失って成長していきます


松が私の棚から本を吟味している。雑多ななかから選び抜いた一冊を持参して、読んでもいいかの許可を得てから自分の巣に持ち帰るのだ。私の所用が済むまでじっとそばで待っていたり、何を押しても主張してきたり、とにかく必ず一度、私を経由してからその日の松の気分によって部屋の隅だったり、ラグマットの上なりベッドの中なりにもそもそと戻っていく。

さっきまで寝そべっていた松は、よほど真剣に読みたいのかテーブルまで移動すると正座で何度も同じページに戻っている。そんなに気になるなら貸すよと前にも打診してみたことがあったけれど、ふるふる首を振られてしまったのでおそらくここでの時間つぶしに使いたいんだろう。
いま松が読んでいるものも別に難しい内容のものではないし、だいたい私が娯楽で買ったのだから漫画とか、まったく参考にできないファッション誌とか頭使わなくていいものばっかりじゃないかな。

そんなに松の性癖に刺さるのがあったのかしら、なんて。深くは突っ込まないのが大人の嗜みではあるわよね。
と、いうのも私自身、手に入れたばかりの漫画の新刊を読むのに忙しくてそれどころではないのだ。つまり、今日の松は漫画と私の間に無理くり割り込んできたというわけだけど。

「おれ、風呂いってくる」

しばらく熟読していた松がおもむろに動き出したと思えば、なにやら意気込んでカラーボックスの松用の引き出しから着替えを引っぱり出して脱衣所を兼ねた廊下に出て行く。廊下、冬は寒くて最悪なのよね。

「あ、沸かそうか」
「いやシャワーでいいよ、もったいないでしょ」

それからぺたぺた裸足を鳴らして引き返してくると、ドアの壁から顔の半分をぬっとのぞかせた。

「俺、これはくから」

そう言ってぴらりと翻したのはみごと松のお気に入りと相成った紫地に黒猫模様の松専用パンツだ。専用もなにも下着類は個人所有が大多数を占めるだろうけれど、どうやら松はこれを誰かと共有させられると覚悟していたらしいので。

シャワーのコックをひねる音がしてほどなく、ほこほこと湯気を立たせて戻ってきた松は居場所をベッドに移して膝を抱える。どうやら私が漫画を読み終えるまで待つ気らしく、今度は割り込んでくることなくおとなしく見守っていた。

「はーっ、最新刊も最高でし…た」
「ねえハルは?風呂入んないの」
「ああ、入るけどまだ早い…けど入っちゃおうかな!あとでゆっくりすればいいもんね!」
「うんそうだねそうしなよ」

なぜ私の家にいて私の生活スタイルに圧をかけられないといけないのか。早く寝てしまいたい理由でもあるのかしら。
自分の両足の指でじゃんけんを始めた松を置いて、少し身構えて風呂場に向かった。私がちょっと怒ると焦って謝るくせに、松ってば忘れたころにいたずら心がやんちゃするものだから。

なにが仕掛けられているのか、絶対に取り乱したりしないと松の勝負に乗っかる気概で入った浴室は、入り口に石鹸が置かれていることもなければシャワーが冷水になっていることもない。かしげながら滞りなくさっぱりと汗を流して戻れば、ベッドに腰掛けて待ちわびたように首を伸ばした松に迎えられた。
なんだなんだ。なにか、ほめてほしいの?なにかとは。待てて偉いね、とか?いやそれは馬鹿にしすぎでしょう。

「ねえハル、どう?」

そう言って松がおもむろに立ち上がると、ジャージのゴムに手をかけ、ずるりと私の眼前でストリップしはじめて目をむいた。先ほど松が履くと宣言したとおりの猫パンツを見せつけられる。

「どうって…この下ネタは乗っかって良いのかなあ、別におっきくもないし。…松も男の子だもんね、こういうの好きなんだね」
「なに言ってんの?」
「だってそんな見慣れたパンツを…どうもこうもないし逆にマッチしてるとは思うけど

「……ハルも着てるでしょ今」
「私は黒だけど?レースついてるやつ、いやなに言わせてんのよ」
「……おそろい、じゃないの…」
「被る日もあるけどね。今日はちがうね」

おそろいじゃ、ない…ともう一度つぶやいたかと思うと、松はベッドに倒れてもつれながら掛け布団の中に潜り込んでいった。もふりと山をつくる様子を眺めて、私はようやく松が読んでいた雑誌でどんな特集が組まれていたのかを思い出した。が、時すでに遅し。
開いたままのページには『友達とお揃いコーデ』とカラフルに躍る文字。私は顔を覆った。

確かに私たちの持っているものでお揃いと言えるのはこれしかないわねと頷けてしまう自分もいつつ、もっとお手軽にコンセプトを合わせようと進言しようとしたけれどベッドの上でブルブル震えている山を見てしまったら飲み込まざるを得なかった。

ということは、松の精一杯のお誘いだったのだろう。気休めに山をなでたら大きく揺らして拒否された。
秘密を打ちあける少女のようにパンツをひろげてみせた松を忖度すると私は頭をかかえ、そして決心した。

「まーつっ!じ、じゃーん!」

両手を振り上げ片脚を美しく伸ばし、いっそ恥を捨ててポーズをとる。渋々といったふうに布団から顔を覗かせた松の目はとたんに輝いたけれど、私は姿見に映る自分から必死に目をそらして天井を見上げている。それが余計に躍動感を与えてポージングにも本格味が増し、松のためのお揃い下着お披露目ショーは盛況のうちに幕を閉じた。

惜しみなく拍手を送ってくれた松のひたむきな眼差しが胸に刺さった。
乙女としてなにか大切なものを失った気がしたけれど、それに免じて涙を飲んでやってもいいかと思う。
少しばかりやさぐれてしまった気持ちのほうは、翌日のお出かけでの途中で嫌がる松を、こちとらペアルックなんだから戦闘力53万、カップルストローやろうねと宥めすかしてお洒落なカフェでティータイムを挟むことで慰めた。終始ちぢこまってはいたけれどいわゆる映えなスイーツやらにはたいへん興味をひかれているようで、でも自分では頼めなくていじらしく見ているばっかりだったので代わりに頼んであげると、タピオカミルクティーを安定の両手で引き寄せる。
しばらく観察すれば、タピオカのもちもちに静かに感動していた。

「ね、一緒だと怖くないね、松」
「まあね…む、むしろ武者震いするくらい」
「バイブレーションからすごい進歩したじゃん、ペアルックだもんね」
「ふ、ふひ…」
「じゃあね、スタバァで使える魔法の呪文おしえてあげるから、次までにちゃんと覚えててね」
「え、え…」

今度はタピオカの代わりに呪文をもごもごさせているのを見て、いい友人を持ったなあ、と私は記憶の上書きに努めるのだった。




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