世界が一回転半した時の話 | ナノ
 


カシャン。と、プラスチックが何かにぶつかる軽い音と共に筆箱の中から溢れて飛び出した数本のペンが床に転がった。見た目も然程派手では無く響いた音も小さい其の出来事は、学校内と言う場においては毎日何処かの教室で起きているだろう茶飯事に類する。
授業の合間の僅かな休憩時間でさえも忙しなく口を動かす生徒達は当然の事ながらたかが筆箱が落下した位で自分が会話に集中させている意識を余所へ向ける訳も無く、案の定と言うべきか、床に落ちた文房具が持ち主以外の手に因って拾われる気配も無い。

ある意味でこうなった事は当たり前とも言える些か薄情な光景に、無意識の内に溜め息を吐いていた。俺はあくまで学生であって働く事の苦労も生きる事の難しさも未だまざまざとは心得ていないのだから、この現状が社会の縮図だなどとは嘘でも言えない。
言えないが、それにしたって誰か気付いてやれよと思う。筆箱を落とした張本人である花巻は椅子に座った儘で精一杯腕を伸ばして赤いボールペンを拾おうと尽力していた。一旦席から離れて、しゃがんで取ろうと言う発想は浮かばなかったのだろうか。
もしも筆箱を落としただけで其処までの余裕を無くしているのだとしたら、アイツが患っているのは最早あがり症では無くパニック症と言える。否、其れは流石に花巻に失礼か。


「ほらよ」
「あ、…っあ、ありがとう…」


只でさえ大きな眼が丸く象られる。赤いボールペンと何やらカラフルな花模様が描かれたサインペンらしき筆記具を拾って渡すと、常々同様に若干どもった返事が返ってきた。
けれども余りにあがり過ぎた時は返答すら口から出てこなくなる花巻が礼を言っただけで上出来だろう。其の要因はやはり相手が俺、と言うよりは、藤以外の男子だからに違いない。

花巻の目線が一瞬だけ右へ逸れる。視線を追って首だけで振り向くと藤と明日葉の二人が先ず視界に入った。
明日葉と話していて此方を向いていない藤に、花巻が筆箱を片付けながら安堵したように小さく息をつく。其の様子に俺はついに長々と溜め息を吐き出してしまった。


「花巻さぁ…そうやって藤の事ちらちら窺うの、お前の為にも止めた方が良いんじゃねーか?」
「えっ、…ぇえ!?ふ、藤君って、やや安田君あの…!?」
「いや、ちょ、落ち着け!悪りーけど何言いたいか全然わかんねえから!」


咄嗟に声量を抑えたのは良しとするが、発言が文章として出来上がってもいないのは頂けない。これで相手の言いたい事が解るなら俺は読心術をマスターしている事になる。
いきなり核心を突いたのは軽率だったかもしれない。先ずは藤の名前を出すだけに留めて、様子を見れば良かった。


「お前、藤の事が気になるんだろ?だからさっきみたいに小っせぇ失敗した時、アイツに見られてないかが心配になるんじゃねーの?」
「や、安田君…!」


物凄く必死な形相で人差し指を唇の前に立てて閉口を促す花巻の頬は林檎も顔負けな位に赤い。しまった、また核心を突いてしまった。突くと言うかもう突き刺してしまった。何だか先刻からやたら小さな後悔ばかりしている。

念の為背後を見遣ると、藤は相変わらず明日葉との雑談に興じているようだった。何時の間にか美作も加わっている。


「気にし過ぎるから逆に失敗すんだって。今お前、俺には普通に礼が言えたろ?相手が先公だろうと藤だろうと変に身構えないで思った事言えば良いんだよ。じゃなきゃ花巻も余計に緊張するだろ」


言葉を遮られないように早口で言い終える。最後の台詞が声となって空気を震わせると同時に改めて目を合わせると、花巻は何処となく呆けたように睫毛を瞬かせて俺を見上げてきた。
思わず何か変な言い回しをしただろうかと懸念が沸くが、思い返してみても特に不審な点は見当たらない。そもそも国語の成績が中の下な俺の口からやたらと凝った表現や難解な単語が出てくる訳が無いのだ。我ながら情けない。


「……あ、…あの…、…」
「ん?」
「ぁ、あり…ありがとう…」
「お…、おお。そーそー、ソレだよソレ。そういう感じで良いんだって」


今一度花巻から寄越された礼は先ほどとは幾らか違った。唇の動きは相変わらずぎこちないが、口角がはにかむように少しだけ持ち上がっている。瞳も見開かれたりはしていない。
誇らしいとでも言うべきか、何故だか急に褒めてやりたいような気持ちが沸いて、俺の口元も勝手に緩む。今まで巣から出る事に怯えていた雛鳥が自力で飛び立つ瞬間に立ち会ったかのような達成感だ、と言ったらやはり花巻に失礼だろうか。
花巻のあがり症が多少なりとも改善されなければ、この儘だと十四歳にして父性か何かに目覚めそうだ。




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(title:にやり)



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