一緒がいいんです


やっちまった。これは完全に失敗だったなあ。
やっぱり松を連れてくるのはよせば良かった。

はぐれてしまった松の行方を追いながら、後悔は先に立たないけれどどんどん溢れてきて処理がおいつかない。今日は厄日だったなんてのんきに構えていられないくらい面倒なことになっているのだ。
スマホだって、いつもなら私からの連絡に必ず反応するくせにこんな時に限って電話に出ないとかどういうことよ。今でしょ!
迷子のお知らせ…はさすがに成人男性という肩書きを慮ってしないでいるけれど、そろそろアナウンスに頼ってもいいかなと思いはじめている。心が折れそう。
松プリントの紫色のパーカー、ジャージ、便所サンダルをお召しになった、赤塚区からお越しの松野一松さま…だめだ、そんな注目を集めること松には耐えられないし私もいろいろ耐えられない。

見つけられるんだろうか、このクソ混んでいるショッピングモールで。

とりあえず上から虱潰しにテナントを覗いてみているが、よくよく考えずとも、この人混みの中でもさらに密度が高くなるところに松が近づくわけがないことは分かりきっているのだけど、いざ二度手間になった時のことを考えると結局しらみ潰しがいちばん効率がいい。ついでに私もお店見てまわれるし。あくまでついででね。
それにしても、本当にどこをとっても人間がひしめいている。
平日だとばかり思っていたのにカレンダーの日付が赤く染まっていることに気付いたのはついさっきだ。なるほど混むわけよね。みんな祝日に行くとこないのかしら他に。かくいう私もセールに釣られてのこのこやって来たのだから人のことは言えないけれども。

前々から欲しいものがあって、この機にどうしても手に入れたかった。余所行き仕様で出掛ける準備に慌ただしくしていた時だ、「あけて」と松からメッセージが入ったのは。曰く、ドアの前にいるのだと。一歩間違えればホラーだけど、突然の訪問には慣れっこだ。そそくさとドアを開ければ、両手で握りしめたスマホをじっと見つめる松が待っていた。玄関の段差のおかげでつむじがよく見える。良き。

「ハル、もう少し用心したほうがいいんじゃない」
「インターホン鳴らせばチェーン付きの確認からやってあげるよ」
「鳴ったらそうして」

つまり自分のやり方を変えるつもりはないらしい。

最近では寛いでいるときの距離感がめっきり近くなったけど、私が準備に落ち着かないことを見て取ると部屋の隅っこに這いずっていって膝を抱えはじめる。私が動くたびに目線が必死に追いかけてきて、あの、とってもやりづらいです。
いやごめんって。松が来たのに放っておくことになっちゃうけど、ほんの数時間、留守を預かってもらえばいいだけだから。好きに飲み食いしてていいから。ちょっと出てくるねと切り出したら、ぶわっと毛を逆立てて過敏に飛び上がった。

「お、俺もいく…」
「すぐ帰ってくるから」
「…そうですか、俺みたいなゴミとは一緒に歩きたくもありませんよね」
「だって人たくさんいるよ」
「ハルだけ見てればいい、だけだし…」

いじらしいやつめ。おろおろと目が泳ぎだす松をひとりで部屋に押し込めておくのがとんでもない非道に思えてきてしまって、結果、連れて行くに至ったのだけど。本当に私だけを見てぺたぺた後ろを付いてきていた松は押し寄せる人波に避ける間もなく流されていったのだ。

「あ」

気付いたときにはもう助けを求める腕と悲鳴が人に埋もれて見えなくなっていた。というのが事の経緯。憐れ松。

テナントの一角を順繰りまわっているけれど松はいないし、近隣では大型のモールなだけあって私まで迷子になりそうだ。これはいよいよアナウンス案件かもしれないとそこいらに点在する案内板を見上げて、そこにペットショップという文字を発見した私は一気に体の力が抜けた。
いるでしょここに!見つけたも同然でしょこれは!お願い居て。じゃないと本当に館内放送響かせるから。

生意気にもおしゃれな構造の吹き抜けから目をこらしてみたら、人混みに紛れて微かに見えた闇のオーラ。

「いたぁ…」

ペットショップの前のベンチに膝を抱えて座って震えている。松から半径二メートルを綺麗に人が避けて歩いてくんだけど、なにごとなのかしらあれは。
思いきり手を振ろうとしたけど、いやちょっと待った、なんかつついたら周りの人巻き込んで弾け飛びそうだからなるべく刺激しないようにそっと回り込んだほうが良さそう。そうしよう。スプラッタは得意じゃないのよ。
同じフロアについてから本当に気を使って忍び足で少しずつ視界に入って存在をアピールする。あれ、私ノラ猫を相手にしてるんだったかな。逃げていかないだけマシね。

「ま、まつぅ…お迎えだよ」

じりじり近寄っていくけど、松はまったく動く気配がない。
えこっわ!家ではあれだけ私から目ぇ離さなかったくせにネコのケージ開眼して見つめたまま瞬きすらしてない。どういう感情?まさか別の所からお迎え来ちゃったとか…あ、今際の際みたいな息遣いは聞こえてくるからまだ大丈夫みたい。
ほら行こう、と手を伸ばした瞬間、微動だにしなかった松が目にも止まらぬ瞬発力で服の裾を掴んできた。

「ひっ…!」

残像しか見えなかった。心臓に悪すぎる。
そして追い討ちをかけて、だぱぁっと塊になって涙が溢れてくる。

「ひえぇ…」

力いっぱい握りしめた手を、松は断固として開こうとしない。火事場じゃないんだから馬鹿力を発揮されても困るのだけど、虚無の顔で嗚咽を漏らされると若干の恐怖があって松をくっつけたままでいることを余儀なくされた。強くは言えずに服の皺は諦めた。
行こう、と促すと裸足でベンチから降りてきたから、きちんと脱ぎ揃えてあったサンダルを履くまで待ってあげる。
だから松のこういうとこ、ほんとしんどい。

「松、スマホは?」
「……おとした」

ボタボタと涙腺の崩壊した虫の息の松を連れ回すのはさすがに良心が咎めたけれど、店に来てからの殆どを松捜しに費やした私はまだ自分の買い物ができていないのだ。だってまさかこんなに精神的なダメージを受けているとは思わなかったから。
まずはインフォメーションあたりに届けられてるであろう松のスマホを受け取りに向かい、こんな時だけ都合よく日本は素晴らしいと絶賛しておいて、松は私からの着信履歴の数々をじっと見つめていた。
それで少しでも落ち着いてくれるのかと思えばそうでもなく、目的の店舗まで水溜まりをつくりながら服の裾に松を引き連れて、私はほと困ってしまった。

下着専門店なんですけれども…!

近くにベンチはあるにはある。

「松、ほんのちょっとだけ」
「………」

無言で握る力を強められた。ですよねー。さっきの今で離れるわけがない。

「一緒にいくの?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
「えっちな下着と女の子いっぱいだよ」
「うん」
「松おんなのこなの?」
「うん」

だめだこれ。この松うんしか言わない。
松付きで突入するのと、無理にでも待たせるのと、どちらが松のためだろうかと迷うまでもなく圧倒的に後者なのだが指の一本も引き剥がせないので私は心を無にすることにする。
ずっと欲しかった可愛い下着たちが選り取り見取りに並んでいるのだ、多少の痛い視線は気持ちだけ平伏しながら見ない振りを決め込もう。なんていうか完全に珍獣扱いよね、私も含めて。
ちょっと大人なデザインを選んでは自分にあてがう私の後ろにはもれなく松がいる。鏡越しに見えた俯きぎみに鼻をすする松の頬を流れる小川の源泉はいつ枯れてくれるのかしら、とか店内BGMに感化されて詩的に思ってみたり。

でも私が一言発する度にうわ言のように「うん」と合いの手を入れながら虚無の顔がいちいち頷いているのにうっかり萌えてしまったので、今日の私の一着は紫色を選んであげることにした。私なりのお詫びと気遣いを兼ねて。それが松に伝わったかはまあ、別の話として。ところで。

「お会計も一緒にくるの?」
「うん」
「一瞬だけ離してみるとか」
「………」

握りしめた手に力が入りすぎて白くなっている。

「だよね」
「うん」
「ええいままよ」

そうして涙を垂れ流した男を側に控えたまま、私はおしゃれなランジェリーの購入を済ませたのだった。もう何もこわくない。




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