「只今、千円以上お買い上げのお客様にオマケを差し上げておりまーす」 そんな台詞と共にレジの店員が差し出してきた蛍光色の其れを、特にまじまじと見る事も無く直ぐにチャックの開いた鞄の中へ放り込んだ。購入した漫画が詰められた安っぽいビニール袋は既に口がテープで止められていたが為に、追加された品を入れる為に態々開封するのも隙間から捩じ込むのも面倒だった。 其れだけの理由で財布と音楽プレイヤーの間に押し込んだからだろうか。本屋の出入り口から足を踏み出してエスカレーターに靴底を乗せた時には、ほんの数分前に見た派手でけばけばしいピンク色の物体の事などすっかり脳から抹消されていた。 駅構内に建てられたビルから一歩外に出ると一気に雑踏の気配が全身を包む。沢山の人間が忙しなく行き交う空間に視線を巡らせてみても目当ての人物が見付かる訳も無く、自動扉近くの壁へ背中を寄り掛からせた。 携帯電話の液晶画面に表示された時刻は待ち合わせに指定した時間の五分前を示している。我ながら良い時間配分で動けたと思う。 程無くして、人混みの中から此方を目指して小走りに近寄ってくる姿が視界に入った。普段履いている制服よりも幾らか柔らかいシルエットのスカートがはためく。 「ふ…藤君!ごめんなさい、待った…?」 「いや、さっき来た所。買っときたいモンも有ったから早めに来てたし」 こういう、日常の中に点在するふとした瞬間に思う。花巻は初めて同じクラスになって初めてまともに言葉を交わした頃より、少なからず成長した。 中学生の頃ならば、待ち合わせた相手に気付いて貰うと言う意味が有ると判っていてもこうもすんなりと声を掛けてくる事は無かった。少し吃りがちなのも直ぐに頬を色付かせるのも相変わらずだが、女の場合は十六歳ともなれば多少落ち着きも出てくるものなのかもしれない。 付き合い始めてからおよそ一年と三ヶ月程が経過し、こうして俗に言うデートなるものに出掛ける事も幾度となく有ったが、改めて思い返してみれば花巻は今までの間に徐々に落ち着きと云うものを得てきているように思える。 俺の両眼で見ると如何しても平常心を会得する速度が緩慢であるように映ってしまうのだが、人には個性と呼ばれるものが在る上に花巻本人が無理をしていないと承知しているだけに焦れったさなどは沸いてこない。この一年三ヶ月あまりの時間の中で自覚した事だが、何だかんだ俺は花巻に厳しくなれないようだ。 携帯を仕舞おうと鞄の中へ右手を突っ込むと、中指が何か柔らかくも硬くも無いものに当たった。極僅かに弾力の有る、何処かで触れたような覚えの有る感触に眉を寄せた二秒後にぎらついたピンク色が思い出されて、俺の口からは「あ。」と些か間の抜けた声が一つ零れ落ちる。 「花巻、コレやるよ」 「えっ?あ、…えっと、良いの?」 「どう見ても俺が使うようなモンじゃねーだろ。本屋でオマケだとかって貰ったんだけど使わねぇし、取り敢えず貰っとけ」 「…ありがとう。可愛いね」 やはり花巻は変わった。否、成長した。驚いた時に瞬きの回数が増える辺りは今も不変を保っているが、唐突に物を渡されても以前のように慌てふためいたり言葉を見失ったりはしない。改めて言動に気を配りながら接すると、其れらの事がよく判る。 そして俺も多少は変わったのだろう。陳腐な花の形をした毒々しい色の消しゴムを掌に乗せて微笑む花巻を素直に可愛いと思う、そんな部分が自分に在るだなんて、十四歳に成り立ての時は想像すらしていなかった。 あの頃の俺を馬鹿だとは思わないが、俺は今の自分の方が断然好ましい。ピンク色した物体を大事そうに握る花巻を見ているとそう思えた。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 10000ヒット記念/八密さまへ (title:バンビーノ) |