ちっぽけなものだったと大抵は散々悩んでから気付くもので


にゃぐにゃぐと声を出してお気に入りの缶詰を頬張る猫を眺めて、いつこの路地裏を出てハルを探しに行こうか、タイミングを計りかねている。
まずにして、連絡先も知らない、いつもたまたまで行き合うハルとの偶然を都合よく今から引き当てようなんて舐めてるよね。そのことに関しては朝目が覚めた時点で気付いていたけど、見送ると言う十四松の純粋な笑顔を無下にはできなかった。
うちの兄弟は、たいがい十四松に甘い。

ふー、とため息をついてとりあえず町内一周くらいはしてみるかと立ち上がったとき、後ろからにゃおゎーんと下手くそな猫の鳴き真似が聞こえてきた。いやほんとに下手くそなんだけど。若干犬はいってるよねそれ。

ふ、と息を吐いた。
たけど、おかげで勝手に感じていた気まずさは拭われた気がする。ハルに会うこと自体が久々だからって、変に緊張して掌に『人』書いて飲んでた僕ばかみたいじゃん。
誰がやったのかなんて、わざわざ確認しなくても分かる。

「まつー。私、いつお誘いしてもらえるの?ちゃんと覚えてるんだからね」

あれだけ会うのが怖かったのに、なんでもないハルの声色で僕の不安が崩れていく。少なくとも嫌いな相手に話しかけるためにわざわざ路地裏に入ってくるほど、頭のイカれた人間じゃない。
出会い頭の一言目が鬼門だなと胃が痛かったんだけど、ハルがあっさりと乗り越えやがった。拝んでおいたほうがいいかな、ハルのこと。

「そう。…おめでと、もう待たなくていいよ。今からつきあって」
「いいけど、…なんか思ってたのと違う」
「ハルのほうから来たんだから仕方ないよね。俺のせいじゃないよ」

はい出発、と横を通りすぎて僕が先に立つとハルが早足で追い付いてくる。あたりまえみたいに隣に並ぶから、僕は少しだけ戸惑って、それから両腕でこと足りる程度の僕の世界にハルが居てくれるんだと、愉悦に満ちた。
僕、ハルに影響されすぎじゃない?

「松、どこいこっか」
「…あー」

やばい全く考えてなかった。

「決めてなかったの?松が誘ったのに」
「先に声かけたのはハルでしょ」
「屁理屈いわない。時間はたっぷりあったでしょー、世のニート代表」
「なかったかもしれない可能性」
「約束したのいつだと思ってんの?」

だって僕がハルを誘うことになってるって知ったの昨日だからね。
直前まで蹲ってた奴がそんな娯楽のことまで頭まわると思ってんの?ハルのことだけで脳みそのキャパ飽和してましたから。

ほんとに僕が誘ってもいいのもしかして社交辞令なんじゃないのとか、ハルに限ってそんなことないとか、ハルにだけは僕のこと受け入れてほしいとかまた馬鹿みたいな願望が過ったり、ハルにどうやって声かけたらいいかとか、これでマジで拒絶されたらその足で首括りに行こうとか。あのまま部屋に放置されてても近い将来、自害用のロープ調達してた。


「ねえ、私が決めていい?」
「…いいよ」
「やった。んっと、じゃあねぇ、あそこにしよう。お刺身美味しかったとこ」
「うん。……………だめ」
「は?」

松ってわりと上げて落とすよね、と苦い顔をしたハルから目をそらして、そういうつもりじゃないんだけどと口には出さずに胸中に留める。

「まだ明るいじゃん」

ハルはさ、足下に落ちる影も小さいこんな時間から何しれっと飲もうとしてんの。もっとハルくらいの若い女の子が行くような…。いや、それじゃ僕が無理だわ。

「…公園にしよう」
「猫巡りでもしたくなった?」
「俺にはそれしかありませんでした」
「え、そう?じゃ、夜お刺身にしよ」
「今度でよくない?肝臓に優しくしましょう」
「飲んだほうが盛り上がる話ってあるでしょ」

それって、要は愚痴りたいってことでしょ。約束したし、その報酬でご相伴にあずかってるわけだから僕が言えた義理じゃないけどさ。もっと酒飲むペース配分ってのを学んでほしいんだけど。

「こないだ聞いたじゃん、じゅうしま……俺が」
「ほんのちょっぴりだけね。あれから飲んでないもん」
「へえ。……いつ振りだっけ」
「松ってばほんと最近付き合い悪かったじゃん?全然見かけないし。もう2、3週間くらいなるんじゃないの」

おい十四松!ぜんぜんこの間じゃねーんだけど!あいつの感覚どうなってんのマジで。

「それにね、松」

立ち止まったハルが穏やかな、いい笑顔をたたえていて、瞬時に僕負けたなと思いました。

「お支払いするのはだあれ?」
「ゴチになりまーす」

ハル相手にして言いくるめられるとでも思った?ただの負けイベントでした。
満足気に頷いたハルが公園にも寄っていこうねと宥めてきたから、それにはおとなしく首肯しておいた。

並んで歩きはじめてすぐ、袖を引かれて目を向けると難しい顔をしたハルが僕を見上げている。

「…ねえ。やっぱり思ってたのと違う」
「俺に期待するほうが間違ってるよ」


結局、僕にできたことと言えば、ハルにもたらされるものを甘受することくらいだった。
道すがら、誰かとすれ違う度に小さな僕の肝が飛び跳ねるけれど、僕にはハルがこのままずっと僕を隣に置くことの違和感に気付きませんようにと祈っていることしかできないみたいだ。

じゃあ僕も、周りの目なんてどうでもいいや。ハルだけを見てる。




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