Mura×Himu


視界に入るのは、光に当たると紫黒に彩られる艶髪と優しげに揺れる濡れた灰の瞳。手入れされた黒い毛並みの耳が降りかかる直射日光を遮ってくれる。お世辞にも柔らかいとは言えない腿に頭を預けてうたた寝をしていた紫原は氷室の気遣いにますます好意を覚えずにはいられなかった。
あの約束を結んだ後も氷室は紫原との約束を果たしに足繁く丘に通っていた。それも氷室の去り際に新しい約束を取りつけるからなのだが。初めて会った時、ジャムを持ってきていたから命拾いできたのだと悟った氷室はまるで自分の代わりだと言うように紫原が好んだ果実のジャムを腕に下げて現れた。氷室に甘えながらジャムを食す紫原はさながら子供のようだが、体格は氷室をすっぽりと包めるくらい立派なものだ。子供なんて呼ぶには生温い。

「今日は何のジャムかな〜」

ごろん、と寝そべる紫原は氷室に膝枕をしてもらいながら、行儀の悪い格好でジャムの瓶の蓋を開けた。鼻孔をくすぐる爽やかで甘い香りに「レモンだ〜」とぱぁっと表情を明るくさせた。

「いつも甘いのばかりだとつまらないだろ?」

山桃、野苺、葡萄に林檎。甘いもの続きだと飽きがきていつ自分に食欲を向けられるか知ったことじゃない。氷室は無理を言って行動範囲の広い高尾にジャムに使える果物の調達をお願いした。お供に降旗をつれていった結果、袋一杯には初めて見る果物や色々な形の果物を詰めて帰ってきたのだ。その中で一際酸味の強そうな、それでいて惹かれそうな檸檬を桜井に煮詰めてくれと頼んだ。皆の苦労が氷室の命を救うことになったのは、紫原に約束を取り付けられてからしばらくした頃だった。

「室ちん好き〜」

無邪気な笑顔ですり寄ってくる紫原の頭を撫でて甘やかす。相手が下位の動物なら行儀が悪いよと注意するのだが、相手は何を間違えたか自分を食す立ち場の動物だ。迂闊に物も言えない。下手なことを言えば殺される。それを恐れていた氷室には好きなことをさせて甘やかすのが一番の成功策だと考案した。
紫原の言葉に嘘偽りは含まれてはいない。いつも本気で好意を伝えているのに、氷室はにこやかに笑って流してしまう。別にそれでもいいけど、と少し拗ねながら甘え続けるのだが。“いつか、届けばいいな”。けれどそう思っていたのはついこの前までで、今はどうやって自分のモノにしようかと策を巡らせていた。
【キセキ】が紫原同様に兎に興味を持ち始めた頃、既に両の指を埋めるくらいに逢瀬をしていた紫原は氷室を恋愛対象として認識していた。その頃赤司に尋ねたことがある。

『ねぇ赤ちん、赤ちんなら知ってるでしょ』
『赤ちんは何でも知ってるから教えてよ』

そう追い詰めて。その時紫原は知らなかった。赤司は、赤司だけは、兎に興味を持っていなかったことを。その問いが彼を追い詰めていることすら知らない紫原は赤司の答えをじっと待っていた。

『ああ、そうだな。…手段はいくらでもある。が、手っ取り早いのはマーキングすることだ。アツシ、お前には少し早いだろうがな』

赤司は内心焦燥を感じつつも、平静を装ってそう答えるしかできなかった。
【マーキング】とは本来自分が好んだ雌狼を独占するために行われる好意だが、それには好意が含まれていることが大体のケースだ。そして結ばれれば伴侶として生涯を連れ歩んで行くだろう。
だがマーキングにはその行為から自分の匂いを移し、他の狼に奪われないようにする効果もあるため一部の狼は気に入った獲物にマーキングを行い、後に食したり、または楽しんだりするのだ。と言っても狼の中にも優劣はあり、格差において効果を得られるものと得られないものが生ずる。
赤司の言う【マーキング】とは後のことを示す。氷室にマーキングすれば少なからず他の狼には狙われない。【キセキ】クラスの匂いともなれば全狼が知っており、その匂いを漂わせる獲物を狩ることは出来ない。狩ればどのような始末に遭うのか、想像がつくからだ。事実上、紫原のモノと化す。

――――…『どうしたら室ちんをオレのモノにできるの?』

赤ちんは“正しい”んでしょ?なら、オレ室ちんにマーキングするし。そしたら室ちん、オレのモノになるんだから。
ジャムの瓶を空にして睡魔に意識を託す。ぼんやりと見上げた先には少し緊張気味の、灰の瞳が瞬いていた。



「おい何ボサっとしてる!まだ仕事は残ってるぞ!」
「すんませんっす!こっち手が足りてなくて!」
「光樹はどこ行った!」
「スイマセン!こっち手伝ってもらってます!」
「後は…!…テツヤはどこにいる!」
「テっちゃんならさっきタツヤさんとこn」
「何だと!?…和成!それはオレがやるからテツヤ引っ張り出してこい!」
「へーい!」

慌ただしい空気の中、笠松は足りない人手を上手く回して大量の仕事をこなそうと指揮をとっていた。この時期は体調を崩す兎が多い。氷室も同じく、今は自室に隔離されていた。通常氷室は先に居た笠松、高尾、桜井と同じ量の仕事をこなしており、幼兎の面倒も任されていたのだが、この時ばかりは笠松からストップがかかった。そのため氷室の埋め合わせをしなければならず、本来森へ行って情報収集を行う高尾もこの時ばかりは巣に身を置かなければならなかった。普段手伝いばかりの降旗も桜井の仕事が一段落つけば別の仕事が割り当てられる。よそからわざわざ来てもらったのに申し訳ないと感じつつも、人手を使わないわけにもいかないのだ。
高尾は笠松に従って持ち前の身軽な体で兎の間をすり抜け、氷室の部屋へと向かう。階段を上るにつれて胸の内にじわじわと湧く見知った熱に顔をしかめながら。

「こりゃやべーなぁ…」

我ながら、笑ってる場合じゃねーな、と自嘲せずには居られなかった。



ずくずく、じくじく、体の芯が熱を持って疼く。苦しいと言えば苦しいけれどそういった苦しさじゃない。これはもう幾度目かになるか、懐かしくもそんな郷愁に耽りたくはない。
体が熱い、内側から火照っていく。冷めることのない熱さが身を焦がしていく。けれど欲しがるのは氷でもなければ水でもない。体が欲するのはそれを超える熱のみだ。体の奥に突き刺して、貫いて、激しく突いて。
―――…自分の体の異変に気付いたのは、今から二周りほど季節を遡った頃。その頃はちゃんと雌を対象として見ていた。一匹の雄として。なのに発情期を迎える度に思考が違う方向へと向いていた。後に兎の間の話を耳にすれば、それは【雄兎の雌化】にぴったりと当てはまった。
貫きたい、が、貫かれたい、に。変わったことに正確に気付いたのはいつ頃からだったろう。激しく擦って、熱を冷まして。その願いを叶えてくれるのは雌化に偏見の無い変わった雄か自分を喰おうとする若しくは楽しもうとする捕食者くらいだ。後者はそこで氷室の命は途絶えることになるが。
どうしても我慢が出来なくなった時はナイショで持ち帰った木の幹――ヤスリで滑らかに仕立て、雄に見立てた棒を後孔に突っ込んで慰めるのだが今回ばかりは勝手が違った。

「タツヤさん、大丈夫ですか」

テツヤが、いるのだ。清い心の幼兎の前でそんな恥ずかしい行為など行えるものか。
氷室の手を小さな両手で包み込む黒子は慕う兄の弱弱しい姿に心底心配していた。笠松から氷室の部屋には近づかないよう口を酸っぱくして言われていたが、氷室無ければ助からなかった命だ。せめて見舞うくらいのことはしたい。その思いでミスディレクションを駆使し、氷室の部屋まで忍び入った。

「テツヤ…幸男さんにダメって言われただろう?」
「でも放っておけません。タツヤさんが体調崩すなんて珍しいですし…」
「大丈夫、すぐ治るよ」

力無げに笑む氷室は普段何もせずとも奇麗だと思わせる風貌であるのに、この時は一段と儚さを滲ませている。色っぽいだとかいう感覚は幼い黒子にはまだわからないけれど、今の氷室を見ていると胸の鼓動が普段とは異質の速さでとくんと打つ。自分の知らない感覚に戸惑いつつも、黒子は氷室の熱い手を離すことはなかった。

「おっじゃましまー……うわ、濃いなー…」

鼻を擦って部屋に入ってきたのは高尾だった。ベッドに横たわる氷室の手を握る黒子を自らの視界に捉えると、愛の籠った呆れ顔で諭した。
高尾の視野は広い。見えないはずのすぐ背後の情報だって高尾には筒抜け。それくらいに目が良く、頭の回転が速かった。黒子の最大の敵は高尾だ。ミスディレクションを駆使しても高尾の視野だけは回避が出来ない。高尾も黒子の気持ちがわかるため、わざと笠松に報告せずに見て見ぬふりをしたのだが笠松がそれに気付いてしまった。高尾も皆を統率する笠松の言うことだけは逆らえない。

「こーらテっちゃん、幸男サンの言うことちゃんと聞かなきゃダメだろー?辰也サンは今具合悪いんだからそっとしておかなきゃ治るモンも治らねーよ?」

両手で黒子の柔らかな頬をつねって伸ばしていじりながら黒子を氷室から離そうとするも、黒子は意地でも氷室の手を離す気はなく、さらに強く握る。その様子を見て眉をひそめる高尾は呼吸の乱れた氷室に視線をやった。黒子は彼の言うことならば素直に聞くと知っているから。――先ほど断られてはいるが、高尾はそれを知らない。
発情期はとにかく体が火照る。そのせいもあり氷室の胸元は大きく肌蹴て、白く滑らかな肌が露出しており、首筋から鎖骨にかけてつうっと流れ落ちる汗も氷室を妖艶に魅せるための素材となっている。本人も辛くて浮かべているその表情、そして胸が呼吸で動くその動作でさえも。思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。

「うつしてしまうと、いけないからね」
「うつしてください。それで治るなら僕は、」
「だめだよ、それはだめ。ね、テツヤはいい子だから、ちゃんと言うこと聞けるよね?」
「…タツヤさん」

しゅん、と落ち込む黒子の肩にそっと手を置いて高尾は退出を促す。黒子はしばらく落ち込んでいたが、氷室が後を押してどうにか部屋から黒子を出すことが出来た。それによって安堵したのは高尾も氷室も同じだ。
高尾は危惧していた。発情期の兎に関われば自身の発情期を促進させてしまう。それはまるで固い瓶の蓋をこじ開けるように強引な。多岐に渡る情報網を持つけれど【黒子】に関する情報は持ち合わせていない。だからこそ黒子が氷室に感化されて発情期に入ればどれだけの危険が迫るのかもわからない。まだ幼兎とは言ってもそろそろ発情期を迎えてもいい年頃を迎えている。下手に刺激してしまわないように配慮していたのだが【氷室】の発情期をこの目で見るのは初めてで、症状は重いとは聞いていたが高尾の想像を遥かに超えていた。

(………幸男サン、…これはマズイんじゃねーのかぁ…?)

自分もまさかここまで感化されるとは検討もつかなかった。氷室の部屋に向かう際にも廊下まで漂っていた独特な甘い香りもさながら部屋に入った時には一際濃い香りが鼻孔をくすぐった。これが捕食者にとっては甘美な香りなんだろうが。道理で笠松が部屋から出ることを禁止したわけだ、と納得する。

(テっちゃんあの匂いの中でよく平然としてられたな…)

笠松に黒子を引き渡し、高尾は残りの仕事を片付けようと笠松と交代した。この後に大事な用があるのに、と思いながらも胸の奥で燻る熱は存在を消すことはなく、次第に主張を始めていた。



笠松にこっぴどく叱られた黒子はそれでもめげずに氷室に何か出来ないかと思案していた。もう氷室の部屋に入ることは出来なくなってしまったが。それでも諦める理由は一つだってなかった。

(体調を崩したと言っていましたが病気なのではないでしょうか…?)

多少の疑問はあるけれど、病気や怪我に効く薬草の類は桜井やその手伝いをよくする降旗が詳しい。その二人に聞こう、と黒子は駆け足で薬棚に向かった。
薬草の匂いの充満する部屋に居たのは降旗だけで桜井の姿は見えない。笠松と共に他の仕事に当たっているのか炊事をしているのかの二択があげられるがそれは確認できなかった。

「あれ、黒子じゃん。どした?」
「タツヤさんに効く薬があるかと思って来たんですが、わかりますか?」
「こう見えても良の手伝いしてたから多少は覚えたんだぜ!症状を落ち着かせる奴だろー?それだったら確か………って、アレ?」

薬棚を隈なく探すも降旗が探している薬草は一つも見当たらなかったようで「ゴメン見当たらない…」と肩を落とした。降旗は「あの薬草は効能がいくつもあるから使いきっちゃったんじゃないかな」と推測する。

「後で補充しに行かないとなぁ…、それまで待っててよ」
「今必要なんです。その薬草はどこに生えているんですか?」
「え……黒子、まさか摘みに行くつもりなのか?ダメだよ、いいって言われてないだろ?」
「…………皆ダメダメって、それじゃあ何もできないじゃないですか」

僕はもう子供じゃない。薬棚に並ぶ空の瓶には薬草の絵が描かれた紙が貼ってある。それを目にした黒子は瓶を掴むとすぐさま胸に抱き、降旗を振り返る。

「僕が採ってきます。ダメだなんて言わせません。僕はもう、無力なんかじゃない」
「ちょっ……くろこっ!」

決意の眼差しは鋭く、降旗の身を竦ませた。一瞬の隙を突かれて止める間もなく走り去る黒子の足は速く、出遅れた降旗は追いかけることはできなかった。さぁっと血の気が頭から引いていく感覚に「どうしよう」と慌てて部屋から出る。笠松に言えば怒りで卒倒してしまうんじゃないか。桜井に言えばきっと料理の手を止めてしまう。氷室の部屋は出入りが禁止されており、高尾はもう用事があると出かけてしまった。頼れる人物は一人しかいなかった。
息を切らして巣を飛び出し、真っ直ぐに唯一の当てである彼の寝床へと走った。

「大変だ…ッ、かがみ……火神ーッ!」



草木の間から漏れる木漏れ日が橙色を強調させた頃、氷室はベッドに体を預けたまま視線だけを向けた。
体の調子は戻らない。それよりももっと酷くなる一方だ。気を緩めば見舞いに来てくれた笠松にオレを抱いて、慰めてくれと頼みそうだった。

「具合はどうだ。…辛いと思うが耐えろよ」
「…はい、……ありがとうございます」

笠松も影響を受けると言うのにそれも厭わずに見舞いに来てくれたのは彼の持つキャプテンシーがそうさせるのか、仲間思いの人一倍強い性格をしているからか。額に浮かぶ汗を拭ってくれる精悍な腕が、真っ直ぐな瞳が、氷室を誘う。だめだ、そういう目で見てはいけない、脳内に警鐘が鳴り響くのにも関わらず、熱に浮かされた頭が思考を放棄して笠松の腕に手を伸ばした時だった。
バタン、と勢いよく扉が開け放たれ、荒い呼吸の降旗が入ってきたのは。

「幸男さんっ……その、黒子が…一人で森にっ!」

部屋に足を踏み入れた瞬間、部屋の空気を吸った降旗の体は力を失ったようにガクンと地面に座り込んだ。自分でも何が起きたのか把握できていない降旗は瞳を瞬かせて目先の二人を捉えて回答を求めた。
今まで周りに発情期を迎えた兎があまりいた経験のない降旗はそれが氷室の体から発せられるフェロモンに当てられたものだと知り得なかった。笠松は慌てて椅子から立ち上がり、降旗に肩を貸す。

「大丈夫か光樹!」
「は、はい…なんとか…?」

この一瞬で笠松に肩を借りなくては自分の足では立ち上がることさえ困難になってしまったことに降旗は頭上に?を浮かべる。氷室の部屋の出入り禁止の理由を身を持って体感したものの、その原因が何なのかイマイチ理解できなかった。

「………テツヤが、森へ行った…だって…」

衣擦れの音に二人が振り向くと、ふらふらと重心もままならない氷室がベッドから起き上がってどこかに向かおうと足を進めていた。裸足で頭に手をやったまま、ゆっくりと歩き出す。笠松は今手を離せば降旗を床に落とすことになり、かといって氷室を止めないわけにはいかない。

「氷室さんの為に薬草を摘みに行くって言い出したら聞かなくてっ」
「!」

テツヤが、オレの為に。―――テツヤが、オレのせいで。
降旗の言葉は氷室には逆効果でしかなかった。「でも今、火神が黒子探しに行ってるから多分大丈夫だと思うけどっ!……その…!」そんな言葉は今の氷室の耳には届かない。森には危険があるから、だからひとりで行っちゃダメ。テツヤにはまだ早いよ。ずっと言って聞かせてきたのに。テツヤが危ないところに言ってしまわないように目を光らせていたのに。肝心なところで目を離して、喰われでもしたら。それはまさしくオレのせいだ。

「……行かなきゃ」
「ひ、氷室さ」
「氷室!」
「オレのせいで、テツヤが、しんじゃう、行かなきゃ」

氷室は頭の中を占める責任と後悔と焦りと、守れなかった自分に対しての怒りとがごちゃ混ぜになって、覚束ない足取りで笠松達の前を横切る。氷室の服を掴もうと伸ばした手は、こちらを一瞥した灰の瞳によって遮られた。体の芯を燃やすように胸を打つ。発情には耐性があるはずの体が、たった一度目を合わせただけで燃えるように発熱する。

「っぐ、ぅ……ひ、むろ、」
「テツヤ、…テツヤ……っ…」

ゆっくりと加速して走っていく氷室はうわ言のようにそう繰り返して巣を飛び出した。胸を押さえて地に片膝をつく笠松は他の兎達にも聞こえるように大きく叫んだ。

「全員氷室を捕まえろッ!巣から出すな!」

呼びかけも虚しく、氷室は追いかけてくる兎の手を掻い潜って森の奥へと消えて行った。残された笠松は顔を歪めながら素早く捜索隊を組んで森へと向かわせた。



夕暮れの森。黒子がどの方向へと進んで行ったのかなんて検討はつかない。元より薬草の知識などない氷室は己の熱と戦いながら森を彷徨い続けるしかない。日は沈みかけ、空は星が煌めき始めた。一体黒子はどこへ向かったのか。もしかして動物に襲われているのだろうか、それとももう…。嫌な想像が頭を駆け巡る。振り払う元気は持ち合わせていなかった。
落ちる気温、少し冷たく感じる風が木の葉を揺らして不穏な音を鳴らす。がさりとどこからか物音がして辺りを見回す。それらしい気配はなく、肩を落とす。
腹の奥の疼きに小さく喘ぎながら、手を伸ばして木の幹に体を預ける。素足は枯れ枝を踏みつけて所々擦り切れて鈍い痛みを走らせている。刺さらなかっただけまだマシだと思えるが、痛みを伴いとなると上手く探索は行えないだろう。両腕で自身を抱き締め、は、と熱い息を吐いた時、氷室の木を挟んだ背後から伸びてきた腕に腕を掴まれた。

「――――…っ!?」

衣服の上から爪を立てられ、鋭い痛みに顔をしかめると同時に引き寄せられた。生臭い息に顔をあげると獰猛な色の瞳と目が合った。鼻を鳴らす相手の頭部からは狼のものと思われる耳がピンと立っていた。

「ッハ、うまそーな匂いはお前かァ」

べろりと舌舐めずりをする狼の目は欲に濡れていた。片手で顔を掴まれて無理矢理視線を合わせられ、顔を近づけられて匂いを嗅がれる。不快感と恐怖感が体を襲って毛を逆立てる。逃がさないように掴まれていた腕にぐ、と力を込められる。

「オイオイいきなり走ったかと思ったらうまそうな兎捕まえたのか?」
「畜生!そんな上玉がうろついてるなんて…オレもう食事済ませちまったよ!」

氷室の腕を掴んでいる狼の仲間と思われるガラの悪そうな狼数匹が、捕まった氷室を見て口笛を鳴らす。ぞろぞろと近寄ってきた狼にも匂いを嗅がれ、氷室は顔を背けて逃げようと体をくねらせる。だが周りを囲っているのはどれも自分を超す体格の狼だ。発情していることも考慮すれば到底、逃げ切ることは不可能だ。

「この匂いそそられるな。な、割って喰おうぜ」
「ア?オレが見つけたんだからオレが喰うに決まってんだろ」
「そりゃずりーよ!俺まだ飯食ってねーもん」
「じゃあ自分で捕まえりゃいいだろ」

眼前でもめる狼達は、氷室を逃がすつもりは毛頭ない。誰が氷室を喰うかで喧嘩を始める中、食事を済ませたと言っていた狼が思いついたように氷室の耳を食んだ。

「……ンっ…」

弱い耳を刺激されて不意に鼻にかかった甘い声が漏れた。その一瞬で狼の喧騒は沈黙を告げる。その反応ににやりと口許を歪ませた狼はいやらしい笑みを浮かべてオレの耳に指を這わせて言った。

「……コイツ、発情してやがるぜ。キレーな顔してるし、喰うのはヤってからでもいーんじゃねえの?」
「ぁっ、ん、…」

く、と耳の内側を擦る指の動きに喉が震える。出したくもないのに声が出て顔を振った。その声と、姿態と、纏うフェロモンに、狼は謀らずしも生唾を飲み込んだ。

「雄だけどよ、こんだけエロイ兎なら楽しませてくれんだろ…?」

耳に這わせた指が唇を撫でる。今だ、と氷室はその指を力いっぱい噛み締めた。途端驚いて指を引き抜く狼に気をとられて拘束が緩んだ隙に、巨体の隙間をかろうじて通り抜け、足が動く限り走り続けた。狼達から逃げる為に走っている方向が森の奥だとも知らずに。
背後から下卑た笑声といくつもの足音が早く逃げろと急きたてる。発熱する体は重く、足はふらふらとして木にぶつかりそうになりながらも必死に走るその姿は健気だ。しかし筋力の差か種族の差か。迫りくる狼の爪が氷室の衣服を掠めて裂く。狼達との距離は確実に縮んでいった。
精神的にも肉体的にも追い詰められた氷室は焦燥から足元に転がる石に気付かず、それに足をとられて転倒する。多数の足音は氷室の傍で止まる。振り返り、見上げれば。宵闇に怪しく光る複数の瞳が氷室を厭らしく見下ろしていた。
切り裂かれた衣服は氷室の肩を露出させ、白い鎖骨が顔を出す。逃げ惑う際に受けた攻撃のせいで膝まであった丈は肌理細やかな腿が窺えるほどに裂かれてしまっている。月明かりに照らされる氷室の姿は狼達の瞳にどれ程官能的に映っただろうか。全力で走ったせいで体力が削がれ、足場を崩してしまった以上もう立ち上がる体力は残ってはいなかった。

「追いかけっこは終わりだ、兎ちゃん」

素早く背後に回り込んだ狼に手首を捕えられ、それ以上後ずさりが出来ないように退路を断たれる。爪で裂かれた隙間から手を差し込まれて柔肌を撫でられる。

「やめっ……ん、ぁ…っあ、!」
「サイコーだなァ、オイ」

胸の突起を指が撫でる度に無意識に腿を擦り合わせる氷室の様子を下品に見つめる。その反応、声、表情全てが、雌のそれと遜色ない。いや、それを圧倒する程に氷室は扇情的だった。複数の狼の前で辱めを受ける、その事態を避けて生きてきた氷室にとって与えられる羞恥は計り知れない。かろうじて堰き止めていた涙腺が壊れるのも時間の問題だった。じわり溢れる涙は灰の瞳を覆って月を反射する。赤く色付く目元で狼を睨んでも余計に列常を煽るだけだった。

「乳首で感じてんのか、ッハ、やらしい兎だぜまったく」
「あっ、は、……ゃだ…っ、はなせっ」

首を横に振り、鼻から抜けるような甘い声に歓声を上げる狼達はひどく興奮した様子で氷室の体に手を伸ばした。鋭利な爪が悪戯に衣服を裂き、先に待つ極上の素肌を暴いていく。最早氷室は衣服と呼べるものを纏ってはいない。逃げようと暴れても狼の力と比べれば兎など赤子に等しい。

「ひ、ィ……や、…嫌だ、ッ…ぁ、つしっ!アツシ…っ」

嫌悪を抱く手が体を這い回る感覚ほど気持ちの悪いものはない。満身創痍の中、すがるようにふと頭に浮かんだ名前を繰り返し叫んだ。
「室ちん好き」と会う度に、愛らしい笑顔と共に告げられる言葉。それに意味を感じるようになったのは最近だった。約束はいつも昼下がり、柔らかい日差しの中二人でまどろんで。紫原が眠りに落ちたのを確認し、長い前髪をかきわけてそっと口付けたのを覚えている。唇が額に触れた時に生じた甘い感情が胸を疼かせたのを覚えている。
―――…オレは、アツシがすき、なんだろうか。
氷室は今まで気付いていなかった。胸の内側を焦がす想いを。だから紫原の言葉を本気だとは受け止めなかったし、軽く流してきた。なのに窮地に立たされた今、ようやく感じることが出来た。紫原への自分の本当の想いを。

「バッカ暴れんな!…なんだ、男の名前か?燃えるなァ、無理やり犯してるみたいで」
「ちっげーよ!無理やり犯すんだろ。それに男がいるならソイツの匂いするはずだろ、フツーならこんな上玉放っておくわけねーよ。オレなら即マーキングするぜ」
「それともその男が底辺だったかだな!ハハハ!」

言われのないことを口々に言いやる狼達の声に負けないように振り絞って紫原の名を叫ぶ氷室の口に「あんまうるせーと喰うぞ」と脅しながら指を突っ込んで余計な声を発せなくさせる。見開いた瞳から堪えていた涙が溢れ出し、頬を伝って落ちる。するりと腰から尻に滑り落ちる手の動きに意に反して声が漏れる。咥内の自由を奪われているから口を閉じることもできない氷室は狼達のされるがままだった。

「…ふぁ、あっ、ひ、ぅ」
「その顔えっろ、…あー、オレ勃ったわ。先いいか?」

発情期の度に後孔を使っていたのが裏目に出た。尻を撫でまわす狼の指をすんなりと受け入れてしまい、ぐいぐい中をかき混ぜられる。潤滑油もないのにくちゅくちゅと音を立てるのは度重なる自慰で体が勘違いを起こしているからか、蜜が湧くようになってしまったからだ。

「うっはーケツぐっちょぐちょじゃねーか…とんだ淫乱だなァ兎ちゃんよ」

涙に濡れた目を細めて眉をひそめ喘ぐはしたない姿に興奮した狼は不意に氷室の腰を掴んで後孔に指を突っ込んでいた狼から離して自身に引き寄せる。嫌がる氷室の白い腿を左右に開き、布で隠れた恥部に向けてそそり立つ雄を近づけた。この布一枚めくった先に最高の果実が待っている、そう彷彿させるようなじれったい姿に狼は零れる涎を舌で舐めとる。仲間の非難も聞こえぬ振りで挿入しようとした瞬間、不自然に地面が揺れた。
恐怖で目を閉じていた氷室は何が起こったのかわからない。ただ、強い風が横から吹いて、驚いて目を開いた時には自分を弄んでいた狼達は瀕死の状態で地面に転がっていた。刻まれた胸から血を流す狼達が氷室から少し横にずれた方向に向けて忌々しげな睨みを利かせていて、氷室は咄嗟に振り返る。瞬間、今の今まで抱いていた恐怖が一掃された。絶望が希望に変わる、そんな感覚だった。

「ア、ツシ…」

恐怖を覚えていた名残で掠れた声が漏れる。紫原は氷室には目もくれず、濡れた爪から血を払って氷室を好きにしていた狼達を一瞥する。

「…む、らさき、ばら!?」
「アツシって紫原のことかよ…ッ」

狼が怯えるように声を絞ったのが聞こえる。その瞳は驚愕を隠しきれずにいた。
氷室の紫原を呼ぶ声聞きつけて辿り着くと数匹の狼に囲まれ、氷室が強姦紛いなことをされていたことに対して怒りを露わにした紫原はどしん、どしんと足音を押さえることもなく薙ぎ払った狼の内一匹の胸倉を掴んで大木目がけて投げ飛ばす。軽く飛ばされた狼は空中では無力であり、直撃を免れなかった。背骨か何かの骨が折れる不快な音が届き、氷室は思わず身を竦ませる。紫原は続く、情けない声をあげる一方の狼の腕をひねりあげる。バキバキ、と細かい音とそれに伴う悲鳴が耳を劈いた。本来は曲がるはずのない方向にひしゃげた腕は血を零すことはない。氷室は背筋を冷たい汗が流れるのを止める術を知らなかった。菫色の瞳が最後の一匹を捉えた時、狼は尾を下げて降参の意を示していた。それでも尚腕を伸ばす紫原に、耐えきれなくなった氷室は叫ぶ。

「アツシ!もう、もうやめてあげて……くれ、ないか」

言葉が尻すぼみに小さくなるのは初めて見た紫原の一面に動揺しているからだ。紫原の怒りはこれでもかと思うほど伝わってくる。けれど今止めなくては、その狼達は紫原の手によって惨い最期を迎えるだろう。そんな場面に居合わせたくはない。そして、そんなことを紫原にはしてほしくなかった。
菫の瞳を狼から外すと、狼は瀕死の狼達を抱えて逃亡した。氷室の言葉に木をとられて最期の一匹を逃がしてしまった紫原は頭を乱暴に掻いて舌打ちした。地面に座り込んだ氷室の視線に合わせるようにしゃがみこむと、ひどく苛立たしげに氷室を見詰める。

「……室ちんさぁ、自分がされそうだったこともう覚えてないの?」
「あつし、」
「アイツら室ちんのこと喰おうとしたんだよ?それで情けかけるってどういった了見なわけ?」
「ちが、」
「何、アイツらに喰われたかったの?………あーそう、邪魔して悪かったね」

はー、と大きな溜息を吐いた紫原は竦んだままの氷室の両肩に手を置いた。細い体がびくん、と大きく震えたことに菫の瞳を鋭くする。

「オレが怖い?」
「…こ、わく、ないよ」
「うそつき」
「うそじゃ…」
「うそだよ。じゃあ何でオレの目見て言えないの」

責めるような声に氷室は小さく震える。さっきから氷室は紫原の顔を見ようとはしない。こちらを向かせようと頬に手を添えて俯きかけていた顎を上向かせた。ぶつかる視線に目を見開くと、反動で涙が頬を伝った。赤く充血した瞳は一点に定まることはなく小刻みに揺れている。

「ぁ、っひ、」

喉から出たものは言葉ではなく本能が叫んだ音だった。震える足が後ずさろうと地面を蹴る。生臭い息を吐き、劣情に煽られて氷室を慰みものにしようとした狼達に恐れ慄いた体は紫原から逃げようと肩を掴む大きな手を払いのけた。
っは、はぁ、と乱れた呼吸で地を蹴るも焦りから何度も滑ってしまう。紫原は伸ばした腕で氷室のくびれた足首を掴み、ぐっと引き寄せる。背を地面に擦られ、そこから生じる摩擦熱に喘ぐより早く眼前には月光の光を背に受けて自身を見下ろす狼の瞳に体が硬直した。強張る体は目の前の紫原を狼と認識してしまっている。口では強がれても体は驚くほど正直だ。逆光で紫原の表情が見えないことで、そのシルエットが彼を狼だと鮮明に焼きつけた。

「室ちん」
「っぁ、あぁ…ゃ……ぃ…いやだ、はなせ、」

多くの時間を費やしてようやく繋ぐことのできた絆はいとも容易く引き千切られる。無情にもそれが狼に生まれた者と兎に生まれた者との宿命とでも言うように、月は残酷な現実を見せつけるように眩い光を浴びせかける。
異種間の絆ほど脆いものはない。決してわかりあえないと、赤司もそう言っていたじゃないか。氷室の様子を見てみろ。信頼なんてしていない。最初から、紫原のことを敵だと決めつけて、決して心を開くことなんてなかった。甘えるのは大抵紫原で、氷室が一度でも甘えてきたことがあっただろうか?
―――…赤ちんは正しい。赤ちんの言うことは全部、間違ってない。
悲しい。辛い。寂しい。好きだと、手にかける気はこれぽっちだって持っていないのに、わかってもらえない。怖い、嫌だと離れて行く。涙なんて流させたくない。ほんとうはこの腕で抱き締めて、好きだよって、いつものように言いたいだけなのに。わかり合えないのならばいっそ。
―――――――…あの笑顔のままで、オレの記憶にいて。

「……室ちんがそう望むなら、それでもいいよ」
「ア、ツシ……、なんで、い…いやだ、やめろ、やめてくれ」

声に温度があるとすれば、紫原の発した声は水をも凍らすほどの冷たさを秘めていただろう。紫原の口元から牙が覗き、その細い首筋に噛みついた瞬間。

「いや…ッ――――――――…」

氷室は水晶のような灰の瞳から涙を落とし、痛みを感じるよりも早く意識を手放した。







身を包む温かさは薄い布が与えてくれるものでもなければ葉に覆われて与えられたものでもなかった。肌を介して伝わるのは自分のものではない心音。自分が誰かに抱き締められているのだと認識出来た時、頭の中を先ほどの光景が蘇る。さっと引く血の気に体を震わせると耳に違和感を感じ取って視線を上向かせた。
氷室の黒銀の耳は先端を食まれていた。歯が当たっていないことから食すつもりはなさそうだ。ちらと窺えた彼の菖蒲の髪の間に見える瞑られた瞳は仄赤く腫れている。
そういえばオレは喰われそうになったんじゃないか、と手を首筋に当てるも流血していたりなどしておらず、痛みなんて何もなかった。
―――…なんだか不思議だ。怖い目に会ったはずなのに今は恐怖を感じない。
抱き締められているせいで尻尾が見えないからか、見上げても耳が見えないからか、それとも抱き締められているからなのか。

「…………ん、っ」

ちゅう、と食まれていた耳を吸われて声が漏れる。ぴくりと震えた体を抱き締めていた腕に力が籠ったのをきっかけに見上げると、赤らんだ瞳とぶつかった。耳が彼の唇から解放される仕草に鳴いてしまう。

「む、ろちん」

掠れた声に瞬くと、菫の瞳が確かに潤んだ。ぎゅっと抱き寄せられて肩口に顔を埋める。

「ごめん、ごめんねむろちん、もうたべようとなんてしないから、いじわるしないから」

しんじゃったかとおもった、おいたをした子供のように泣きじゃくる紫原は氷室のか細い体を折れるくらいに抱き締める。柔軟な体は悲鳴を上げたりはしなかったが、心拍は壊れたように小刻みに打ちつけた。
紫原とて死がどのようにもたらされるのかを知らないなどという無知ではない。けれど怒りに任せて急所である喉元に噛みつく真似をしただけでプツンと糸が切れたように力の抜けた氷室を見て恐怖を感じたのも事実。好意を持っている相手を手にかけるなんて、それだけで紫原は身を切るような思いだった。

「きらいになんないで、おねがい……っ」

紫原の零した涙で耳がしっとりと濡れる。
紫原の素直さはよく知っている。だから涙を流して懇願する紫原が自分を騙して喰おうと考えてるのでは、などとは一切思えなかった。氷室は震える肩口に顔を埋めたまま、そっと、未だ狼への恐怖が拭いきれていない腕を背に回した。
背に温もりを感じてはっと涙を止めた紫原は抱き締める腕を緩めたきり、一切の動作をぴたりと止めて氷室を見下ろした。

「…オレも、ごめんな。まだ、怖いみたいだ」

細かく揺れ動く腕は紫原の肌に触れるとさらに震えを増した。あの狼達とは違う。心とは裏腹に体は怯えたまま。こわくないと言った言葉に嘘が無かったと言えばそれこそ嘘になる。けれどこの胸に抱いた想いもまた真実なのだ。この想いを打ち明ける時はきっと、紫原を受け入れる覚悟を問われる。兎と狼という種族の壁を超える覚悟を。

「あんな風に、逃げ場のない状態で襲われるなんて初めてだった。……喰われるんだ、抱かれるんだって思って、怖かった。…狼がみんな…あいつらみたいなのじゃないって頭ではわかってても、怖かったんだよ」

オレ、もうしんじゃうのかなって。みんなにお別れ言う前にしんじゃうのかって。
ぽろ、と溢れた涙は紫原の指が拭った。視線をあげて菫の瞳を見詰めると、申し訳なさそうに唇がごめんねと形作る。

「さっきは……室ちんがいなくなっちゃいそうになって、自分が自分じゃなくなっちゃったみたいだった。…怖い思いさせてごめんね、……オレはね、室ちんに傍にいてほしいだけなの。室ちんがね、…好きなの」

紫原は少しだけ顔を赤らめて、じっと見詰めてくる氷室の視線から逃げるように再度氷室の頭を肩口に留めた。泣きやまない氷室を安堵させようと、おろおろしながらあやすように背をぽんぽんと軽く叩く。
涙の幕が揺れて、思考が停止して、内側から止め処なく湧く熱に包まれる。水を得た花が蕾を開くように、感じていた恐怖が嘘のように引いていった。態度から察しはできたもののいざ言葉として伝えられると疼いていた胸の奥が満ち溢れていく感覚に咽び泣く。
わぁっと泣きだした氷室に、やっぱり自分の過ぎた意地悪のせいで嫌われたと思い込んだ紫原はショックで涙を瞳に浮かべた。

「む、室ちん、ちょっと………嫌いにならないでって言ったじゃん!なんで泣いてんのっ!」
「……嫌いなんかじゃないよ…っ、うれ、しいんだ…」

滲む視界でぼやけた菖蒲の髪を捉えて顔を上げる。顔にかかる艶髪を指で払ってやると、目尻に紅の差した灰の瞳が熱に揺らされていた。睫毛がふるふると震えるその愛らしさを覚える表情に、紫原は無意識に氷室の顎を上向かせて薄い唇を貪った。
ふにゅ、と柔らかい感触がしたと思うとすぐに互いの熱が伝わり始める。それはまるで磁石のように離れがたさを感じる程に気持ちを高揚させる。紫原は思うままに氷室の咥内に舌を送り込み、絡め合う。くちゅ、と唾液の混ざり合う音に反応を示す氷室に、抱き締めていた腕をそっと下降してしなやかな括れに這わせる。

「…ふ、…ぅん…っ…」

先の狼達に切り裂かれた服の隙間から手を差し込んで柔肌に触れると、驚くほどに体を跳ねさせた。桃のような尻たぶをそっと撫でると熱い吐息が唇の隙間から漏れた。氷室の尻は紫原の大きな手には小さく、すっぽりと覆われてしまう。
紫原の指が優しく撫でる度に、氷室は体の奥で燃える熱が紫原を欲していることに気付かされる。狼だからとか兎だからではなく、一匹の動物として、彼が、欲しい。
名残惜しく離れた唇は最後まで吸い付くように相手の唇に触れていた。紅潮し、刺激を求める氷室の目尻にキスを落とし、紫原は穏やかな口調で尋ねる。

「……ね、室ちん。…発情期、でしょ?」
「…ん、……そう、だよ…」
「とっても美味しそうなの、室ちん見てたら食べたくなっちゃった…」

物欲しそうに揺れる黒銀の耳に唇を這わせて軽く吸うと、氷室は瞳を瞑って「ぁっ」と小さく喘ぐ。

「オレに室ちん、ちょうだい?」

菫の瞳はこれ以上は我慢できない、と氷室に訴える。尻を撫でていた指は後孔を突いて氷室に判断を急かす。さっきから主張をする雄同士は快感を求めて擦れ合っている。互いの性器が服越しに触れ合っている現実は興奮を誘う。尻たぶの割れ目の少し上の、ふわりとした尻尾を手のひらで撫ぜると氷室は快楽に歪んだ顔で半開きの口から喘ぎを漏らす。

「ココにオレの、……入れさせて?」

くちゅん、と紫原の太い指が胎内を侵す。待ち望んでいた異物に体は歓迎の意を込めて腰を揺らした。耳元で囁くと、氷室は声にならない嬌声をあげる。熱に浮かされた体はとっくに紫原を求めている。早く熱いの入れて、オレの熱をどうにかして。氷室は紫原の背を掴んで、途切れ途切れに言葉を発した。

「ア…ツシ、はやく、いれてっ、…オレ、もぅ…ッ」

切羽詰った氷室のお願いに、ぞわり、と背中を本能が駆けるのを感じた。紫原は蜜を溢れさせる後孔に指を三本突っ込んで、雄のごとく突き上げる。短い声を何度も上げる氷室の体は相当敏感で、布に隠れた雄が頂きを迎えるのもそろそろかというくらいに蜜でぐちゅぐちゅになっていた。氷室が紫原の指に突き上げられて腰を揺らす度、擦れ合う雄同士から流れる水音も増していった。きゅう、と歓迎する後孔は雌のそれと同じかそれ以上だと思う。紫原はこのまま氷室のものと擦れて共に達するのもいいが、やはり胎内で果てたい、と望んでいた。ぐるりと円を描いて指の根本まで食わせてやると、氷室は仰け反ってびくびくと震えた。悩ましげな表情は口を開きっぱなしにしてあられもない声を上げる。その際ちらりと伺った雄からは蜜しか出ておらず、甘い匂いが漂った。

「ん、室ちんイっちゃった?…かーわいい、すっごいえっちな顔してるねぇ」
「あ、あ、だめ、動かしちゃ、あっ、イ、っ」

ドライオーガズムを迎えた氷室は連続で絶頂に達する。紫原の腕の中で二、三度大きく震えて甘ったるい声を漏らした。途端漂う甘いフェロモンにかじりつきたくなる衝動を抑えて、晒された喉に肉厚な舌を這わせた。べろりと舐めると今まで食べたどんな果実よりも甘く中毒性のある味が舌を伝った。まるで氷室は兎ではなく果実なのではと錯覚させるように。

「ねぇ、オレのと室ちんの擦れてる、気持ちいいね、もっとこしこししてあげるね」
「あっ、や、ああぁ、っ、はぁっ、だ、めぇっ」
「さっき出なかったもんね、ちゃんと出してあげる」
「出さなくて、ひぁあっ、いい、あんっ」

後孔に指を詰めたまま、氷室のものに手をかける。布を剥ぐと正しく蜜をたっぷり含んだ果実が食べごろを迎えていた。しっかりとそそり立つ茎を緩急つけて擦り、果実を自身のそれにくっつける。ぬるぬると滑る蜜を溢れさせる果実は真っ赤に熟しきっており、割れ目からどんな果汁を放出するのかと期待に菫の瞳を細めた。紫原は自分を剥ごうと胸を叩く氷室を可愛く思いながら手のスピードを速めた。

「ぅああっ!らめぇえ、いや…ぁっ…いっちゃう、出ちゃうぅっ…ンっ!」

片手で茎も先端も激しく擦られ、びゅくびゅくと溢れた果汁は乳白色をしていた。これでは果汁と言うよりも乳ではないか。紫原はいやらしい笑みを湛えて氷室の瞳を覗き見る。かぁっと染まる目元は紫原を煽るのに十分だった。

「ふふ、室ちんミルク出ちゃったね〜。アレ?…ほら、残り全部も出さないと」

茎に残る乳を搾りとるように指を輪っかにして根本から擦り上げる。「んんんんっ」と快感に堪える声を発して大きく反る氷室は果実の先端から残りの乳を果実から零した。
氷室が絶頂に達して射精した時、紫原の三本の指を咥えていた後孔はしっかりと指を絡め取って収縮をしていた。あまりのきつさに抜くのに多少時間はかかったものの、内壁からにじみ出る蜜にとろついた指先を赤黒く腫れ上がった自身に塗る。未だ小刻みに震える氷室の瞼にキスを落とし、美しい肢体をうつ伏せにする。

「じゃあ、寝っ転がってお尻上げて?室ちんの欲しいものぶち込んであげるから」

氷室は絶頂の余韻に浸る体をゆっくりとシルクのシーツに預ける。白く透き通るような背を見せて誘うように腰を上げ、とろけた後孔も、搾り取られた果実も全て紫原に見られる高さまで腰を持ってくる。その動作に何度ずくりと快感を感じただろうか。視姦だけで射精してしまいそうだった。臨戦態勢の自身を手で擦って士気を高めながら、ゆらゆら揺れる魅力的な小さな尻尾を撫でる。

「ひゃあっ、あっ、んん…あっ…ぁあんっ」

尻尾から尻、尻から内腿、上がって玉、茎、果実の先端を最後にくるくると円を描くように刺激して蜜を垂らす極上の孔に自身を宛がう。零れる蜜に先端をくっつけ、わざとくちゅりと音を鳴らすと、氷室の耳がきゅっと畳まれた。

「…気持ち良すぎてブっ飛ばないでよ」

ぺろり舌舐めずりをして、入り口に先端を潜らせる。じわじわと進んで侵すことで連続的な快楽を与えると氷室は甲高い声で鳴いた。お前のでけーから入れた瞬間気持ち良すぎてトんじまうこともあるかもな、なんて昔青峰に言われたことを気にしてこの行為に及んだが、どちらにせよ氷室には大きな快感に過ぎなかった。
木で作った棒とは比べ物にならない化け物サイズのブツが胎内を擦る快感は今まで経験したことのない程のものであった。もうあんなに細くて冷たい自作の棒には戻れない。大きく太い、しっかりとした硬さの肉棒に貫かれてしまったのだから。
全てを咥えさせると紫原も氷室の予想以上の締め付けに顔を歪ませた。絡み合う肉は紫原を咥えこんで離さない。

「はっ、ぁぁあああっ…、あぅっ、あ、ふ……ぅ、ん…っ」
「……っ、締めすぎだし…っ」

涙を流す氷室はシーツに短い爪を立てて快楽を甘受する。人前でこんなに足を開いたことはない、恥部を晒す羞恥心が顔を朱に染め上げる。紫原は突き刺したまま氷室のくびれを片手で掴むと、くっと持ち上げた。膝が上がって重心が上半身に移り、氷室は驚いて紫原を振り返る。瞬間、それより深い場所に腰を打ちつけられて喉の奥からきゅうんと声が漏れた。

「室ちんさ、腰ちょっと低い、んだよね…っ、辛くない?……………って、そんなトロけた顔されちゃあオレ、室ちん壊しちゃうかもしんないよ、マジで」

体格差が激しいせいで氷室が腰を高く上げても紫原の高さには届いておらず、紫原が腰を屈めて挿入していたのだが、ピストンをすると言うとやりづらい体勢にあった。氷室の腰を持って自分のやりやすい位置まで上げると氷室の膝は宙に浮き、爪先がシーツをカリカリと引っ掻いていた。
荒い呼吸を繰り返す氷室の体を腕一本で支え、汗ばむ背中に舌を這わせる。咥内を満たしていく甘さに掻きたてられて首筋に上っていくと切ない声をあげる氷室が拒むように首を横に振った。

「…ぃ、ゃあっ…なめ、ないで、…ふぁ、ぁぁぁあ、…っ」
「なぁに、気持ちいいんだ?…峰ちん言ってたし。こーゆー時にやだやだ言うのはやって欲しいってことだって」

ぴくんと体を揺らすと奥に刺さった紫原が肉壁を突き、その快感で更に震える。ざらついた舌が与える刺激は甘い疼きに変換されて受け止められるようで、氷室の唇は興奮して飲みきれない唾液で艶々と濡れそぼっていた。
電気すら点いていないこの部屋を照らすのは外から差し込む一筋の月光のみ。宵闇に踊らされる二匹の獣は本能のままに互いを求め、愛し、交わる。

「ん、あっあっ…ふ、あ、むぅ………っ」
「………っは、ちょうかわいい…、っ」
「……、…っむ…………っふ……ん……」

氷室の腰を片腕で器用に支えながら肉壁を蹂躙し、空いた腕で艶髪とそれから生える耳を撫で、濡れた唇を貪る。両方の口と耳を愛撫されて氷室の理性は蕩けきっていた。発情が促す性欲が満たされていき、同時に好意を向けられ愛されるというのは生まれて初めてだった。あまりの快感で自分が自分でなくなるような気がして怖かったのは昔の話で、今は紫原から与えられる口付けに身を委ねてもいいとその身を投げ出せた。
長い間隔でゆっくりと氷室の体を味わう紫原は征服欲を満たしていた。もうこれで室ちんはオレのもの。誰にもあげない。誰にも奪えない。狩猟以外は何にしろ緩いと言われてきた紫原にも、譲れない大切なものができたことが何よりも嬉しくて幸福だった。同じ種族ではないからこそ惹かれ、今日のことがあったからもっと大事にしたいと思えた。愛する彼が怖がらなくていいように、泣かなくて済むように、これからはずっと傍にいると誓えるほどに。
氷室の背を悪戯に舐めている際、狼に服を裂かれた時に切れてしまった薄い傷をいくつも見つけた。憎悪の感情が胸の内に渦巻くのを止められず、もし氷室の言葉が無かったらあの狼たちの命はとっくに散っている。出会えた時、氷室が食べられていなかったのが不幸中の幸いだが着くのが遅れていたら。氷室が狼共の醜いブツを咥えさせられ、散々喘がされて輪姦され、汚い精液で汚されてしまっていたかもしれない。もう二度とこんな目に合わせるものか。恐怖の間に負った小さな傷を労わるように、紫原は丹念に舌を這わせた。
発情期で快感に敏感な氷室の体は紫原の緩慢な抽送にも過剰な反応を見せる。蜜で蕩けた内部を硬く太い昂りで擦られるだけで持ち上げられている腰が勝手に揺れ、先程搾り取られた果実の方も首をもたげて透明で粘り気のある果汁を垂らしてシーツに糸を伸ばす。孔という孔から蜜を零して喘ぐその姿態はなんて淫猥なのだろうか。突き上げられて甘い声を出す氷室は、間違いなく淫乱そのものだった。

「…はぁっ…、…アツ、シ……も、……」
「………え?なあに?」
「もっと、っはぁ…、つよくこすっても…いいから、んっ…ぁ、…ぐちゃぐちゃにして…?」
「〜〜〜ッ!…も、もー室ちんたらえっちなんだから…!加減できなくなっても知らないしっ」

潤んだ瞳に上目遣いで加虐心を揺すられて氷室の細腰を掴むと、一息に最奥を貫いた。言葉にならない音が氷室の喉から発せられる。その衝撃に灰の瞳を見開かせて体を硬直させた。シーツに立てた爪が細い線を引いていく。紫原はお構いなしに腰を引き寄せて短い間隔で昂りを打ち付けて氷室の胎内を刺激する。ぷくりと膨れた個所を通過した際、一際大きな嬌声を上げたところを見れば、紫原がすることは一つだった。

「ひっィ――――――――――ッ」
「どう、したの?室ちん、そんなに善がって」
「っア、ひんっ、んん、あぁあっあっ!あっ!」
「ん、ココきもちいー?もっと擦って欲しい?」
「んっ、んっ、きもち、いぃっ…あぁんっ…こしゅってっ、もっとぉ…ひッいあああっ!」

前立腺を刺激する度に接合部からとろけた蜜が溢れ出し、内腿を伝い落ちていく。月光に照らされててらてらと光る体液はいやらしさを帯びていた。
雄を誘う雌のように甘い声で強請る氷室は最高にあざとい。前にも何か質問してわからないことがあったらきょとんとした顔で小首を傾げるのが常だったが、情事の際に自分の発した言葉を復唱するほどあざといものは未だ感じたものはない。紫原は口元に笑みを描いたまま、氷室の望み通り膨らみを激しく刺激する。気持ちいい場所を擦られると収縮にも力が入るのか、紫原も氷室の後孔に翻弄されていた。紫原の立派過ぎる昂りからたっぷりと精液を搾り取りたいと筋肉が結託して攻め立てているのだ。
ギシギシとベッドをこれ以上ないくらいに悲鳴を上げさせるほどの抽送は最早二人が上り詰める為のものと化していた。その為部屋に近づく足音さえ二人の耳には届いていなかった。
バンッ、と承諾もなしに勢いよく開けられた戸から現れたのは、紫原に手を焼いていたあの狼の姿だった。

「ちょっと何スかさっきからガタガタガタガタ耳障りッスよ!………へ?」

金髪を風に浮かせ、揃いの耳と尾を硬直させる。仄かな月明かりの中致す二人を凝視してしまった被害者――黄瀬涼太は涼しげな目元を引き攣らせた。
彼の視界に入ったのは言うまでもなく乱れた着衣で交わる二人の姿だった。幸いなことに黄瀬の角度からでは接合部は見えなかったのが救いだ。だが、この部屋のちょうど真上に位置する黄瀬の部屋にまでベッドの軋む音が聞こえていたのだ。黄瀬もまさか不穏な音の正体が二人――しかも片方は兎ときた――の交接だと知れば顔を引き攣らせるのも無理はない。

「なーに黄瀬ちん、今、室ちんぐちゃぐちゃにしてる、トコだから、邪魔しないでよっ」
「アっ、や、もっ、アツ…シ、ぁんっ…いっちゃ、イっちゃうぅっ!」

ベッドにうつ伏せの状態で腰を持ち上げられ、背後から突かれる氷室の反られた白い背筋に意図せずに唾を飲み込む。扇情的なその姿を切り刻まれた無残な服がいやらしさを際立たせ、艶髪から生える黒銀の耳は濡れたように艶を放ってシルクのシーツにしな垂れる。兎にしては大き目の体格から雄だと見受けられたが、紫原にいいようにされている姿を見ると雌にも映った。あれ、そんな話、どこかで聞いたこと、あるような。目にしたのはこれが初めてだ。【雄兎の雌化】なんて。
兎の表情はとろとろに溶けていて、開きっぱなしの唇から涎が零れて糸を引いていた。部屋を漂うお菓子とは違う甘い匂いも相乗して、自身の心臓の鼓動がやけに早く打つその音が異様に大きく感じられた。
紫原の腰のグラインドが速くなり、兎の腰は大きな手によってがっしりと力強く掴まれる。兎のあげる嬌声は段々と大きなものに変わっていき、そしてほとんど雌の発する高音域に達した時だった。

「うん、イっていいよ、気持ちいいね、室ちん…っ」
「ひゃっ、あっあっ、あっ!ああぁっ!………は…あぁぁ…っ」

接合部の蜜とぶつかり合う肌の音が止む。紫原は兎の腰に指が食い込むほど掴み、腰を深く打ち付けたまま果て、少し体を前傾させて苦しげな表情を浮かべる。兎は連続的に鳴き、最高潮を迎えた後も途切れ途切れに喘ぐ。紫原のラストスパートに大きく体を跳ねさせて、白濁を注がれている間痙攣を起こしたように小刻みに震えた。
―――…見てしまった。すぐに部屋から出ればよかったものを。
絶頂の余韻に浸る兎の体は紫原の手が這いずると面白い程反応する。紫原の巨躯が兎に覆いかぶさるようにして腰をくっと進めると、下で「ぁあっ」と鳴いた。すると突然菫の瞳が上向いて、黄瀬を映す。

「……あーあ、室ちんイったとこ黄瀬ちんに見られちゃったぁ」
「…はぁ……ひ、んっ……」

意地悪く黒銀の耳を食みながら、にやついた笑みで兎を見やる。氷室はびくびくと体を揺らしながら控え目に鳴いた。

「かわいーでしょ?オレのだから黄瀬ちんにはあげないよ。わかったら邪魔しないでよねー、かわいーとこ見せてあげたんだから。……それとも室ちんに惚れたならヒネリつぶすけど」
「………ヒネリつぶされる前に退散するッスよ。後、ケッコー音漏れてるから気ぃつけてほしいッス」

眠たげな瞳にキッと睨まれて、黄瀬はやれやれと肩を落とす。誰が狼一力のある紫原の惚れ込んだ相手に手を出すものか。それに自分には紫原に抱かれていた兎よりも魅力的な兎を知っている。手を出すならばそちらだ。惚れる相手にも系統はある。自分があの兎のような者がタイプでなくてよかったと安堵を覚えてそっと戸を閉めた。尚、戸を閉めても情事は続いているわけで、今夜いっぱいはこの音にも我慢が必要か、と頭を抱えた。
紫原は黄瀬がいなくなったのを確認して氷室の体を仰向けにする。挿入したまま、ぐるりと体を反転させて。胎内をぐるりと回されて高い声で鳴く氷室の顎に伝う唾液を舐め取って、かわいいと囁く。向かい合う体勢になった氷室は眩しそうな顔をして紫原を見上げる。

「ぁつし…アツシ、っ……」
「……ふふ、なぁに?足りないってカオして」

ちゅ、と親指で氷室の唇を撫でるとくすぐったそうに目を細める。腰に手を滑らせて腰をゆったりと進めると、氷室は途端に甘くとろけてしまう。物欲しそうに自分の名を呼ぶ愛兎に口付けを送れば首の後ろに腕が回された。

「…も…っと、………アツシをちょうだい…?」

鼻と鼻が触れ合う距離で可愛らしく甘えられれば、こちらも応えるしかない。それも最高に、氷室が満足できるまで。それまでは許してって言われても止めてあげない。紫原は笑みを浮かべて本能の波に身を任せ、昂りを打ち付けた。





「ね、室ちん」

隣で子供の用にあどけない顔で寝息を立てる恋人の髪を梳きながら、一人言を呟く。夢の中の恋人にはその言葉が届いているとは思わない。けれど眠る前に繋いだ手は未だ解かれてはいない。

「ずっと一緒にいよ」

ぴくん、と揺れる耳は反射か何かだろう。かわいいな、今頃どんな夢を見てるんだろう。オレは出てるかな、なんて笑ってみたり。
きっと氷室は真っ赤になって俯いて、恥ずかしそうにして頷いてくれる。妄想だと言われればそうなのだけれど、紫原にとっては今から数時間後に起こることなのだから妄想ではなく予測だと言い張るだろう。ただでさえ可愛いのに、そんな風に反応されたらもう骨抜きになっちゃう。
紫原の氷室への想いは圧倒的に一途だ。生涯氷室と共にありたい、と願うまでに。

「オレのお嫁さんになって」

愛しい恋人の頬を指の甲で撫で、覚醒を急かす。時折零れる声に微笑みながら幸せを噛み締める。
目が覚めたら、まずおはようのチュー。それでお風呂に入れて綺麗にしてあげて、赤ちんからもらったドライフルーツをたっくさんあげよう。それから新しい服に着替えさせて、毛繕いしてあげよう。礼儀正しい室ちんのことだから、ありがとうなんてチューされたらどうしよう。それから見晴らしのいい巣のてっぺんから世界を見渡して、室ちんの知らなかったこと全部教えてあげるの。それから、それから、それから―――――…
やりたいこと、伝えたいことがいっぱいあるの。いくら時間があったって全然足りないんだよ。

「だからね、室ちん。早く起きてよう」

朝日はとっくに昇っていて、上階からは狼達の活動する音が聞こえてくる。目覚めの速い紫原はかれこれ2時間はこうして氷室にちょっかいをかけて起こそうと試みている。けれど起きる気配のない氷室に我慢の糸が切れた紫原は、そっと美味しそうに艶めく唇を食む。吸い付くような唇の感触にめまいを覚えながら、何度も何度も口付ける。繋いだ手で小さな氷室の手を握り、はやくおきてと訴える。

「……ふ…ぁ……ん……っ…」

執拗に口付けを繰り返すと、次第に甘い吐息とフェロモンが漂い始める。握った手がぴくり動いて、絡み合う。
――――…愛しい恋人が目を覚ますまで、後もうちょっと。




オオカミなキセキと兎な相棒組の話


( オオカミキセキと兎組 )


メリー紫氷!この後むっくんは氷室さんをお嫁さんに迎えようと赤司を説得に行きますがそう簡単には許してくれないでしょう。その先は気力があれば書きたいですっ
20121225 ナヅキ
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