君を例えるならそれはきっと


昨日、僕の携帯端末にハルの連絡先が追加された。

そこに僕の意思はなかったとか、至るまでの経緯だとかはとりあえず隅に寄せておくとして。結果、僕とハルはスマホの繋がりを得たわけだ。
こ、これからどうすればいいの、これ。

開いたトークアプリには、ぽつねんとハルの名前だけが浮かんでいて、その下に画面分の空白が虚しく続いている。このアプリの醍醐味である文章のやり取りをハルとしていないんだから当たり前と言えば当たり前だけど。
え、僕から何かしないとだめなの。いや無理でしょなんて送ればいいのか分かんないし。

昨日ふるふるしちゃったてへぺろみたいな?死ねよ。

ほんと僕の馬鹿。取り敢えずで凌いでなんとかなった気になってたあの時のクズゴミのせいで、今のクズゴミに皺寄せがくんの、いつになっても学習しないから燃えないゴミなんですよ。

「……ハルたすけて」

膝に埋もれて無意識に口から漏れた内容に自分で驚いた。いま現在、顔向けできなくて喘いでる相手に助けまで求めるっていうの僕は。

クズ末期だ。アプリを一度落として、畳の上に伏せておいても、気付いたら五分もしないうちにまた開いている。当然だけど、ハルからの助言もなければ、うんともすんともない。もしかしたらもうブロックなり、消されたり、してるのかもしれないけど。あ、だめだ。内臓が口から全部出てきそう。

ハルに出会う前って、こういう時どうやって自分の足で立ち上がってたんだっけ。もう最近はずっと、ハルが闇から僕を引っ張り上げてくれてたから、ハルなしで今までの僕がどうやっていたのか分からなくなってる。
あ、僕を闇に突き落とすのも最近じゃ大概はハルだけど。

視界に寝間着の裾が映り込んで、足の指を丸めた。そういえば起きてからまだ着替えてもいなかった。夜中もずっとこんな調子で、ろくに寝れたもんじゃなかったから怠くてそんな気もおきやしない。

ぴろりん ブーッブブッ

「ひっ!?」

今まで澄ました黒い画面で沈黙を貫いていた端末が急に震えだして思わず投げ飛ばした。スマホでお手玉なんて初めてしたんですけど。

てか、え嘘でしょ!?僕のスマホがなんか受信したんですけど!?

「な、なに…」

光ってる。なんかお知らせありますみたいにランプが点滅している。

「だれ…」

誰から発信されたんだって、本気でそう思ってるんだとしたら、僕は金輪際なにも悩むことなくこの先を天涯孤独で生きていけると思うよ。はく、と空気を飲んだ。

「…ハル?」

それ以外ないでしょ。確信が持てないんじゃなくて、持ちたくないんだろ。このクズが。

いつもなら、どうせ、って自分から諦めて突き放して、目を瞑って必死に見ない振りをしていたけど、これは見なければいけない。それくらい僕にも分かる。
そっと這い寄って、震える手で画面をたたく。初めて受け取ったハルからのメッセージは、僕の内側を熱く満たしてから次の瞬間、内臓全部を綯い交ぜにされたような混乱に落とし込んでくれた。

そこには一言、松?とだけ書かれている。

「なにこれどういう感情!?」

今までさんざんハルのこと理解できないとか言ってきたけど、これぶっちぎりワーストなんですけど。
いよいよなんて送ればいいのか分からなくてとりあえず便意に身を任せたあとで、メッセージ欄にやっとのこと、うん、と書き込んでみたはいいものの、続きの言葉が全く浮かばない。
ちょっと待って、これもたもたしてたら既読スルーとかいう罪に抵触するんじゃないの。トッティに聞いたことある。
早く送らないと、と焦った瞬間、指が紙飛行機を模した送信欄に触れてしまった。

ぽこっと、うん、という素っ気ない返信が浮かび上がる。

「操作性クソかよ!」

すぐにハルからの既読がついて、弁解の余地もなく今度はピロピロピロピロひっきりなしに音楽が鳴り始め、僕のスマホが二度目の空中ダイブをした。なにこれ怖い。
あ、電話?いやいやいきなりレベル高いこと強要しすぎじゃないの。
ゴグリと唾を飲む。でも今出なかったらそれこそシカトこいてんの、丸わかりじゃん。

小刻みに震え続けるスマホにそっと手を伸ばして、そっと耳にあてる。

「………っ」

もしもしくらい言えよ息詰まらせてんじゃねーよ僕はよ!だって心の準備させて貰えなかったから!

「あ、松?」
「……うん」

たった今、文面でまったく同じやりとりをしましたね。

昨日会ったばかりなのに、すごく久しぶりにハルの声を聞いた気がする。ああ、いつものハルだ。こんな横暴をはたらいた輩なのに、手を差し伸べてくれる。

「松、今から出られる?」
「え?」
「公園にいるんだけど、ちょっと話そうよ」
「あ、う…」

耳もとからプーップーッ、と無機質な機械音が鳴る。返答しなければ、というプレッシャーに負けて思わず切ってしまった。だから、いま見ない振りしたらこれからの僕がややこしくなるんだって。もう言い聞かせても無駄だね。
こんな僕を甘やかして、欲しい言葉をかけてくれて、縋らせてくれる、ハルの手の届く範囲にいさせて貰えるように、謝りに行こう。ちゃんと。

そうして決意に満ちて家を飛び出した。の、だけど。
ひとしきり走ると、ややもすれば喉がヒューゼーと悲嘆な音を上げ始める。運動不足のニートが徹夜明けにサンダルダッシュは無謀すぎた。

「ゼ、ゼェッ…ゼェッ」
「あ、来た来た」

帰っていたっておかしくないのに、お人好しにも待っていてくれたハルは袖と裾をだいぶ余らせた薄紫色のカーディガン姿で自販機に背を預けている。
駆け寄りざまスライディング土下座をかましてやろうと気持ちだけは前のめりでいたけど、着いた頃にはすっかり足が棒だ。ほら、ここからして情けねぇもの、僕。

「ちょっと松、なんて格好で来てくれてんのよ。え、それパジャマ?」

そう言われて水色の服を見下ろす。着替える間もなく飛んできた、いやだいぶ歩いたけど、飛んできたつもりだから気にする余裕もなかったし、仕方ないでしょ。

ハルだって、随分と身の丈に合わないカーディガン着てるじゃん。となかなか整わない息を呪いながら膝に手を置いて支えて、いっそこのまま膝をついて土下座からの謝罪タイムに突入してやろうかと思ったら、ふわりと何かが僕の肩に掛けられた。え、ハルが着てたやつじゃないのこれ。
上着を与えられたら、急に寒さを思い出して身震いが止まらなくなった。そういえば、どてらもなにも着てこなかったんだった、このクソ寒い時期に。ハル、いま笑ったの気付いてるからね。

「じゃあ行こっか」
「は、どこに…」
「うちに決まってるでしょ。私いやよ、パジャマ男といて目立つの。ほら」
「…あ、うん。いや」

…謝るタイミングがどんどん先送りにされていくんだけど。ここまできて達成できないとか、ないよね、ないない。マジない。どういうつもりで口ん中鉄の味させて来たんだかよくよく考えろ僕。

「あとこれ、自分の分は自分で持って」

はい、と僕の葛藤を遮って缶コーヒーが手渡される。これ、もう温くなってんじゃん。
うちに着いたら温め直そう、とか言われたら、おとなしくハルの後ろについていくしかなかった。だって、ハルも寒そうだったし。


「…どうぞ」
「ん…うん…」
「…なにしてんの?」
「いや、いいの、俺なんかが入って」
「今さらなにを?」

ドアの前で足が地面に張り付いた僕を訝しんで見てくる。ハルが言ってることはもっともだよ、うん。

「何回も送ってもらってんのに」
「それとこれとは…」

違うっていうか。違うんだよ僕の中では!僕が送らないとどうにもならないような状況じゃないでしょ、女の子の部屋に!招かれてるってことだよ今は!ほらぜんぜん違う!
足竦むわ。いやなにもしないけども。


「まーつ。入んの、入んないの?」
「おおおじゃ、おじゃましま…します」

促されるまま初めてハルの部屋で腰を降ろして、ぶわっと汗が噴き出した。ちょっと視線が低くなっただけでまるで違う部屋みたいなんですけど!ハルの部屋じゃなくてただの女の子の部屋になっちゃうだろそれじゃ!発火しそう、そうだ、立とう立ってよう、立ったらハルの部屋だ。僕みてーなゴミのケツが接触していい代物じゃないしそうしよう。

「松…?あんまじろじろ観察しないでよ」
「すいませんけ決してそそんなつもりでは決して…!」
「いいから座ってなって、ね」
「は、はい…」

ハルが言うなら…ちょっとケツ失礼しますね。ハードルが高くてですね童貞には。つらい。
とりあえず、いい匂いのするこのカーディガンをどうにかしよう。

「返す、これ」
「松にあげる。有り難がって」
「いやそんなあっさり」
「通販でサイズ間違えて買ったの、部屋着でも滅多に着ないし、松くらいでちょうどいいんじゃない」
「俺も袖余るし」
「そう?ならやっぱりピッタリだね」

手の甲を覆ってくる袖口を手首にたぐませていたら、ハルがモエソデモエソデと呪文を唱えながらぜんぶ降ろしてしまった。恒例のあれだ。
なに、今度は捲らないほうがいいの?クソ松ファッションじゃないならなんだっていいけど、ハルが気に入ってるならこれを着るときは袖を伸ばしておこう。今度会うときは…。その機会をもぎ取るためにこれから一松くんが頑張らないといけないんですよ。

深呼吸だ。深呼吸してハルが出してくれたコーヒーでも飲んで落ち着こう。紫陽花色で黒猫が寛いでるとてもセンスのいいマグカップだね。うん。

「あー、あったかい幸せー。ね、松」
「………あまい」
「ちょっとひと手間加えてカフェオレに生まれ変わりました」
「マジか」
「そっちのが好きでしょ、松は」
「………」

自分用のオレンジ色のマグカップで手を温めているハルにうん、と頷いて、僕は想像していたよりも穏やかに自然に、額をカーペットに擦り付けた。

「…ごめん、なさい」
「え、さっきのこと?ぜんぜん気にしてないけど…」
「ちが、ちがうくて、スマホ勝手に…その」
「あ、ああ。そう、その話だった」

ハルの声がとたんに気落ちする。やっぱり燃えないゴミのせいでハルに汚点を与えてしまったんだろうか。

「ごめんね松。ライン消してくれていいから」
「え、」
「私また酔ってやらかしたんでしょ。松はそういう馴れ合い好きじゃないだろうなって分かってたのに」
「なん、なんのこと…」
「だからスマホ。松から取り上げてふるふるぅーとかしたんでしょ、おおかた。ほんとごめんね」

ハルが気に病むことなんてないんだよ。むしろ僕のせいで。あれ、でも、あれ?

「でもせっかく繋がったんだからさ、一回くらい使いたくて呼び出しちゃったよ」
「…ハルは、ハルは嫌じゃないの、俺なんかの名前が登録されてあって」
「なんでよ。嫌なわけあるかって」

嫌、じゃないっていうの、ハルは。こんな、僕と友達みたいなことして。
鼻の奥がツンと痛くなって、カーペットに額をもっと押し付けた。

「…お、俺がやりました!!」
「ちょ、え、松?」
「……ハル、ちがう。ハルは悪くないよ。それ、俺がやった…」

こんな時まで僕にはクズ根性が染みついてんだな。腹決めて会いに来たのに、するっと言葉が出てきたのはハルに拒絶される心配がなくなったからだもんな。

「勝手に、ごめん…」
「…なんだ、わたし取り越し苦労だったのね」
「ごめん…。だから、ハル…」

だから、ちゃんと謝ったから、ハルがこんな僕を許してくれるって言うのなら、ハルが僕を安心させて。
思わずハルの袖をつかんだ。何度か空気を飲んでから絞り出す。

「ライン、消さないで」
「当たり前でしょ」

消すわけないじゃん、友達なんだから。

はっと見上げたハルの顔が滲んだ。ぼやけたシルエットで、ふっとハルが笑う。

「泣くなよ」
「っ、泣くかよ」

トド松にはケーキ、買ってやろう。
ほっぺたが熱いことも、唇が震えることも、擦り付けすぎて赤くなった額を雑に撫でてくるハルがニッと歯を見せて笑ったらもうどうでもよくなった。


ハルは僕のヒーローだ。
そんなことを言ったらきっと、ヒロインの間違いでしょ、なんて怒ったような困ったような顔をするだろうから、これは僕の胸の内に秘めておくことにするよ。




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