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 「よ、ハル」

 ソーダ味のアイスをかじった訳でもないのに何とも爽やかな心地を齎す異性を、私はこれまでの短くも長くもない人生で一人しか知らない。授業中、瞼を降ろせば頭の中にまで出張してきて微笑んでくれる彼の爽やかさと言ったらグラウンドから聴こえてくる生徒のはしゃぎ声も気にならない程胸の真ん中を昂らせて、いつだって私の気分をあくまでふんわりと浮かせてしまう遣り手なのだ。
 それならそんな素敵スマイルを現実として目の当たりにしているこの状況には殊更気分がふわふわ浮わつくかと訊かれたら、それは違う。白馬の王子様、は言い過ぎだろうけど不意にその場に現れた野球少年は充分に存分に周囲の女子の視線を集めていて、ついでにその視線達は私にも注がれているのだ。ああ、年頃の女の子って何て不躾で熱くて刺々しい目をするんだろう。私も山本さんと、山本さんに近寄る見知らぬ女の子相手には同じようにして両目を光らせているのだろうか。

 「野球部の顧問が今日は急に休んじまってさ、大人の監督が無い中野球やる訳にもいかねーし結局部活なしになったんだ。で、確かお前の学校って並中よりちょっと下校遅かったよなーと思って来てみた」

 「新体操部、水曜は休みなんだろ?」だなんて形の良い薄い唇が紡ぎ出すものだから顔から火が出てしまうかと思った。そんな事をさらりと言われれば、山本さんが他校生である私の下校時間やら部活のスケジュールやら、本来は知らないであろう事実を知っているばかりか把握している事もが簡単に露呈してゆく。
 周りの娘達は何を思って囁いているんだろう、もっと可愛いヘアゴムを着けてくれば良かった、つい一昨日ちょっと高めの飾りが付いたヘアピンも買ってたのにどうして今日着けなかったんだ私の馬鹿野郎。
 並森中学の敷地に居る時はあんなにも、あんなにも容易く埋めていた二歩分の距離がもどかしい。バットも携帯も牛乳も持っていない、自惚れじゃなく私の為に空けてくれた右手を握りたいのに、名前すら恥ずかしくて呼べやしない。

 「ハル?どうした?」
 「あっ」

 不意に、覗き込まれた。真っ直ぐな背筋を態々曲げてまで窺ってくれる山本さんの自然な態度にときめくやら申し訳ないやら、且つこんな時でも情けなく火照った両頬に気付かないで欲しいなんて無茶な願い事を頭の中だけで唱える。
 しかし当然そのような願いが叶う筈もない。山本さんは自らの柔和な瞳をあからさまにきょとんとした様子で二回瞬かせた後、耐えるつもりなど無いらしく最早腹が立ちそうなぐらいの爽やかな笑顔と笑い声を振り撒きながら左手で私の右手をすっぽり包み込んだ。

 「ハハハ、すげー顔真っ赤!」
 「うう煩いですよ…!あのっ手、その、人が…」
 「ハルって大抵の場合は積極的なのに、ちょっとした事には可愛い反応見せるよなあ」

 あ、顔が発火した。そう思ったものの実際はただ発熱しているだけで、自由な片手を頬に当ててみれば驚く程熱かった。繋がれている掌も妙に熱くて、夕暮れ時の少し微温い風が私には妙に涼しい。山本さんは私の手をぐいぐいと、けれどもそっと、なのにしっかりと掴んで引っ張って離さない。
 何時もの帰宅ルートに続く曲がり道を鮮やかに通り過ぎて向かう先は商店街。嬉しそうな顔をして斜め前を歩く山本さんの片手が、今や私と同じ位に熱を持っていた事にふと気付いて、放課後デートのお誘いを口頭で告げられない彼の可愛さがどうしようも無く好きだと思った。






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20120628
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