まともなお給仕を期待してはいけません


「よくけぇってきたなてやんでご主人様ばーろっ」
「ん?」

ウインクを決めたハルに思わず聞き返したのは、言葉の意味がわからなかったとか、そもそも聞き取れなくて意味がわからなかったとか、そういうもっともらしい理由なんかではない。
フリフリとレースにまみれたハルが両手でつくったハートを胸の前に掲げている、その光景が意味わからなすぎて。つい漏れでてしまった声だった。

とどのつまり意味がわからなかったわけだけれど、そこには越えられない壁が確かに存在する。

だってこんなサービスを受ける店にきた覚えはない。ここはチビ太の屋台のはずで、確かに装飾がやたら華美になっていたことは訝しんだけれど普通におでんを食べにきたはずがどうしてこうなった。
あらためて見上げた暖簾にはメイドinおでんの文字がでかでかと踊っている。メイドってそういう…フリフリした服でお給仕的な…?

おそるおそる中を覗けば仕込まれたおでんはまともに見えてチビ太の理性が残っていることに一縷の希望を抱きつつ、ハルと同じくフリフリのメイドに扮していることからは全力で目を逸らした。
警戒しながら腰をおろした僕に、ハルは変わらずに過去のバイトで培ったであろう媚びまくった笑顔を向けている。

「よくけぇってきたなっ」
「帰ってきてない…むしろおじゃましてる…」

その無駄に弾む語尾はなんなの。頭上でやけに自由度高く弾んでいる長いウサギの耳にも意識を持っていかれて落ち着かない。いやねそこは好き好きだし文句いうつもりはないけどほら、こういう格好でよくあるのはネコなんじゃないかな、ていう。まあウサ耳が駄目なわけでは決してないと今、身をもって知ったのですが。
ハルこんな服も着こなせるの天才だね。

そして、僕はそれとこれとは分けて考えられる松ですので、ちょっと引っかかった所もまとめて手放しで賞賛はできないわけで。

「おとなり失礼しますっ。お客さま、当店のご利用ははじめてですかっ?」
「昨日までは常連でしたねええ、ええ」
「私もお客さまがはじめてなんですっ。だから緊張しちゃって、一緒に一杯よろしいですか?大将、こちらの方におビールと、あとボトルはいりまぁすっ」
「いや、いいわけないよね。なに酒飲もうとしてんの」

身を乗りだして屋台の奥から自分用のボトルを引き寄せようとする。それにはチビ太も、てやん、と難色を示したようだった。

「こぉらっ。今のオイラは、石頭のにゃんちゅんもえもえきゃぴるんチビ太っ」

え、そこ?

「そうでした、すいません」

そしてハルは真面目に学ぼうとするな。
ともあれ、まともなおでんが出されれば食べるに吝かではない。話は食べながらすればいい、と適当に見繕ってくれるように注文すれば、皿の変わりにメニュー表が立てられた。二つ折りの厚紙を開いてハルが読み上げる。ざっと目を通して、メイドさんのお給仕もので普通のおでんを期待した僕が間違っていたし全体的にカラシが多くて不安しかない。

「にゃんにゃん…きゃぴきゃぴ…?」
「はぁいっ。にゃんにゃん大きゅんときゃぴきゃぴちゃまごっ承りましたっ」
「そうじゃない、そうじゃない」
「お待ちいただいてる間に、チェキですっ」
「え、わっ」

強引に事が進められ、流れるように引き寄せられた肩と押し付けられる頬。ちっか。え、本当にはじめて?客があっけにとられてる間に丸め込むの上手すぎない?そして近くない?

「五千円よこせばーろっ」
「たっっっか」

いや待てよ、特別使用の女の子と同じ画面におさまるにはそれだけの対価が必要ってこと?なるほど理にかなってる。
そう考えると安い気さえしてきたな。

だからといって僕の財布にお金か沸くわけでもないので、がま口の中は今日もすっからかんだ。かろうじて底にたまっていた小銭をハルに見せると、聖母のような微笑みで指に挟んだ一枚五千円のツーショットをチビ太に手渡しそのまま手動のシュレッダーにかけられた。ああ…。
やはり許されなかったようだ。

ちょっと金をつくってくればもう一度撮ってもらえるだろうか。なんなら僕は写さなくていいから割り引きなんてしてくれたら、そのくらいなら兄弟の誰かが隠し持っているだろうからすぐにでも用意できるけど、とそこまで考えて、暖簾に仕切られた外でほえほえだよんと通りすぎる他人の気配に毛が逆立った。

暖簾を割って周りを窺い、耳をそばだてる。遠ざかるおっさん達のほかには誰も、特にいま鉢合わせたくないあいつらがいる様子はなくてひとまずは安堵の息を吐いた。

そうだった、ここに来るのは僕だけじゃないんだよ。知らないおっさんも来るし、僕じゃないクズ五人も常連顔して来るんだからね。特に後者は会ったが最後、ハルをチビ太の屋台から遠ざけた意味がなくなってしまう。僕が引っかかっているのはそこだ。

「…ハル、俺が言ったこと覚えてる?」
「もちろん、にゃんにゃん大きゅんときゃぴきゃぴちゃまごは石頭のにゃんちゅんもえもえきゃぴるんチビ太さんがちゃんと準備してるよ」
「違うしチビ太それやらなくていいから!いらないから!…ハル、それじゃなくてもっと前のことなんだけど」
「もっと…どのくらい?」
「まさか、あれから何回もチビ太のとこに来てたわけじゃないよね」

完全に僕が世迷い言を並べていると思っている。確かにハルのためと銘打っておいてその実、僕の保身でしかない口実だったけれど、頭の片隅にも残らないほど軽くあしらわれたのは少し堪える。まあ僕なんてその程度ですけど。
逡巡していたハルがやがて中空の一点を見つめて小さく「…あっ」と漏れた声に焦りを滲ませた。

「危ないから来るなって、言ったよね俺」

ぺろりと、とぼけるように舌を出したハルの目が泳ぐ。

「俺言ったよね」
「………覚えてたよもちろん」
「目を合わせてもう一回」
「忘れてました!」

そんなことだろうと思いました。
まあ僕も、目先のエサにつられて大事なこと忘れかけてましたけども。

しばらく客の私情に口を挟まない、いない者として店主らしく身を引いていたチビ太が、夜遅くに女の子ひとりは雇い主として配慮にかけていたかもしれないとまっとうな反省会をひらいていたけれど僕の意図とはずれているから放っておくことにして。その流れで今日付けでハルを解雇してくれないだろうか。

「自慢じゃないけどハルに何かあってもたぶん俺たすけられないから、ちゃんと自衛して」
「ほんとに自慢になってなくてうける」
「真面目に聞く」
「だって、私だって馬鹿じゃないもの。松の知り合いだって知ってたからだし、遅くなれば石頭のにゃんちゅんもえもえきゃぴるんチビ太さんが送ってくれるし」
「そこは普通にチビ太でいいんだよ」
「あ、そう?」

肩を竦めてのらりくらりと。押し問答をしてもどうやら曲げるつもりはないらしい。し、もとより口数で敵うわけないから一肌脱ぐなり身を削るなり骨を折るなりして重い一言を発さなければならなそうだ。

万人に響くような格言でなくていい、ハルを是も非もなく頷かせる瞬発力のある内容。あれ…むしろ難しくなってない?
自分で上げたハードルのプレッシャーで気分が悪くなりながらビールをあおろうとして、はたといつの間に置かれたのかと隣を見ればハルがフリフリのチビ太から透明な液体の注がれたコップを受けとっていた。お冷や、なわけないよね。日本酒嗜んでんじゃねえぞこら。

出されてしまったものはしかたない、僕も負けじとコップを傾けて、ぷは、と息をついたついでに、

「お、俺も…知らない人についてったりしないって約束するから」

空きっ腹にビールは脳みそが揺れる。なかばアルコールの勢いだったけれど、フリフリのチビ太にどんな目で見られているのか確かめたくはない。
わかってる。わかってるよ大の男がなに言ってんだって話ですよね、しかも逆に犯罪疑われそうな身なりのやつがね。はは。

でも今はハルがだいじ。ハルがいちばん。ハルのランキング暫定最下位、まだ僕に席があればいいけど、よしんばあったとして、それを脅かす五つの存在にいま僕は怯懦しているのだ。

天の慈悲か、まだ関心を損なってはいないらしい。ハルが大げさに口を覆って酒を飲む手を止めた。

「嘘でしょ…松がそんな、無理に決まってるじゃない」
「無理じゃない。できる。だからハルも俺との約束守って」
「お金ちらつかせられても?」
「…束でほっぺた叩かれたら…そりゃ多少は体張る、かも…」
「ほらぁ!」
「いや現実的じゃないでしょ今の例えは」
「できない約束で交渉しないで。正直に言うけどね、ゆるいわりにコレがいいのよおたくの友人…!」

人差し指と親指で輪っかをつくるハルに打ちのめされる。これ以上ない動機に勝ち筋が見いだせない。チビ太に白い目で見られて身を削るくらいのことはしたと思ったけど骨折るくらい気張った内容じゃないと覆せなさそうで暗転しそうになった時、

「そこまでだぜ」

チビ太の一声でお互いに口をつぐんだ。内心、感謝よりも舌打ちしたい気持ちで溢れそうだった。たいがい女の子には甘いチビ太のことだ、解雇なんて都合のいいことが起こるわけなくて、どうせ持つのはハルの肩に決まっている。ニートでツケばっかりの僕とハルを比べてみろ、社会的説得力が雲泥の差どころじゃないのは分かってる。僕の心チビ太知らず。なんでハルをここに近づけたくないか知らないチビ太からすれば天秤にかけるまでもないだろう。教えるつもりはないですけど。

なのに、その僕の予想はどういうわけか裏切られたのだった。

「そこまでだぜハルちゃん」

え、と僕とハルの困惑の声がかぶった。
ハルの前にもおでんの皿が差し出される。からしで文字は書かれてない。まずは落ち着け、ということらしい。僕をうかがってからだいこんを割りはじめたハルは出汁も飲めと口出ししてくるチビ太に素直に従っている。

「おいしいです」
「そうだろ、うめえだろ」

おでんってのは心を穏やかにさせてくれる、いわば屋台界の精神安定剤なんだ。

「はい」
「聞かなくていいよハル。自分に酔ってるだけだから」

指示棒に見立てたおたまを振って説く真面目なテンションと見た目のギャップに風邪引きそうではあるけれど、僕たちを労る眼差しは面倒見のいいチビ太そのものだ。

「男にここまで言わせてんだ、男心ってのを分かってやってくれや」
「は?」
「え…私クビ?」

物申させてもらえれば、僕の心は男心ではない。ちょっと違うけどいい方向に話が流れはじめたので言うに言えない。んんん、と唸るにとどめて飲み込む。
笑わずにフリフリのチビ太のご高説に頷くハルに少し面白くない気もしたけれど、仮にも上司であるから僕より社会経験があるハルには当然の対応かもしれない。

「この服、ちょっと気に入ってたので残念ですが、しかたないか」
「ああ、悪いな。男ってのはそういう生き物なんだ、守られてやってくれや」
「そうですね」

あ、終わった?
コップに残ったビールを眺めているうちに纏まったらしい話によると、無事にハルを連れ帰ることができそうだった。うちのクズ五人はついと現れなかった。よかった、これで僕の側にいてくれる期限が伸びた。

「そういえば、ハルはなんていうの」
「なんて?」
「源氏名みたいな。ハルもあったんじゃないの」
「あ、そっか」

考えてなかった、と明確な呟きが耳に届いたと思うと、一言二言、声を落としてチビ太と相談してから向きなおる。

「じゃあブリリアントシャイニングぴるぴるハルにゃんですっ」
「まぶしっ…」

どんだけ輝きたいの。ギラギラ光って目が潰れそうなうえに、うさぎなのかネコなのか贅沢盛り合わせすぎる。僕から聞いておいてなんだけど知人の前では憚られるでしょこれは。記念に一回くらい呼んでみてもいいかも、とか思った自分を頭のなかで押さえ込んだ。

「というわけで、短い間でしたがお世話になりました。また何かお手伝いできることがあれば、」
「ハル」
「…松と一緒に、できる範囲で」
「いやお気遣いありがとうなハルちゃん、ずいぶん助けられたぜ。…これ持っていきな」

近くの公園のトイレで着替えを済ませたハルに、日当の入った茶封筒と一緒に持ちかえり用に包まれたおでんが二人分。食べかけのおでんと酒をぺろりと胃におさめてから受け取って、また来ますとか言いそうなハルを遮りつつ去ろうとすると呼び止められた。まだなにか。振りかえると、僕に用はないとばかりにハルに駆け寄っていった。

「あとこれな、忘れるところだったぜ。チェキ代はハルちゃんの稼ぎだ…おいらが使うわけにゃあいかねえ」

そう言って追加で握らせた五千円札が三枚ほど。目ん玉が転げ落ちるかと思った。

「ハル…えっ…これ…」

震えて宙を彷徨う僕の両手に、封筒と三枚の五千円札を握りしめたハルの手が添えられる。僕を心配してくれているのは伝わるけれど、手元をはっきりと見せつけられて、あれ?あれ?おかしいぞ。

「えっ、えっ…ハル…俺がはじめてって言った…」
「あ」

これってつまり、僕意外と三回はチェキ撮ってるってことだよね。妙に手慣れてるはずだよ、だってはじめての客じゃなかったんだもん。

「ハルが信じられなくなりそう……こわい…」
「松が来たのははじめてだしっ、松とははじめて…!ねっ?」
「今のうちに聞いとくけど、まだなにか隠してることがあったらいっそ追い討ちをかけて」
「ないよ!ないからごめんね松。頼むから泣かないでこんなところで」
「泣いてない。笑ってるだけだし。膝が」
「ああっ」

その三回のチェキの中に、僕と同じ顔がいた可能性が…?
いやちがう大丈夫。クズニートで今日チビ太の屋台に寄ったのは僕だけだ。落ち着け落ち着け。ちょっとチビ太僕にも落ち着けおでんくれないかな。

「はぁ…はぁ…待って、歩けない…」
「私につかまっていいから、全体重はかけないでね。支えるから」
「うう…」

フラフラになりながらハルの部屋に帰って、ベッドを占領して、チビ太かくれなかった落ち着けおでんの代わりに持ち帰ったおでんを餌付けされた。散々な日だった。


クローゼットを開けたハルが悲鳴を上げたのは、それから数日たったころだった。じゃばらにスライドする扉の向こうに普段着やよそ行きの服に混じってかけてある、ボリュームのせいで幅をとっているフリフリのメイド服。きっちりと納められたそれにハルが青ざめた。勢いよく首を巡らせて部屋中を見わたすハルに合わせてぐるりと首の運動をしてみたけれど、とくに変わったところはないはずだ。巡らせた終着点を僕に定めて、貸与されたものはチビ太に返したはず…とハルが警察と霊媒師どちらを呼ぶべきかを聞いてきてやっと、なぜ怯えているのかに思い至った。

「あ、俺ですけど」
「おまえかよ!」

ごめんまだ言ってなかったね。

「松のドッキリは心臓にくるから。ほんと、石橋叩きすぎて壊すタイプのくせに」
「ふひ」
「ほめてない」

それでどうしたのこれ。
すっかり気抜けしたハルに問われ、べつにやましい何かがあるわけじゃないけれど、しどろもどろと唇をとがらせる。

「サプライズが、いいらしいので…」

チビ太の助言によるものだ。あのあと気を遣ってるのか世話を焼きたいのか、良好な関係を続けるには、と知ったふうな顔であれこれ吹き込まれたわけだ。サプライズのなにがいいのかは最後まで分からなかったけれど、あのメイド服はハルも惜しそうにしていたから。

「そう、そっか」
「なに」
「いやね、ごめんねドッキリとか言って」
「べつに。変わんないと思うけど」

いやぁ違うでしょ、とへらりと笑ったハルがクローゼットからメイド服をだして、軽く体に当てている。姿見に顔を寄せて肌の具合を確かめ、髪を簡単に鋤いて振り返った。

「松、まわれ右〜」
「え、」
「みぎ〜。ほら、親しい中にも?」
「…礼儀ありぃ」

なんの合言葉だよ。
言いながら背を向けると、その途中から衣擦れが聞こえてハルが着替えはじめた。いまから?まさかそのメイド服着るの?
壁を向いて足の指をもじもじさせているうちにすぐ音はやんだ。

「いいよ…あ待ってリップくらい塗っておこうかな」
「……もういい?」
「んーどうぞ」
「うわ、ハルの部屋にメイドさんがいる…」
「それはなに、引いてんの」
「感動してる…」
「ならよし」

わざとらしく頬に手を当てて照れたふうを装ったハルはまたフリフリのメイド服に身を包んでターンを決めてみせた。

「普段メイクだから薄くて服に顔負けるけど」
「あ、ちゃんと頭のもあるよ」
「これが私物になるってどうなのよ」

と言いつつ受け取ったウサ耳を装着してきちんと鏡で確認している。鏡の隅に映りこんだ拍手する僕に満足そうに頷いて、改めて振り向いたハルはひとしきり胸の前でハートを作ってポージングしたあと、僕からスマホを取りあげた。
べつに盗み撮りとかするつもりはない。せっかくだから、上手くできるか分からないけど撮ってもいいか聞こうとは思っていた。

「私ひとりで映すつもり?」

さっと隣に座ったハルが僕の肩を抱き寄せる。限りなく近づいてお互いのほっぺたが餅みたいにくっついたかと思うと、ピロンとスマホの電子音でシャッターがきられた。
あっという間の出来事だった。
我に返れば、スマホのカメラロールに追加されたハルと僕のツーショット。半開きの口で呆けた僕とは対象に、角度をつけてカメラ映りを意識したハルの笑顔が完璧である。

貴重なんだからね、と添えたハルに慌てて全身のポケットを探った。窺うようにハルを見上げる。あったところですっからかんの財布は、そもそも持ってきてすらいない。

「ごせんえん、持ってない」
「なぁに、いらないよそんなの…あーそうね、松は友達割りでサービスってことにするわ。プライベートだしね」
「と、ともだちってそんな割り引きもきくの…」

万能すぎる…。思わぬところで思わぬものを手に入れてしまって、返されたスマホをしっかりとパーカーのポケットにしまう。
見届けたハルが笑んで、しみじみと言った。

「サプライズって相手に喜んでほしいと思ってるってことじゃん」
「そっか…そうなの?」
「そうだよ」

もう一度ハルを見上げる。

「ハルのところだけ待ち受けにしていい?」
「あいや待たれい!」

やるならせめてメイク盛らせて、とさっきまでとは打って変わって胸の前で大きなバッテンをつくられた。



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