「かっこいいよねー…」 「そうそう、最後にレモン味も仲間入り!って言う時のカメラ目線の顔とか特にヤバい!」 保健室から戻った折に教室内から聞こえた会話の内容が、何とか谷何とか介(確かそういった雰囲気の名前だったように思う。関心は無いし覚える気も其の心算も無かったが故に、記憶はあまりにも曖昧で適当に構成されている)と言った新人タレントに関する話題である事は直ぐに解った。 最近テレビの電源を入れる度、どの局にチャンネルを合わせても必ずと言って良い頻度で目にする炭酸飲料のCMに出ているタレントがそいつであり、数人の女子が語尾を伸ばしながら話している事柄が其のCMについてのものであったからだ。 授業が始まる時刻が近付いても、扉の隙間から僅かに廊下へと零れながら同時に室内の喧騒に紛れ込む声達の調子は変わらない。よく十五秒足らずの映像に対してそうも意見や見解を膨らませられるものだ、と若干の感心すら抱きつつ席に着く。 「花ちゃんは?あーいうのどう?」 「えっ?あ、えっと……うん。何か、爽やかな感じでいいなとは…思う…」 そして固い木造りの机に頬杖をついた直後、耳に馴染み過ぎている声が綴ったそんな台詞が俺の鼓膜を遠慮無く揺さぶった。 それらは授業を終え、下校時間を迎え、帰路を歩んでいる今も尚俺の頭蓋の中を浮遊している。同時に自分に対する幾ばくかの呆れも目下胸中に居座っていた。 補整されたコンクリートの道に伸びる二つの細長い影はずっと同じ動作を繰り返している。影と、其の持ち主の脚だけが動く。靴の底が地面を叩く鈍くて軽い音だけが夕刻の空気に控えめな変化を齎すばかりで、俺はそういった現状にも気まずさのような、歯痒さに似て、焦れに近い感覚をも抱いた。 元来俺は他人と居る際にべらべらと口を動かして話題を提供するタイプじゃあない。其れは今現在俺より二歩分ほど後ろを歩いている花巻も同じで、且つ、自ら唇を開くという事に関して言えば俺よりも消極的だろう。 気が乗らない俺とは違って花巻の場合はもっと複雑な感情やら思考やらが絡み合った上での閉口なのだとは思うし、それでもどうにか自分の気持ちやその他諸々を言葉に換えようと日々花巻なりに行動していると知ってもいたが、今は花巻が別段何も話し掛けてこない事はどちらかで答えるなら有難かった。 餓鬼かよ、と内心で自分自身に嘆息する。彼女の一言をきっかけにブラウン管相手に張り合う日が来るとは思わなかったし、そんな気持ちにさせられるような事が有るとも予想していなかった。ベタな恋愛漫画を体現している気分だ。 「 …、…やっぱり… 」 車も通らず近辺に何かしらの店なども無い路地で発せられた声は存外はっきりと耳に届いた。あくまで独り言として零したかったのか随分と小さな声量ではあったけれども、其れは確かに花巻の声で。 殆ど反射的に顔を振り向かせると、少しだけ不思議そうな色合いを湛えた丸い瞳と視線がかち合った。 「やっぱり?」 「ふぇ、っ!?あ、今の、聞こえて…?」 「ああ、まあ。どうした?」 「……………そ、れは……えっと、」 花巻の両頬が急速に赤みを帯びる。緊張や焦りを覚えた時にも顔を上気させる奴ではあるから今や然程驚きはしないものの、このタイミングで赤面に至る理由が解らなくてつい首を傾げてしまった。 だが次の瞬間、何だかんだ其処までのさざ波は立っていなかった俺の頭の中と胸の内側は、何とも言い難い擽ったさと確かな安堵、それから単純な嬉しさといったものに瞬く間に占拠される事になる。 「や、……っゃ、やっぱり藤くん、が、一番…。…一番、格好良いなって思った、から……!」 震える睫毛が酷く愛しいものに想えた。そんな自分も、ちゃんと好きになれる気がした。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ (title:降伏) 30000ヒット企画/こうさまへ |