「おや。どうしました、折角の整った貌が台無しですよ」 そうだった、こういう言い回しを使う男だった。あたしの口からは二酸化炭素と一緒に薔薇の香りが逃げてゆく。 食べれば吐息が薔薇色、なんて無名の新米芸人が放つ話術よりも寒々としたキャッチコピーのガムを気紛れに買ってみた事がそもそも間違い、たったの十二粒に一ドル八十セントも払ったあたしは今更ながら馬鹿者だ。どうせ手首には香水をあしらうのに一体何を期待して真っ赤な薔薇の描かれたパッケージに手を伸ばしたのだろう、全く思い出せない。 そして其の事であからさまに眉根を寄せて、骸ちゃんが部屋に入って来ても挨拶をしないで、一体何を、期待したのだろう。 元の造りを褒めているのか、化粧の出来映えに感心しているのか、そんな事柄すら判然とさせないお優しい問い掛けが一つ。あたしの眉が上がっていても下がっていても、この人の睫毛は何時も通りにゆっくりと瞬く事ぐらい判りきっている。 「ねえ骸ちゃん。薔薇って美味しいのかしら」 「エディブルフラワーの話ですか?」 「まあ、間違いでは無いわね」 「僕は食べた事は有りませんが…菓子になった物なら大外れという事は無いかと思いますよ、個人的には。花の香りなど砂糖に蹂躙されてしまっているでしょうから」 何て事、ならばあたしはある意味稀少な外れ籤を引き当ててしまったのだろうか。そうだとしても嬉しさはゼロ、一ドルと八十セント分の硬貨の重みを失った財布の手触りが滑らか過ぎて気分は寧ろ益々下降の途を辿る。 口の中で甘くも無く爽やかでも無い香りが渦を巻く。何回二酸化炭素を吐いたって薔薇はしつこく舌に絡みつく。あたしらしくない、失敗。 向き合った鏡の中のあたしの睫毛が瞬く。不愉快そうに歪んだ唇は赤薔薇より幾らか柔らかな朱色で飾られて、上塗りしたグロスが天井から降る照明を跳ね返して艶々と輝いている。 どれ程着飾ろうとあたしに相対した人間は電子レンジに放り込まれた生卵と同じ運命を歩むけれど、其れは致し方ないし其れで良い。無様に生にしがみつく身の程知らずの為にガムを買った訳ではないのだから。 「ねえ、骸ちゃん」 「何ですか」 「花は好き?」 「ええ。花殻も徒花も、存在価値が在ると思いたくなる程度には」 「それって相当好きって事よね?」 「そうかもしれませんねぇ。…さて、そろそろ行きましょうか。今夜の行き先はワインの品揃えが豊富なフレンチレストランの地下ですよ」 「あら、仕事には全然関係ない所だけ洒落てるのね」 一瞬だけ空気を吸い込む。 何の味もしなかった。右手に下げた楽器と拳銃入りの鞄が何時もより重い気がした。 |