連絡先差し置いて家とか頭おかしい


「やめたの、バイト」
「ん?」

ちょうどマグロの刺身を頬張ってモゴモゴしているハルに、コンビニの、と付け足すと言葉に表せない唸るような声と2、3回の頷きで返事をされた。

「へぇ」
「…言ってなかった?」
「うん、聞いてない」

だからどうという訳でもないけれど。そもそもたいして近場でもないから、行くこと事態まれだけれど、ただ、最近顔を見ないなと思っただけ。

美味しいよ、と僕のほうに寄せられた刺身の盛り合わせから、お言葉にあまえて甘エビをつまむ。
ああ、醤油が垂れる。あ、うまい。
そういえば刺身を売りにしてる居酒屋だって言ってたっけ。
唇に残った醤油と、ついでに指も舐めたらハルから眼福がどうのと呟きがこぼれてくる。
なに、またギャップがとか言いはじめるの。はいはいどうぞ好きにして下さい。


「新しいバイト探さないとなぁ。松、なんか良いとこ知らない?」
「俺に聞くの。どう考えても人選間違ってるでしょ」
「引きこもりでもなし、なにかしらやったことあるんじゃないの?」
「…まぁ」

全く、ないということもない。兄弟間で貸し借りもできないほど本気で金がない時は。
そんな時は自分だけ稼いでも兄弟に根こそぎ奪われるだけだから、決まって6つ子全員で同じ仕事をする。

長男から末弟までそろってクズ、まったくそれに尽きるよね。

「ハルにおすすめはしないよ。日銭稼ぐようなのばっかだし」
「そっか。地道に探そ」
「うん、そうして」

テーブルに項垂れたハルが片手間にジントニックを注文するのを横目に見ながら、僕は白身の刺身に手をつける。なんだろうこの魚、ブリかな。ブリくらいしか知らないけど。
ハルが目新しい一品料理が気になると言い出して、ついでにもう1杯頼んでいる。ハル、その酒なん杯目。

「つか、バイトやめたのにこんな頼んで大丈夫なの」
「いいの。食べたいときに食べたいもの食べてなにが悪い」
「いつもよりペースもはやいじゃん」
「やめたバイトのせい。まだムシャクシャする、松も付き合ってよ」

「…今更。俺ってその為にいるようなもんでしょ」

ジョッキを軽く掲げてハルに向けたら、強めにグラスを当ててきた。


「特別なことなんてないのよ、よくある人間関係の拗れ」
「へぇ」

大袈裟に慰める必要なんてない。ハルがとりとめもなく話すのを聞いているようで聞き流して、たまに適当な相槌を打ちながら僕はご相伴にあずかるだけ。なんて楽な役目だ。
だってハルがそれでいいって言ったから。女の子にありがちなアドバイスは求めてないやつだから松はそこに座ってるだけでいいって、ハルが言ったから、時おり口を挟みたくなるのを押し留める。

そもそも僕が言ったところでハルが清聴するとは思えないけど。


デザートに出されたソフトクリームで満足感に包まれる。
さっきからハルの呂律が回らなくなってきて、そろそろ切り上げさせようとした時、ふいにハルが店員に手を挙げて呼び止めた。とっさにその手を掴んでテーブルに叩き落としたけど間に合わなかった。

おいまてハルこれ以上なにを注文する気なの。だらしなく緩んだ顔が、叩き付けられた掌の痛みも忘れてへらりと崩れる。


「お兄さん、ジントニックもう1杯」
「いらない!いらない今のキャンセルで。ハル、飲みすぎ」
「らいじょーぶ」
「ハルの手持ちで足りなくなったら笑えないから。当たり前だけど、俺持ってねーよ」

僕の発言にあからさまに顔をしかめた店員をねめつけて下がらせる。
この店は男が払わないといけないルールでもあんの、胸糞悪ぃ。

拗ねるハルを無理やり言いくるめて立ち上がらせると、酔いが一気にまわったようで大丈夫大丈夫とうわ言をのたまいながら千鳥足で靴もろくに履けないでいる。ほら見ろ、このザマじゃないか。

「ちゃんと帰れるの。俺送れないよ、家知らないし」
「タクシーなら、かってに家に着いてるー…」
「だから、場所伝えられるのそれで」
「んー…、うんー」


全く信用できない。
ハルの鞄から勝手に財布を取り出して中身を確認する。間に合う額は入っている、よかった。
支払いを済ませ、どうにかこうにか住所を聞き出してタクシーに押し込んだ。けど。このまま帰して部屋までたどり着ける?もうあっさり睡魔に負けようとしてるこのハルが。
僕の酔いはすっかり覚めてしまっている。

「お前の介護とか勘弁してくれよ」

片手で目を覆って、一緒にタクシーに乗り込んだ。


住所だけじゃいまいちどの辺りか分からなかったけれど、着いてしまえば見覚えのある建物ばかりだ。元バイト先のコンビニよりも僕の家に近いんじゃないの。
もともと隣町ていどには近いんだろうなとは思ってたけど、この距離ならハルともっと、…。

「なにを考えてるんだか俺は」

「ほらぁ、かってに着いた」
「そうだろうね。なん号室、おぶってってやるから」

2階の部屋番号を告げたハルは、我が物顔で僕の背中にしがみつく。
これで3階なんて言われた日には1発くらい殴っていたかもしれない。

ハルに断りもなく鞄を漁って鍵を探し、勝手に開けて上がり込もうとして少し躊躇った。
トト子ちゃん以外で、初めて女の子の部屋に入る。しかも2人きりで。
いろんなことすっ飛ばして、友達でもないのに友達以上のことをしてるんじゃないの、僕。
いいの、これ。

いやいやとかぶりを振った。
ハルを部屋に運ばないといけないのに、いい悪いの問題じゃないでしょ。ずっとここに突っ立ってるつもりかよ。

「おじゃま、します…」

ああ童貞丸出しで情けない。
ワンルームに置かれたベッドに八つ当たり半分ハルを投げ落として、ガリガリと頭を掻いた。

見渡した室内は比較的ものが少なくて、さっぱりしている。
女の子の部屋ってもっとぬいぐるみとか、ピンク色の小物とか、置いてあるものだと思ってた。甘い匂いがしたり。あ、でもいい匂いはするな…。

ハルが身じろぎする音に変な声が喉から出かかった。なにビビってんの僕、やましいことなんてしてないでしょ。

さっさと出ていったほうがいい。女の子の部屋なんて経験無さすぎてどこに身を置けばいいかすら分からない。あーくそ。


「…タクシー代、ハルのから出したから」

なんの報告だよ。持ち合わせないのなんかハルだって知ってるだろ。

ハルの呻き声がすぐに寝息に変わったのを聞き届けて、僕は逃げるようにその場を去った。


そういや世には送り狼なんて言葉があって、そんな展開を考えなかったわけじゃない。でも嫌われるよね。そりゃ嫌われるでしょ。
友達、なのかもと錯覚させてくれるハルの信用をなくして独りぼっちに戻るのが生意気にも怖くなった。クズのくせに。

そういう余計なもの取っ払って行動出来てしまう男供はすごいなあ。僕にはとてもできない。





童貞こじらせ系男子。



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