心臓に悪いです


まだかな。まだ終わらないかな。
ハルさん僕ね、ここ数時間ずっと待ってるんですよ。いや別に壁を背もたれにするのは慣れてるし膝抱えて座ってるのも逆に安心するからいいんだけど。ハルが僕に背中向けてずっとパソコンいじって、ちょっと伸びたりするたびに終わったのかなって僕も背筋伸ばして期待しちゃったりするのにも限界があるっていうか。

僕居ていいんだよね…?いやもう、だいぶそわそわしてきてるから。来るなって言われてないことだけは確かだから大丈夫、なはず。
スマホをタップして、LINEをひらいてみる。一応、伝家の宝刀合鍵さまを所持していても、今から行ってもいいかは聞くから。それでハルの返事は、勝手に入ってて。

うん、ダメとは言われてないし、ほかでもないハルが入ってて、て返信してきてるんだからいいんだよ。僕居ていいんだよ。

おそらくハルは課題とやらに追われていて、僕のお邪魔しますの声にもまったく反応を示さなかった。しばらくはハルの周りをうろうろして横からパソコンを覗いたりもしてたけど、邪魔そうに唸られてしまったから壁に張りついている。いま、その状態です。
またハルが一呼吸ついて性懲りもなく瞼を押し上げる。ああ、はいはいやっぱりまだ終わらないんですね。そんなに大変なの。まあ大学生なんてものを経験してない僕なんかに分かるわけないか。

ねえ、とさっきから定期的にしている声かけに今度はなんと、ん、と返事があった。お、やっと?やっとか?
ずるずるとジャージを擦ってケツで移動する。もう一度近づいてハルをうかがってみた。真剣そのものでパソコンにかじりついている。

「ハルー、松が来てますよー…」
「……ん」
「ここで問題です、てれんっ。いまハルの隣にいる…とっ、友達かもしれないゴミクズはだれでしょーうか」
「…んー?松ぅ……」
「正解です。賞品は、あー…なんか飲む?」
「飲む」
「冷蔵庫あけるよ。うわ、栄養ドリンクしかない」
「うん、飲む」
「え飲むの」

これ1日に何本も飲むものじゃないでしょ。台所に空きビン転がってるし。でもほんとにこれしかないから、仕方なく1本取りだしてなぜか冷蔵庫に一緒に入ってた細いストローをさす。ハルの側に置いたら画面を見たまま手探りしはじめるから慌てて取りあげた。
ぜったいビン倒してパソコンが召されるやつだからねこれ!別に占い師じゃなくてもその未来だけは僕にも完璧に見えるから!
あっぶな…。精密機械いじってる自覚あるの…?
それで?今までのデータが飛んだら全部やり直しだからしばらく松とは会えないなあって?なるの?
は?病む。
いやいやダメでしょそれは。

「ハル、俺が…俺が飲ませるから、ほら持ってるから」

ストローを口に差し込んだらずこっと音を立てて一瞬で飲みほして、中身がなくなったと分かると咥えていたストローをぺっと吐き出す。新しいタイプの餌付けだなこれ。
もう1本催促されたらどうしようと思ったけどハルが画面に集中しはじめたから事なきを得た。とはいえ冷蔵庫に栄養ドリンクしか入っていないのでは逆に体に悪いからなにか調達してきたほうがいいんだろうか。

「あ、でも…財布がない。まあ最近は働かないで真面目にニートしてるしね、缶ジュース1本買えたら御の字でしょ…」

よっこいしょとジジ臭いかけ声で立ち上がった。ずっと膝抱えて座ってたら間接がかたまって軋むし痛い。膝が伸びきるまでちょっと心にダメージを負いながら待って、ハルのバッグを探した。直近で使ったらしい小ぶりなやつがハルのすぐ側に転がっている。

たぶんこれにハルの財布入ってるよね。ちょっと借りて飲み物だけでも買ってきて、ハルが正気に戻ってから事後報告でも大丈夫だろ、たぶん。ハルだし、怒られたりはしないよねむしろ褒められるべきでは?
うんいつもハルはお金出してくれるし、子供のお小遣い程度の金額でとやかく言ったりしないはず。
なんだろ、いつも兄弟間で横行してることが、ここではすごい悪事はたらいてる気分になる。いや常識からかけ離れてることではあるんだけどね、と脳内で多数の僕が討論を広げていた中のひとつの意見が心臓を砕いた。ちょっと、割れやすいんだからやめてよほんと!

そうだよ、僕がしようとしてたのって非常識すぎるんだよ。うん分かる。ハルの財布勝手に借りようとか、後からハルが知ったら、怒らないかもしれないけど信用とか大事なものを失いそう。
だって、奢るのはいいけど絶対に貸さないって前に言われた気がするし。ほらあと少しで地雷踏むとこだったんじゃないの!?
怖すぎるわハルに嫌われたら死ぬし、栄養ドリンク常飲する生活してたらハルも死ぬ。

「ハル…俺まだ待てるからあとで買い物連れてって…」
「ん、もうちょっと」

すん、と鼻をすすってハルの向かい側に座り待ちの姿勢になる。確かにタイピングの動きが文章の手直しをしてるふうに変わってるし、本当にあと少しなのかもしれない。
テーブルに顎を置いてノートパソコンの裏からたまにハルを覗いたりしながら待っていると、そのうち力強くキーを押す音と長いため息が聞こえて不覚にも猫耳が飛びでた。

「あー、終わった!やっと!解放された!」
「ふひ、おつかれさま」
「ま゜っ…?!」

そしてテーブルを顎置きにした僕をみつけたハルは五十音ではとうてい表せない悲鳴でもって僕の視界から消えた。え、僕のせいなの?

「もーぉ、なによ松の生首とか苦行から解き放たれて情緒おかしくなってるんだからほんとに見ちゃったかと思った」
「あんなに会話したのに…俺ずっといたんだけど」
「何となくいるのはわかってたけど」
「俺の扱い座敷わらしなの」
「生首だったよ」
「働きは座敷わらし以上だったから…たぶん」

テーブルの向こう側に倒れたまま顔を両手でおおって、ハルがころころと転がっている。這って側まで行くとおおった手の隙間から僕を見上げた。

「ちゃんと首から下ある?」
「足の先までちゃんとあるよ」
「ほんとだ」
「これが嘘なわけないでしょ」

引っ張り起こして立たせたハルに、無造作に置かれたバッグをかける。首をかしげて僕とバッグを見比べた。ぜんぜん話きいてないね。

「冷蔵庫なにもないから…」
「わ、うそ。ドクペでも買いに行こっか、どこに売ってるか松ならしってるでしょ」
「や今日はお茶とか、あとなんとかの天然水とか…あ、あと炭水化物」
「それがいいの?じゃあ適当に買ってくるから留守番しててもいいけど」
「い、行く」
「ついでにこれ持ってもらえる?いまは少しの荷物も持ちたくないよ」
「えっ、ちょっと…」

ハルに預けたバッグが戻ってきた。頭と片腕を通されて、ハルに合わせてあるから絶妙に短い肩ひもがなんともいえない。
男のパイスラなんて見ても面白くもないでしょ。それにただでさえニート生活でわがままボディに近付いてるのに露呈されるのはちょっと…。
右肩から胸元をスラッシュしている肩ひもを両手で握る。

「ありがとう松。ありがとう」
「え、うん…」

ハルがいいって言うなら、まあいっか。



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