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金色のネイルカラーを見つけた。
寝室のベッド横に置いた、笠付きのランプが乗っている小机。引き出しと扉が一つずつ付いたそれに珍しく触れたのは、枕に一滴落とす為の香水を入れたアトマイザーの収納場所を探していたからだ。ああそういえばこんな手近な所に引き出しがあったんだわ、どうせ週に何度かは香水を垂らすのだろうし入れておいても良いかしらと思って丸く象られた取っ手を掴んで引くと、奥の方から細い円柱の形をした瓶が転がってきたのだ。
ラメの入っていない滑らかな金色は、偶に自らネイルを施すとは言え私にはあまり縁の無い色だ。どうしてこの色を買ったのだっけと黒いキャップを見つめながら思い返す。思い出す。確か逸人に再会した日に、買ったのだと思う。

少しだけ冷たいそのボトルを手に取る。思い出す。ユグドラシルをオープンして、まだ間もない頃だった。病魔を捕獲出来る美容院だなんて噂も立っていなければ認知度も低い単なる個人経営の店であった「仕事場」の存在を広める為に、また経験を積む為にと病魔の気配が濃そうな物事に経一がやたら首を突っ込んでいた時期。
21時を過ぎても帰って来ない経一の事を、どうせキャバクラで酔い潰れているのだろう程度に思いつつハーブティーを淹れていた時にかかってきた着信。電話の相手は経一だと携帯の画面は表示しているのに、スピーカーの向こうからは少しの呆れを含んだ落ち着きのある低音が聴こえてきたのだ。

『もしもし、……鈍か?』
「えっ…」
『突然悪い、緊急なんだ。女性に頼むのも悪いし気が引けるんだが…お前の所の馬鹿引き取りに来てくれないか。相当酔っているみたいでな、鈍が鈍がって喚き…ああいや、何か訴えながら僕の脚に纏わりついて離れない』
「…ごめんなさいね〜、うちの阿呆が迷惑かけるわ…」

綺麗な低音に混じって遠くから「おい逸人無視すんなよ〜、お前まで俺に構ってくんねえのかよ〜、携帯返せよお〜」と酷く情けない声も聞こえてくる。大方酔っ払ってふらついている所に逸人が声をかけて絡まれ、面倒くささから逃走を試みて、しかし経一の無駄に鍛えられた肉体に負けて諦め、最終手段として私に電話をしたのだろう。
昔からそういう人だった。自分の事は適当な癖に、他人は放っておけないのだ。最後まで手を貸すのだ。五年振りに交わす会話の第一声に、酔っ払いの引き取り要請に対する詫びの言葉を選ぶ逸人。そんなところも少し腹が立つ。

「バイクは無いの〜…?その人バイクで出て行った筈よ」
『ああ、鍵は持ってた。ただバイクを駐輪した場所を忘れたらしい』
「………鍵折っちゃって良いわよ〜、何か失わないと改めないんだからそいつ」

まったく情けない同居人だ、と思う一方で少しだけ、本当に少しだけど経一を褒めたいような気分になっている私が居る。そんな私の方がよっぽど情けない。
逸人の声が思っていたよりずっと穏やかで優しくて、それが私は、嬉しかったのだ。逸人の中には私も経一もまだちゃんと居るように思えた。三人並んで弁当箱をつついた十四歳の頃には戻れなくても、実は今も手を伸ばしてみたら案外それだけで白衣の裾ぐらいは掴めるんじゃないかしらなんて。

「そうねぇ、取り敢えず今居る所か、合流したい場所教えてくれる〜?場合によっては捨てて帰るけど、これ以上人様に迷惑掛けられても私が困るし一応は向かうわ」
『お前が来るまでは見張っておくよ、僕が目を離した所為で何か問題起こされても何だか後味悪い。場所なんだが、…っおい、ちょっ経一ひっつくな!誰が鈍だ!』

相変わらず経一には何処かぞんざいに、けれども同性相手だからか私に対するよりも余程気兼ね無いという意味で遠慮なく接する逸人の声に思わず小さく笑ってしまってから四十七分後、顔を合わせた逸人が放った台詞は「鈍も大変だな」だった。あまりに彼らし過ぎて再び笑ってしまった私を、逸人は不思議そうに瞳を瞬かせて見つめ、経一は目線を幾らか落として気付かない振りをしていた。
そうして帰り道、経一の二日酔い対策として栄養ドリンクを買いに寄ったドラッグストアで、ネイルも買ったのだ。猫みたいに光る逸人の目に似ていると感じて思わず手に取った色。買ってから、一度も塗らなかった色。

蓋を捻る。ぎこちない手応えで開いた瓶の口には、これが初めての開封にも関わらず既に固まった塗料がこびりついていた。内蔵されている筆を引き抜くと、滑らかさを失って絵の具のような質感と化した金色の雫が先端に球を成していて、しかし水分が足りないが故に床に落ちる気配は無い。
今の私の涙のようだと思った。私はまだ、逸人の為に泣けずにいる。






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20120821
一周年ありがとう企画/中町さんへ

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