。危険を察知するのが遅かったのでもない。ただ、青峰が早かった。
桜井の着る襟の開いた服の裾を掴んだ青峰は、そのままぐいと引っ張って桜井の足を止めた。青峰は籠を抱くようにして尻餅をついた桜井の目線の高さに屈んで、恐怖で潤む大きな瞳を覗きこんだ。

「すっ…スミマセンスミマセン逃げたりなんかして追われるってわかってましたけど逃げずには居られなかったっていうか…!僕なんて食べても美味しくないです本当にそれには自信があります草の味しかしないんで!」

籠を盾に必死に謝り続ける桜井は耳を畳んですっかり怯えている様子でじりじりと後ずさる。が、青峰は裾を離すどころか掴んだまま懸命に謝る桜井を面白そうに見つめていた。
桜井は自分が見つめられていることに気付くと恐る恐る籠をずらして青峰に視線を送る。

「お前、桜井の兎か?」
「……え?あ、ハイ!そ、そうですけど…お、美味しくないです」
「オレの地元によくいたんだよなー、あんま見かけなかったけど」

青峰は品定めをするように桜井の耳の先からつま先まで視線を流した。夢の幼兎とは違う、垂れた淡い桃色の耳はふわふわとしていて愛くるしさを覚えさせる。幼兎も垂れ耳だったが、やはり合致はしなかった。

「ぼ、僕なんかよりこの薬草の方が何百倍も美味しいです!よかったらこれ全部持って行ってください!」
「は?」
「え?い、いや、だから、その……」

慌てふためいてパニックを起こした桜井は自分でも理解する前に肉食動物には何の意味ももたないことを口走っていたことに、言ってから気がつく。肉食動物にとっては草は草でしかないのに、何を言っているんだ僕は。
今にも涙が零れおちそうなくらい溢れて、震えた声の桜井に、青峰は笑いを堪えられなかった。

「お前面白い奴だな!オレら狼は草なんか喰わねーのにうめーとか」
「す、スミマセン!」
「しかも謝ってばっか」
「…スミマセン、…あ、す、スミマセン!」

桜井は青峰の記憶にある兎とは異なる。青峰の中にある兎の像は、狼にも慣れ親しんだ態度の、あの幼兎だ。だから兎をみる基準が他の狼とはズレていた。しかも青峰は兎を好んで食すことがない。幼兎と触れ合った想いでがそれを拒むのだ。
まさか初対面でこんなに怯えられるとは思わなかった。その様子に興味を持った青峰は昔幼兎と遊んでいた頃を思い出して思わず笑ってしまう。

「お前はオレの知ってる兎じゃねーが、面白ェ」
「た、…食べないんですか?」
「オレは兎は喰わねーよ。そう決めてんだ。…ま、腹が減ってたら違ったかもしんねーけど」

一番最初に会わなくてよかったな。そう言うと桜井はビクッと震えあがる。その様子も見ていて楽しいのか、青峰は上機嫌だった。
桜井も桜井で青峰のような狼に出会うのは初めてだった。とっ捕まえたのに、食べない。兎は喰わない主義?そんな狼初めてだ。だから非常に混乱していた。
朝日が差し込んできたのを確認すると、青峰は桜井の頭にポンと手を置いて立ち上がる。そろそろ黄瀬が部屋に乗り込んでくるころだろう。いないと知ったら森まで探しかねない。兎も怯えていることだしもう少し見ていたいがここで別れた方が懸命な判断だ。

「せいぜいオレ以外の狼に喰われねーようにな」

そう思った青峰は青峰の行動に視線を送る桜井と別れて一人帰途についた。頭と撫でた時の感触が、あの幼兎に似ていた気がして。
調査を報告した際赤司に指摘されるまで、口角が上がっていることに気付くことはなかった。




黄笠ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ねーねー青峰っちー」
「うっせーな」
「あーおーみーねーっちー!」
「うっせーつってんだろ!」

青峰っちの狩りがみたい。スリルをこの体で感じたい。目の前で起こる、生と死の攻防を。刺激が欲しい。今のオレには刺激が足りない。
青峰っちみたいな狩りがしたい。【海常地区】をうろついていたらいつの間にか【桐皇地区】との境目に来ていて、そこで偶然目撃した狩猟。楽しげに笑いながら勝敗が決する。自分より大きくても、自分より頑丈でも。どの動物が相手だって、青峰は屈せずに、そして楽しそうに勝利を得る。

「狩りしないんスかー?」
「しねーよ。ったくなんだって今日はぴーぴーうるせえのがたくさん…」
「え?」

後ろから抱きついてゆらゆらと揺らす黄瀬をひっぺがして、青峰は面倒臭そうにコートを羽織る。

「赤司もうっせーんだよ。生態系の調査がどーたらこーたら……しかもそれをオレにやらせようってんだからな」
「赤司っちが?……あー…だって青峰っちさ、最近ぐーたらしてあ痛っ!」

ごつん、と頭上にゲンコツが降ってくる。鈍い痛みにじわりと目元が潤む。殴られた箇所を両手で押さえて尻尾を丸めこむと、視線の先にはのろのろと準備に取り掛かる青峰の姿が見えた。
多分、ここ最近の青峰の職務怠慢が赤司の目に留まり――多分、頭痛を起こしたのだろう――やむなく命令という形を取って仕事をさせたのだ。

「じゃあな」

コートを翻して部屋を出ていく青峰の後ろ姿を見送った黄瀬は、一人部屋に残された。ばふっとベッドに背を預けて瞳を閉じると、自分がとても活き活きとしていた頃の映像が脳裏に浮かび上がる。楽しかった狩猟も今となっては食事をするだけの、味気ないものになってしまった。それも青峰と同じような狩猟がしたいから、楽しい狩猟をしたいからという思いがあっただけに反動は大きかった。少しは骨のある動物と、そんなゲームができたらな、なんてものは夢か幻かの二択だ。
青峰がいない今、黄瀬の興味は何にも向けられてはいなかった。赤司から言い渡された仕事はなく、一日フリーの黄瀬を追いかけまわす雌狼は群でいたが、それを振り切って青峰の部屋まで来たのに。あーあ。黄瀬はゆっくりと体を起こす。

(……青峰っちのばーか)

何気なく覗いた窓の先には、未だ足を踏み入れたことのない林が広がっていた。




がさり、草を踏み分けて林の中に分け入る。森よりも自然は少なく、目に見える範囲での動物もあまり見かけない。といっても黄瀬の姿を見た動物達は慌てて逃げて行ってしまうからだ。それを追いかけて仕留めるのは黄瀬にとって造作もないことだが、立ちはだかってくれた方がやる気が出ると言うものだ。逃げ行く動物達を意にも介さず、林を進んでいく。

「うーん、と。めぼしいものはっと…」

進んだ先には何か大きな動物が住んでいると思しき住み家を発見した。覗いてみるとそこに気配はなく、もぬけの殻だった。逃げたのかな、と思う反面、まさか、という期待が胸の内に湧く。これだけの大きさの住み家ならばオレとも対等以上にやりあえるはず。しばらく感じていなかった高揚感に包まれて思わず口元を吊り上げる。
そうと決まればこの住み家の持ち主を探さなければ。思い立った黄瀬は地面を蹴って辺りを探索し始めた。

「……ん?」

しばらく探索していると、傍目では何の変哲もない林の風景なのだが、黄瀬にとっては少し、違和感を感じる場所があった。草や木でうまく誤魔化せてはいるものの、狩猟で培われた野生の勘は誤魔化せなかった。
そっと近づいて住み家を覆う草に手を掛けようとした瞬間、黄瀬の背後の草むらが揺れた。すかさず後ろを振り返ると視界に爪を構えた兎が自分目がけて爪を振り下ろす場面が映り込んだ。間一髪その爪を避けると黄瀬はすぐさま兎と距離を置いた。

「あっれー、……見たことない兎ッスね」

黄瀬の眼前には凛々しい顔つきの兎が臨戦態勢に入っていた。短毛の、薄茶の短い耳をピンと立てて警戒を示す兎は鋭い目つきで黄瀬を睨みつけていた。

「へぇ…もしかして、オレとやり合うつもり?」
「キセキともあろう狼がこんな辺鄙なところに何か用でもあるのか」
「お、知ってんスか。オレも有名になったなぁ」

軽く笑う黄瀬は今までこのように自分に立ち向かってきた下位の動物達を思い出しては脳内に並べていた。それも数少ない。ああ、なんだか面白い展開になってきた。自分の中の本能が揺すられる、そんな感覚に生唾を飲み込む。

「そんなやる気見せないでよ。ここ、アンタの巣だって言ってるようなモンじゃないッスか」
「!」
「んー…じゃあオレとゲームしてよ。アンタが勝ったら見逃してあげる」

背後から襲われたとはいえ黄瀬の相手は自分より遥かに弱い、兎だ。初手で黄瀬を多少なりとも驚かせた兎をみすみす殺すわけにはいかなかった。黄瀬は何より退屈だったから、自分を楽しませてくれるのは例え下位の者でも気にはしなかった。
対して兎――笠松は焦燥を感じていた。
まさか、自分が巣から離れている間に狼、それも【キセキ】と謳われる位の者が巣を見つけてしまうなんて。【兎狩り】から時間は経つにしろ巣をカモフラージュするにはまだ不安定だった。見つかるのも時間の問題だ、と思っていた時にこの始末。巣の中には高尾と桜井以外の兎が取り残されている。もし見つかって黄瀬に喰われでもしたら他でもないオレの責任だ、と笠松は自分を責めていた。それもギリギリで止められたからいいものの、これで巣の位置は確実にばれてしまった。もう一度引っ越しなど、できる余裕もないのに。
黄瀬が出した提案は今の笠松にとっては受け入れる他選択肢はなかった。勝てば見逃してもらえる。が、もし負ければ自分含め他の兎達の命はないだろう。断れば後者だ。

「ああ。…わかった。ただしオレが勝ったら他の兎には手を出すな」

笠松は静かに了承し、体を強張らせる。にこやかに「じゃ、いくッスよ」と宣言した黄瀬の様子を窺う。狼にしては奇麗に整えられた金の毛並みが風になびいて日を白く反射する。黄金の瞳は吸い込まれそうなくらいに透き通っている。長い睫毛が揺れた時、黄瀬は強く地面を蹴った。
風を切るように走りだした黄瀬は一直線に笠松目がけて爪を振り下ろす。笠松は持ち前の反射神経を生かして横にかわして足払いをかけようと足を地面に滑らすが、黄瀬も飛び越えてよける。笠松は空中の黄瀬に向かって体を反転させて後ろの脚で蹴り挙げた。

「!」

黄瀬は咄嗟に顔面を守ろうと両手で蹴りを受けた。だが笠松の脚力を甘く見ていたようで受け流すことはなく受け止めたせいで背後の木に吹き飛ばされた。背を打って軽く咳き込む。笠松の蹴りを受けた両腕は痣でもできるか、下手すればヒビも、というくらいには痛んだ。
【笠松】は戦闘派だということは黄瀬の頭にはなかった。兎の種など興味がなかったからだ。赤司や青峰からちらっと聞いた覚えがあるな、くらいの曖昧なものでしかなかった【笠松】という単語が脳裏に浮かんだ。まさか、目の前の、この兎が。

「……いい蹴りッスね。アンタ、もしかして笠松の兎?」
「折るつもりで蹴ったのにピンピンしてるとはな。キセキの名は伊達じゃねぇな」

「光栄ッス」と振り上げたままの足を地面に戻して目を見開く笠松に、黄瀬は苦笑を向けた。体勢を直して再び笠松に向かって走りだすと、笠松も体を屈ませてそれに応じた。





――――…圧倒的な差。それは力ではなく、おおよそ経験の差といったところだろう。オレは狼でアンタは兎なのに。そう言った次元の話じゃない。黄瀬は地面に這いつくばった状態で、自身の身体の自由を奪った笠松を見やった。

「わかんねーってツラだな」

傷一つない笠松は一つに束ねた黄瀬の腕を拘束する力を弱めることはない。

「お前ら狼には喰われる立場の気持ちなんてわかんなくて当然だけどな。……あんまり調子乗ってるといつか痛い目見るぞ」

被食者としての立場の笠松は狩猟をゲーム感覚で行う捕食者の気持ちはわからない。だからこそ、兎を好んで食す狼が許せなかった。今日だってそうだ。巣が見つかったのは上手くカモフラージュできなかったこちらの負い目だが、巣の皆の命を人質に取られれば笠松は断れない。だから黄瀬のゲームに参加した。
黄瀬は黄瀬でまさか兎の笠松に負けるなんて思ってもいなかった。最初はまぐれで命中させたのかと思っていたのに、何度も襲い掛かってみて、自分が不利だと思い始めたらこの有様だ。でも密かに、“自分が不利な状況”に楽しみを感じていたのも事実。自分と対等、もしくはそれ以上の相手と戦える。笠松という好敵手を見つけた今、退屈な日々から解放された黄瀬は兎に自由を奪われるという狼にとってはなんとも情けない状態だとしても、心は満たされていた。

「ふ、あははっ、……痛い目、か。面白いッスね」
「…はぁ?」
「オレ、アンタのこと気に入ったッス!」

突然狼である黄瀬が犬のように笑ったのでさすがの笠松も拍子抜けした。思わず拘束が緩んでしまったので慌てて黄瀬から距離を取る。が、黄瀬は起き上がるだけで戦意など欠片も見せなかった。砂に塗れた頬を拭うこともなく、キラキラとした羨望の眼差しを笠松に送る。

「いつか、絶対アンタを食べるッスから。絶対に!それまで誰にも食べられちゃダメッスよ?」

「それとこの巣のことは秘密にしとくッス。茶々入れられると困るんで」と黄瀬は半信半疑の表情を浮かべる笠松に言う。こう見えても口は堅いと。それが笠松に信じられるかは別として。

「……それをオレに約束しろってか?」
「そうッス!じゃなきゃ毎日ここで待ち伏せするッスよ!オレ本気だから!」
「………………それは勘弁してくれ」

その言葉を了承と受け止めた黄瀬は朗らかな笑顔を浮かべてよっしゃ!と両腕を天に向けた。ズキズキと痛むのは腕を含む全身だが、今の黄瀬にとってはそんなものささいなことだった。
厄介な相手に目を付けられた、と深いため息を零す笠松とは反対で嬉しさで今にも跳ねまわりそうな黄瀬の態度に、笠松はもう一度溜息を零すほかなかった。




赤降ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あのねー赤ちん、オレ室ちんのこと好きかもしんない」
「……室ちん?」

狼への指示を一通り出し終わり、一息吐く赤司は絨毯の上に巨体を寝転ばせる紫原の言葉に聞き慣れない単語が出てきたことに、視線を紫原に向けた。

「うん、室ちん。この前丘の上で会った兎なんだけどねー、室ちんの目見てるとどきどきするの。オレのことちょっと怖がってて不安気なんだけど、それでもいっぱい甘やかしてくれるの。いつか食べられちゃうんじゃないかって怯えてるのを必死に隠しててね、超可愛くて!もうホントに食べちゃおっかなーって思ってるんだけどー……って赤ちん聞いてる〜?」

仰向けになって、大きな口に葡萄の粒が放り投げられる。咀嚼しながらこちらを窺う紫原はどうしたの、とでも言いたげだった。葡萄いる?と問うと赤司はいや、いいと断った。

「単に食べたいだけじゃないのか?」
「わかんない〜、いつも美味しそうな匂いするから食べたいなって思うけど、食べちゃったらちょっと勿体無いし」
「発情期なのか、その兎は」
「ハツジョー?してないと思うけど…」

最後の一粒を名残惜しそうに口へ運ぶと、赤司は机の上に乗った菓子入れの中から紫原用に取っておいたドライフルーツをあんぐりと開いたままの紫原の口に放り込む。
―――…室ちんというのは氷室の兎か。ならば敦がそういうのも納得がいく。
兎の種類に関しては全て把握していると自負する赤司は紫原の足りない言葉から得たものを当て嵌めて推測する。黄瀬の調べによると【兎狩り】で【氷室】と【黒子】のほぼすべての兎は激減、今では希少種に認定される。
赤司が見繕った狼を連れて【帝光地区】に足を踏み入れた後の、初めての発情期。雌狼が【キセキ】と呼ばれた赤司達に発情するのは発情期が来る前から既にわかっていたことだ。なのに【兎狩り】が起こってしまったのは、その雌の勢いが凄まじかったからか、【キセキ】の放つ匂いが強かったのか。予想できる原因はこのくらいだがどれが本当なのか、それとも全てなのかは検討もつかない。

「室ちんも食べたらこんな味、するのかな〜」

もぐもぐとドライフルーツの甘味を噛み締めながら、ぽぅっと天井を見上げる紫原の瞳はどこか上の空で、頭の中には氷室のことしかないのだということを明確に表していた。
赤司は頭を抱えて深くため息を吐いた。狼が兎に興味を持ったのはこれで何度目だ。仮にも【キセキ】と称され、雌狼からの絶大な支持を受けている黄瀬が、笠松の兎にちょっかいを出していることからが始まりだった。次いで、紫原、青峰、はたまたそれは絶対にないだろうと思っていた緑間までもがそれぞれ兎に興味を持ってしまった。
赤司には理解できない。どうして食物相手に好意が持てるのか。あからさまに好意を認めているのは今のところ紫原のみだが、きっとそのうち他の3匹も同じような想いを抱くのだろう。そう想像するだけで赤司の頭に鈍痛が走る。頭痛持ちだというのに、悩みの種を増やさないでほしい、ともう一度ため息を吐いた。

「ねー赤ちん、そんなに悩んでるんならさぁ」

むくり、と大きな体が起き上がる。その瞳は、今度はちゃんと赤司のことを見詰めていた。

「思ってることやってみればいいじゃん。いい解決策あるかもしれないよ」




そう触発されて、自分なりに思考した結果。一匹の兎を捕えることに成功した。捕える兎は別段誰でもよかったが、運の悪いこの兎は息を潜め兎を探していた赤司の前に堂々と現れてしまったのだ。間抜けな兎だな、と思いながらも油断している兎を気絶させて拠点に戻ってきた。
兎と触れ合うことで、あいつらのことが少しでも理解出来るのだろうか。馬鹿馬鹿しいが、百聞は一見にしかず。食用ではなく一匹の生物として兎を見てみることにした。

「……………」

どかっと椅子に座り、足を組んで頬杖をする赤司はじっと目下の兎を睨みつける。色違いの瞳は怯える兎を映しても情など欠片も表すことはなかった。
恐怖に戦慄く兎の瞳は涙を溜めて揺れる。兎は逃げ足が速いので、捕まえたらすぐにその手足は縄で括りつけられるはず。だが赤司はそれをせずに、広すぎると言える部屋の中央に兎を座らせた。別に逃げても構わないよ、と最初に言ってはおいたが威圧に負けたのだろう。兎は小刻みに震えながら赤司の動きを詮索している。
野を跳ねる野良兎と変わらない色の耳、尻尾。身に纏う服は赤司から見れば薄汚いと呼べる麻の布。茶のツンと跳ねた髪に今にも泣きそうな表情の兎の種族を、今はまだ見極めることは難しかった。

「ふん」

黄瀬は兎と出会って楽しいと言った。紫原は兎と出会って恋をした。青峰は兎と出会って過去を思い出し感傷と郷愁に耽った。緑間は兎と出会ってからと言うもの口をついて出るのは兎のことばかり。
菓子入れの中から適当に摘まんだ果物を兎に向かって放り投げる。だが紫原とは勝手が違う。警戒し、怯えているのだから器用に口に入れることなど出来るはずもなく、床に落ちた果物の音に大げさなくらいに肩を揺らした。果物と赤司とを交互に見やる兎に、赤司は単調に告ぐ。

「腹が減っているのだろう。安心しろ、毒など含まれてはいない」

捕えた時、この兎は餌を探していた。少なくとも赤司の瞳にはそう映った。
―――…狼の中でもこの人は格が違う。
降旗の瞳は目の前の、優雅に佇む狼を捉える。存在感を示す赤髪は窓から注ぐ太陽を浴びて淵が橙色に輝く。こちらからは逆光のせいで顔はよく見えないが、右と左で色の違う珍しい瞳だけはやけにはっきりと映った。
一人で迂闊に出歩くんじゃなかった。頭の中は後悔がぐるぐると回り続ける。オレはここで、きっとこの狼に、食べられてしまうんだ。

「…そう怯えるな。お前を喰うつもりはない」
「………ぇ、…」
「お前にはしばらくここにいてもらう。この部屋を自由に使うといい。ただし外へ出るのは許さない」

狼と口を聞いたのはこれが初めてだ。赤司の口から発せられるのは降旗にはどれも意味のわからないものばかりだった。恐怖と、後悔と、焦燥と、混乱。今の降旗が感じるのを表すと、これらがヒットする。一体、何がどうなってこうなったのか。ああ、なんて運が悪いんだ。降旗は心の中で何度も何度も後悔をする。

「約束を破れば身の安全は保障しない。他の狼に喰われたいのであれば好きにすればいい。だがこの城で、お前にとって安全なのはこの部屋のみだ」

決して対等ではない口調。まるで貴族と奴隷のようなそれだ。赤司は線の細い赤髪を揺らして降旗の様子を窺う。嫌とは言わせない無言の圧力。逆らえば即、殺される。
ぺたりとその場でしゃがみこんだままの降旗は到底、立ち上がって牙を剥くことも、脱兎の如く逃げることも選択肢に入っていない。受け入れるしか、生存の道はないと、判断することはたやすかった。
諦観が降旗の脳内を埋めたところで体の緊張が解けたのか、ぐう、と腹が情けない音を立てた。ハッと我に返った降旗は慌てて腹を押さえてわたわたと隠そうとする。が、それも無意味なもので、赤司は笑うこともなくもう一粒果物を降旗の目の前に投げた。

「勝手に死なれては困る。僕はお前を使って試したいことがあるからな」

言葉の真意を汲み取れない降旗は、赤司の視線を浴びながらもそっと果物に手を伸ばす。震えた指先がうまく果物を掴んではくれなかったが、傍に引き寄せることはできた。おずおずと拾って口元へ運ぶと、それは皆がいつも食するものよりもずっと、ずっと美味しかった。生きていると、実感した。
ぽろ、と降旗の瞳から涙が落ちるのを見届けた赤司は瞳を瞑って今後の展開を予測する。けれど、いつものように筋道立ててはうまくいかない。赤司は、降旗のことを知らな過ぎるからだ。今は情報が少ない。この兎の食事が終わったら問い詰めることにしよう、と思ったところで瞳を開けるとぎこちない視線を向ける降旗の鳶色の瞳とぶつかった。




オオカミなキセキと兎な相棒組の話


( オオカミキセキと兎組 )


同じく特殊設定の導入です。我ながら無茶したと思ったころには全てが遅かったぜ…
20121225 ナヅキ
戻る

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -