道路脇にぽつねんと人がいた。男の人だ。足元にギターケースを開いて、もそもそとうろついている。
片手に持ってるバイオリンが、ストリートでは珍しいな、と目をひいた。
それから、とっても好きな絵師さんの自分絵だ、という謎の天の声も聞こえたような気がする。はて、ここにいる私にはなんのことだかさっぱり。
「あの、一曲だけでも…」
その人はたまに道行く人に声をかけているけれど、ことごとく素通りされてしょんもりと肩を落としている。そりゃあそうだろう。よれよれの紫色のスウェットに学生時代から穿き古したようなジャージと、え、便所サンダル…?マスクもつけてるし…。
そんな人から声かけられたら普通に怖い。夜だし。
ちょっとだけ興味がないわけじゃないけど、誰かが足を止めないとやり難いのかな。
「…バイオリン、弾いてもらえるんですか?」
すこし可哀想なのも相まって声をかけたら、はっと肩を揺らして振り返ってくれた。
「な、なんでもやります…!」
ん?今なんでもやるって言ったよね?
そんな危ないセリフが頭を過りかけたし、この人見た目よりも危うい性格で世間の荒波に負けちゃうタイプなんじゃないかと心配になってしまった。
意気込んだあとで恥ずかしくなったようで縮こまりながら待っているその人に私もはやくリクエストしなければと焦る。いやなんでもとか言われても、バイオリンで弾くような曲知りませんけども…!
最近のアーティストの曲でもいいのかな、えー!でも!
え…!え…!
「こ、小犬のワルツ、で!」
私が恥ずかしすぎるんですけど。
たしか、こんな曲があったような、気がするような、わりと初心者向けの、ほんとごめんなさい。
今からでも訂正しようか迷っていると、指で思い出すかのようにリズムをとってから、「…はい」とその人は構えだした。
それまで猫背だったのに、すっと背筋が伸びて急に格好よくみえる。
正直、最後まで小犬のワルツという曲が本当ににあったか思い出せなかったけれど、シンプルなメロディをメチャクチャかっこよくアレンジして弾いてくれてときめかずにはいられなかった。
最高の気分だ。
空っぽのギターケースに、本日最初らしいおひねりを用意しようと財布をあけると、なんと小銭が14円しかない!
お札の種類ばっかり潤沢で普段なら嬉しいはずがこんな時には困ってしまう。
なぜだか分からないが、この男の人は過大評価されたと感じたらその分プレッシャーに押しつぶされちゃう性格をしている予感がするのだ。
あと今さらだけど持ってるのバイオリンなのになんで置いてあるのがギターケースなんだろ、サイズ差がおかしいでしょ。ご家族のを借りてきたのかな?
私の気分的には一万円置いていってもいいくらい良いものを見せてもらったけれど、だめだ。ここは千円札を…とそろりと出してみたけどそれでも男の人の眠そうな目がかっぴらいてしまったので、すかさず適当なコンビニを指差した。
「夜は冷えますし、なにかあったかいものでも!」
「あ、あの、あの、じゃあ、一緒に!……とか…」
…どうですか。と消え入りそうな声が可愛かった。
初デートがコンビニで、まあこんな出会いもありかなあ、と思った次第。