幼い同士 | ナノ
 


「どうしたら良いのかなぁ…」


そんな言葉が聞こえた瞬間、俺は扉の取っ手を思い切り横へと引いていた。其れと同時に何故だか若干焦げ臭い匂いが鼻をついたが、問題視するべき点は其処じゃない。
弱ったような困惑の色を滲ませた声の持ち主が一つ歳上の鏑木真哉であった事こそが重要事項だ。


「どーしたんスか姐さん、何か有ったんですか!」
「え、妹尾君…?やだ、私廊下に聞こえる位大きい声出してたかな」
「コイツの聴力が異常なんだろ、シンヤの犬みたいなモンだし」
「ンだコラ、やんのかデブ」


妙な髪型をしたデブ、もとい美作だかイカサマだかが涼しい顔で言い放った台詞に対してメンチを切ると鬱陶しげな視線を返された。そういう顔をしてやりたいのはこっちだふざけんな。姐さんに言いつけられている為に普段は武器の携帯や喧嘩を控えているが、一遍コイツに廊下で足払いを掛けてやりたい気持ちは顔を合わせる度に膨れている。
そもそも其処らの野良犬にさえ負けそうな皮下脂肪満載の輩が姐さんを呼び捨てにしている時点で俺の中ではコブラツイスト施行確定者なのだ。

不意に、また焦げたような匂いが鼻をつく。異臭の元を辿ろうと首を捻ると、テーブルの上に置かれた四角い箱が視界に入った。
中に収められている各々の形状やその詰め方、人参らしき物体の緋色や卵らしき何かの黄色から察するに恐らく弁当である筈の其れから黒い靄のようなものが漂っているように見えるのは、俺の視力に問題が有るのだろうか。


「この弁当、火事にでも巻き込まれたのか?」


そう呟いた瞬間、其の場の全員が俺を凝視した。ハゲとデブとモヤシの軟弱トリオは端から気に掛ける心算など更々無いが、姐さんや兄さんに加えて兄貴までもが俺の顔を窺っているのは流石に違和感を覚えない方が難しい。

加えてよくよく見れば、驚きも露に口を半開きにした儘動かない兄さん達と姐さんの表情は大分異なっていた。常に力強い意思に溢れている眼が何処となく煌めいている。
やはり視力に異常が出たのかもしれない。何時も凛々しい姐さんが心無しか頬を色付かせて嬉しそうに俺を見ているだなんて最早幻覚だ。
だが保健医である兄貴に早速診て貰おうと一歩踏み出した時には、今まで椅子に腰掛けていた筈の姐さんの顔が直ぐ眼前に在った。


「せ、妹尾君、コレお弁当に見える!?ちゃんと見える!?」
「え?いや、見えるも何もそれ明らかに弁当…」
「……良かったぁー…」


何時に無く真剣な面持ちの姐さんが纏う雰囲気に多少気圧されて首を二、三回縦に振りながら答えると、途端に目の前の顔がふわりと緩んだ。眉尻が垂れて肩も下がって、俗に言う緊張の糸が切れたかのように柔らかく微笑んでいる。
こうして改めて近くで見ると姐さんの肌はかなり白いのだと言う事が判る。男女の差なのか、顔立ちは刀哉によく似ていても姐さんの方が瞳が大きいし睫毛が長いし唇が厚い気がする。
と言うか俺は一体に何に注目しているんだ、しっかりしろ自分。


「刀哉の分もお弁当作ったんだけど、何か味付けが濃過ぎたみたいで要らないって言われちゃって…。で、藤君のお家が料亭やってるって聞いたから味を見て貰おうかなって思ったんだけど、少し焦げてるからコレじゃ味が分からないって断られちゃって…どうしようかなぁ、って」
「おいハゲ、てめーちょっと焦げてる位で姐さんの手料理を無駄にするなんざどういう了見だ。焦げ目が芳ばしさを出すんだろーが」
「誰がハゲだ。この弁当よく見ろ、単に焦げてるだけってレベルを越えてるぞ」
「じゃあ焦げないようにすりゃ良い話じゃねーか。心配無いっスよ姐さん、今日からは俺が全力でサポートしますから!」


流石は姐さん、ご自分だけじゃなく刀哉にまで気を配って弁当を手ずから作るなんて其処らの女とは一味も二味も違う。優しさと気遣いと強さを併せ持つ、敬うに値する人物だ。其の姐さんの手作りの品の数々を食す機会を自ら無くす野郎の気が全く知れない。

確かにおかずに火が通り過ぎて表面が焦げついている事は俺とて認めざるを得ないが、調味料の量と火加減に注意すれば具材を焦がす失敗は少なくなる。料理下手な姉を抱える身の実体験として断言出来るし、何なら僭越ながら俺が姐さんの手助けをしたい位だ。
そんな意気込みと共に視線の方向を藤と言う名のハゲから姐さんへと戻すと、依然として燦然と煌めく大きな瞳が其処に在った。


「ありがとう、妹尾君。私もう一回…ううん、もっと頑張ってみるね。ちゃんとお弁当に見えるって言って貰えて、少し安心した」


整った顔に浮かぶ表情がまた和らいで、綻ぶ。
其れを視覚が認識した二秒後、急速に耳やら頬やら頭の中やらが熱を持ち始めた。由々しき事態だ、視力だけで無く体温の調節機能にまで支障が出てきたらしい。
取り敢えず今の俺が第一にすべきなのは、姐さんに顔を見られないよう極自然に身体を反転させ、且つ此方を眺めて半笑いを浮かべているデブに拳を一発見舞う事だ。




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(title:にやり)


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