強烈にアハ体験しました


振動するスマホを取り出すと、「おじゃまします」と松からのメッセージが一件。その上には画面外に押しやられる間際の先日のやり取りが覗いているけれど、ふきだし内の華やかさがえらく違って遡った履歴にはテンションの乱高下した松のメッセージ群が連なっている。

「文章だとキャラのブレがすごくてびっくりしちゃうな」

おそらく私に合わせて慣れない絵文字やらスタンプやら、汗を流して選んでくれてるんだろう。それで不意に我にかえって過去の自分を呪いながら、今回みたいなシンプルな文面で送ってくる。
たぶんそのうちまた私の気分上げ上げなご機嫌メッセージにじわじわ寄せてくるんだと予想できる。なんて難儀な。

カラフルな星マークつきで「ナイス!」なんて送られてきたときにはアカウントが乗っ取られたのかと、対処法を検索してしまっても仕方なかったと思う。あの時は松に電話で知らせたりしなくてほんとに良かった。善意が人ひとり殺してしまうところだった。

とにかく松が我が家におじゃましているらしいので、肩掛けの大きめなトートバッグを掛けなおして戸棚のなかを思い返してみたけれど生憎と茶菓子を切らしていた。大学から帰途につこうとしていた折りの連絡だった。帰りがてら、いい感じに調達していきたい。家主の私のほうが手みやげ持っておじゃまするみたいだ。

お菓子専門店のオススメ詰め合わせ、はちょっと食べたいけど遠いしなんだか癪だからなと頭の中ではじき出したコンビニスイーツに頷いて道すがらに自動ドアをくぐり、まずはお菓子の棚から目ぼしいものをかごに放り込む。チョコがサンドされているビスケットに間違いはないと私の経験則が言っているので新商品をいくつかと、食べ過ぎないようにというのが無駄な足掻きだと分かりきっているけど個包装されている大袋のアソートタイプ。それから酒のあてにもできるチーズに、ポテチは松が好んでいた気がするから食べきりサイズを味違いで。

かごの中が充実してきたら、飲み物が冷蔵庫のミネラルウォーターだけでは味気ない。ペットボトルが並ぶ冷ケースに移動しようとして、ふとお菓子コーナーの隣に陳列されたインスタント類の前で足を止めた。よく見る狐とたぬきの文字が目にとまって首をかしげる。

「あれ、なんでだろう、この間ものすごくこれが食べたくなってた気がする」

赤と緑のパッケージをひとつずつ手にとって、いや割高なのは分かるんだけれども思い出したときに買うべきなのでは?と若干の葛藤をしつつかごへ。いや金額のことは忘れよう!なんと言ってもこのかごには、これからドリンクもコンビニスイーツも追加されるんだから!

果たして余裕で四桁の合計金額にレジでいい笑顔になってしまった私は、鮭と梅のおにぎりまでかごに入れていたことを密かに反省していた。だってスイーツの近くにご飯ものの棚があるし、これも食べたいと強く思ったはずなのだ、この間、飲んだくれた帰り道で。
カップ麺とおにぎりって最強の組みあわせじゃない。カロリー待ったなし。おしゃれな専門店より高くついてしまったかもしれないことは、そのうち反省点に組み込むことにしてエコバッグの代わりにトートバッグに全部つめこんだ。


「帰りまーした」
「…遅かったね」
「ごめんね」
「べつに、待ってないけど」

言いつつ、裸足がぺたぺたと音をたてて玄関まで出迎えた松に主にカップ麺のせいで膨らんだバッグを開いてみせる。

「なにか言うことは?」
「あざす、ざーす」

リビングで一息ついて、私のぶんと松のぶんとを順に出せば分け前をもらうたびに両手で受けとってテーブルに並べている。受け取りながら今日はなにを食べるか吟味している顔だ。

「ぜんぶ一気にでも、お好きにどうぞ」
「こういうのは一個ずつ食べるからいいんだよ。一日の幸せもこのくらいがちょうどいい」
「そういうもんなの?」
「そういうもんなの。ていうかハル体重気にしてたのに買いすぎじゃない…うわ」

カロリー待ったなしセットを目の当たりにして、きっと正しい反応だった。お昼をとうに過ぎて夕飯前、おやつ時には少し遅い時間にさしかかって、さも他のお菓子と同類ですと言わんばかりに出したのは無理があったか。

「いま食べようと思ったわけじゃないよ、買えるときに買っとこうって。なんでか急にね、食べたくなったのよこの間。かなり酔ってた日だったからシメにしたかったのかも」
「ちょっと、また飲んだくれたの」
「あー大丈夫、歩いて帰れる距離だったし、誰か助けてくれた気がするし」
「ほらもう大丈夫じゃないよね」
「まあ、しまっとくから」

肩をすくめて話題の転換に失敗したことを悟る。逆に掘りさげてしまったけれど、松はついさっき決めたばかりの選りすぐりのひとつを他のとまとめて端にやってからおにぎりを引き寄せた。鮭と梅のシールをしばらく見比べて梅を私のほうへ押し戻す。

「これは消費期限ちかいでしょ」
「じゃあ軽食ということで」

晩御飯は絶対に減らすと心に決めたのち開封にとりかかる私を尻目に、松は億劫そうにおにぎりを掲げていた。
そんなに検分しても味は変わらないよ。

「いや梅と鮭って、どっちも難易度が高いっていうか」
「味に難しいとかある?」
「のりが綺麗にとれたためしがない」
「それは…分かる」
「でしょ。おむすびはしっとりなのりがいいよ。失敗して貼りなおしても、よれたのバレないし」

それは、自分が作る側の話なのかしら?
付け合わせのサラダとか、カップ麺とかにも破れたのりをふりかけアレンジして得した気分になるのもいいけど。松はきれいに出せたら出せたで一年ぶんの運つかいきったとか言いだしそうだ。やっぱり難儀に生きてるなぁ。

のりの乾いたいい音をさせておにぎりを食べ始めた隣で、松が慎重に包みを開いている。サイドのビニールを引いたときに、のりの悲しげな音を聞いた。

「あ」

ほらね、どうせこうなる。
皮肉な物言いのわりに気落ちしたふうもなく今度はのりが重なった部分を丁寧にちぎっては、はがはがと口の中にはりつけながらのりだけを食べている。

たまに食べるとなかなかうまい。真ん中の具をいかにまんべんなく白米と合わせるかに苦戦しながら、白いご飯にのぞくオレンジと赤にとてつもない既視感を覚えて、そのとき脳裏に稲妻が走った。そうだ、街灯に照らされた夜道でホラーさながらな出会いをした二人、いや二体?
酔いのせいで眠りにつかされていた記憶が一気によみがえった。

「あーっあーっオムスビ。そうだよいきなりスッキリした」
「…おむふび?」
「私オムスビに助けてもらった」
「は?」

シャケとウメって名前がおいしそうだったのよ。シメにお茶漬けにしたいラインナップでしょう。

「オムスビの、シャケとウメ……?」
「そう。私に負けないネーミングセンスしてると思う。あーかいきつねとみどりのたーぬーきっ、だったかにつけてもらったって。うけんね」
「赤と緑…」

もそもそ、と大きく頬張っていた咀嚼が止まった。無理矢理に飲み下すと猫背をさらに丸めて抱えた膝にうつむいた顔が半分埋もれた。

「ハルもなの」

心なしか声が震えている。

「何でもするって言われて介抱されたの」
「いや、いかがわしいことはなにも…?」

なんでも、だなんて不用意に言ったらいけないのよ…!
芋づる式に思い出された記憶では、抑揚のない機械的な声でありながら終始、紳士然としていた。二日酔いやむくみ防止に効く、しかも簡単にできちゃう料理とか、ルイボスティーとか何らかの統計をもとにやけに詳しく解説してくれて、ついでに辛くなるのが分かっているのになぜ飲みすぎるのですかとど正論でさとされたのにすっかり忘れて実践できなくて申しわけない。無事に二日酔いになって地獄を見ました。

「普通に近くまで送ってくれて普通にサンセクとやらに帰ったよ」
「そう…」
「いまどきの自立型AIって汎用化もすすんでるのかな。会話も問題なく成立したし、レンタルみたいだったけど私も借りられたり…?」
「ハルはニートじゃないからどうかね」
「しゃらくさいわねニートが」

でもそれで高性能AIが与えられるならニートもやむなしかもしれない。とよくある松の自虐ネタだろうと乗っかるつもりでそう言えば、そう、とますます顔が埋もれていって食べかけの鮭おにぎりが手もとからこぼれ落ちそうだ。いろんな意味で焦る。

「それでまんまと懐柔されて古いものは捨て置かれるんですよ。なんでも言えばやってくれて楽しくおしゃべりもできて、ハルもそういうののほうがいいでしょ」
「おい、おいおい私は松が大好きだぜっ。松も私が好きでしょ?」

すかさずフォローに入ったのに松には響いたのかどうか、驚いたような訝しむような反応が返された。おかしい、もう少し感動的なシーンになるはずだった。

「なに、き、急に」
「私のセリフだわそれは。どうしたの急に饒舌になって」
「べつに。結婚したらおれなんかよりそういうの連れていきたいですよねってだけ」

まず結婚しないし。落ちつきなく流しのほうからベッドの上、部屋干しされたままの洗濯物やラグへと視線をうろつかせている。いつでも裸足の足先をもじもじと遊ばせて、なにかまた松なりにややこしい考えがあるんだろうけれど。

「よく分かんないけど、新しいものが増えても松のお気に入りの隅っこはあけといてあげるから」

どうだろう。親切な言葉に見せかけて人権団体に審議を受けそうな内容だけれど、いわれのない施しはめんどくさいモード…もといマイナス思考に陥った松には逆に負担が大きそうだ。
ケツをスライドさせて部屋の角に背をはりつけ、無表情のダブルピースをつくった。ここで食べかけのおにぎりを落とさない器用さはいらない。どういう感情かは分かりかねたけどきっと内心は小躍りしているに違いない、と思うことで納得した。

「うん。よろこんでくれて私うれしい」

不憫が勝りそうなところをぐっとこらえて自分も食べかけだったおにぎりを一口はむと、目の前に鮭のオレンジ色があらわれた。松が半分ほど食べて三角のひと山が欠けたおにぎりを、咀嚼して飲みこんだばかりの私の口に押しつける。

「残りはあげるね。ハル、はいあーん」
「いや、え?まだ自分のあるし」
「いいから、ほらあーん」
「ちょ、しょうがないな。あー…もがっ」

およそ一口では受け止められない大きさが口に詰まって力業で流し込んだ炭酸との後味が最悪だ。そのおかげで梅の美味しさが際立ったのがとても不本意だし、そもそもご飯ものと合わない炭酸ジュースを買ったのはお菓子をひろげておやつタイムを楽しむためでは?
夕飯にはまだ早い。たったいま軽食としてコンビニおにぎりを一個と半分、胃袋におさめたばかりで献立を考えるのも億劫だ。なにを食べても美味しく感じる空腹のときならいくらでも思い浮かぶけれど、いいかんじに満たされてしまうと候補にあがるのはダイエットメニューみたいなのばかり。甘いものなら別腹、だけれど。しかも炭酸ともよく合うけれど。
誘惑に負けてあげるのもやぶさかではないなあ、と傾きはじめた私の気持ちをよそに今度食べるのを楽しみにいそいそとお菓子をまとめている松がいたので、私の分のお菓子も彼に従うことにした。炭酸は炭酸だけで十分おいしい。

「なんかやること、ある」

結局、日が落ちる頃には案外お腹に余裕ができるもので適当にパスタを茹でてインスタントのタレでお手軽に済ませたあと、ふいに松が言った。食器も洗い終わったしテーブルも拭いた。

「ゲームでもする?」
「そういうんじゃなくて、いや…やっぱいい」

ふい、と顔を逸らした松が手近な漫画を開く。ぱらぱらと眺めて、けれど集中できずにどこかそわそわしている。そりゃ時間をもて余しているニートなら、私の本棚にある分くらいあっという間に読みつくしちゃうか。その漫画もきっと何度も読んでいるに違いない。

「私おふろ行ってくるね」
「あ、うん」

構われないと構われないでどことなく不安そうに松が脱衣所までじっと見送っていた。放っておこうというわけではないから少し待っていてほしい。
あとは寝るだけにして久々にラックの奥から、当時は次世代機だったゲーム機でも引っぱりだそうと思って。当時の、といってもまだまだ現役で遊べるタイトルがおし並んでいるし、実をいうととあるタイトルの序盤の謎解きで詰んで以降、しばらく封印していのだ。私より松のほうがそういうの得意そうだし、そこまで暇ならやり込みの目白押しなほぼ未プレイゲームに、またやる気をだしてもいいかもしれない。

熱めのシャワーで頭もすっきりさせて、松を風呂場に押し込んでその間に準備を済ませようと勇んでドアを開けたら松が出待ちしていた。やっと出てきた、とドアの目と鼻の先でこれはもはや立ちふさがっている。私の肩からタオルをとってまだ水の滴る髪を拭いた。いい力加減だ。

「松も入っちゃってよ。やっぱゲームしよう、今夜は寝かせないから」

んー、とかあー、とか曖昧な返事がタオル越しに聞こえる。毛先の水気は私に倣ってタオルに押しつけてから、肩にかけ直された。

「ごめん、今日は帰るね」

あ、そうなんだ。
ポケットに忍ばせていたらしいマスクで深く顔を隠して、髪はドライヤーで乾かすことを念押される。なら夜更かしゲームはまた今度だね。肩透かしをくらった感はあるけど引き留める間もなくそそくさとサンダルを履いた松は、玄関のドアを開ける間際に私を振り返った。

「べつに痩せなくてもいいんじゃない」
「なんのはなし?」
「うん、」
「うん?」

体重のくだりなんてすっかり忘れていた私は思い出せないまま松に手を振った。都合の悪いことは忘れるに限る。

それにしても松が泊まらないのは珍しいことではないけれど、どうにも様子がおかしかった。暇で手持ち無沙汰なら私と一緒にゲームでもよさそうなものなのに。風呂上がりを出待ちしてまで早く帰りたかったのだろうか。

リビングに戻ると、ベッドの上に洗濯物が綺麗に畳まれて積まれていた。ずぼら思考でハンガーに掛けたままだった衣類であるのに気付いて、あらまあ、これがけっこう上手で家事手伝いをさせられている一面を見た気がして面白い。松がいたら感嘆がもれた私に変わらない表情でダブルピースふたたびだったことだろう。
これを見られるのが恥ずかしかったのか。もしかして、私がほんとうにAIを取りいれると思ったとか?可愛いやつめ。現実的な話、そんなお金はないからあり得ないので安心してほしい。

松が畳んでくれた服をしまおうと持ち上げたら、なにか薄っぺらいものが下敷きになっていた。おもわずへらりと笑ってしまった。猫と松の形に折られた紫色の折り紙。
松の忘れもの、ではないだろう。直接渡せないのが松らしい。というか折り目がついて使用感のあるこの折り紙、ポケットにでも入れて持ち歩いてるの?
次に来たときの反応が楽しみだから、わざと分かりやすいところに飾っといてあげよう。




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