勘違いしたまま死ねたらこれほど幸福なことはない


兄弟の視線が痛い。

「デートで現地解散とかあり得ないんだけど」

言われるだろうとは思ってたけど、デートじゃないしアリなんじゃないの。
水掛け論にしかならない応酬にうんざりしながら反論したら、その考えがまずあり得ないと一蹴された。なに童貞が五人も集まって妄想爆発させてるんだか。
じゃあ、俺はどう思ってハルと会えばいいわけ。そう投げ掛けると、おそ松兄さんが片眉を下げた。お前ハルちゃんのこと好きなんじゃねぇの?と、訳がわからなさそうに。

嫌いだったら会ってないけど。
これが僕の結論だけれど、それは皆の言う「好き」とは、ベクトルが違うのだろうと思う。だからこんなにも噛み合わない。
僕も持て余しているこの感情は、ライクとラブの二択で分けられるほど簡潔なものでもない。
六分の五人が当たり前のように抱く感情とは相違するものを抱えた僕のことを、ハルはどう、


「松、まーつ。はい、あーん」
「……ん、ぐ」

ほぐされた手羽先が口内を満たして、はっと思考が現実に戻ってくる。向かいにはハル。いつもの飲み屋だ。

「どしたの松、悩みごと?」
「別に。そんなんじゃない」
「すっごい考え込んでたのに」
「…どうでもいい事だよ」
「ふーん。ねえ、今日はさ、松のお悩み相談会にしよっか」
「…は、自分は口出させないくせに、よく言う」
「私はアドバイスなんて欲しくないからいいの。でも、松はいるんでしょ?」

珍しく頼んだカクテルをマドラーで混ぜながらハルが得意気に鼻を鳴らす。それを上目で窺って、すぐに視線を手元に戻した。

「……ん。…………そう……なの、かも」

尻すぼみになった声が情けなくハルに向けられた。

厳密には僕が欲しいのは助言じゃなくて、答えだ。ハルの答えが、そのまま僕の求める答えになる。

手元のグラスを無意味に回して、何か言わなければと開いた口を何度もつぐむ。僕の胸懐をうまく纏める手立てを探してみたけれど、思えば今に至るまでそんなものを必要としてこなかったから、付け焼き刃にしかならないと早々に諦めた。
ちらりと横目で盗み見たハルは気儘に箸を伸ばしてグラスをあけて、変わらず自由に振る舞って僕がただ時間を食い潰しているのを受け入れているのか、些細なことだと意に介していないだけなのか。

なんだか僕も真面目に考えるのが馬鹿らしくなって、あ、と口を開けて催促したらすぐに肉厚の手羽先の身が放り込まれる。ちょっと、これでかすぎじゃない?
弾力のある身を顎が外れそうになりながらもっぎゅもっぎゅ噛んでいる間、ほっぺた膨らんでる、とハルが喜色に溢れていたから、文句を言う気も失せた。


「あのさ、ハル、あの……で、デートの時って、」
「え、松が恋バナ…?嘘まさかでしょ」
「黙って聞け」

これでも頑張って話してるんだから!
僕もデートごときでどもってんなよマジ童貞死ね。

「だからデ、デートのとき、現地解散ってあり得ないもんなの」
「んんっ…。アドバイス以外は余計だよね、突っ込みはいらないよね」
「いらないよね」
「ま、まあ。特別な事情でもない限り、それはないわ」

やっぱり、そういうもんなのか。うん、僕も理解できないわけじゃない。ただ僕みたいなゴミにそんな機会巡ってくるわけがないからドラマなんかを見た知識で、そうなんだろうな、と想像するだけで。

「じゃあ、デートじゃなかったらあり得ないわけじゃないよね」
「ええ…思ったより面倒臭いこと考えてる……。だって男と女が連れ立ってればもうデートじゃん」
「………え」

釘バットを脳天に打ち下ろされたかと思った。それほどの衝撃だった。目の前の皿に顔面が沈むところだった。

男と女がいたらそれはもうデート?僕とハルがいたらそれだけで成立するの?今時ってそうなの?

それがハルの答えなら、僕、死ぬしかなくない?

だって、それなら僕たちが猫カフェに行ったあれはデートっていうことになって、そうなると兄弟の言った通り僕はあり得ないことをしてしまったわけで、本当に、僕だけが皆からかけ離れている。

他の奴らとはいくらでも自分から断ち切って来たのに、ハルだけは、だめだ。
これまでハルのお人好しにさんざん甘えてきたけれど、もうあり得ないやつだと嫌われたかもしれない。ハルに見捨てられたら、首括るしかない。

見捨てられるほど親い間柄でもないのにほんと気持ち悪いな僕。


「なに呆けた顔してんの、松」
「う"っ、ぐ…」

無理くりと骨付きの手羽先を口に押し込んできたハルはなぜか、数日前に見た長男のような訳がわからないという顔つきで、より眉をひそめている。
テーブルの上に身を乗り出して立てた人差し指が近すぎて焦点がぶれる。なんなの。

「松は街中を男女で歩いてる奴ら見かけたらリア充爆発しろって思わないの?」
「………あ、確かに」
「ほら」

いやでもなんか違くない?僕が聞きたかったこととちょっとずれてない?

「実際は本当にカップルかもしれないし、だだの友達かもしれないし、兄妹かもしれないし、親子の可能性も捨てきれないし、もしかしたら親の仇を打つために懐柔しようとしてるのかもしれないけど、傍目にはまごう事なきリア充よ。本人たちの関係性はともかくね!」
「最後のは意味分かんないけど。…………ハル、酔ってるの?」
「……酔ってる?」
「酔ってるよ」

そうかも、と悪びれずにカクテルを飲み干してハルが笑う。
僕の話、ちゃんと聞いてたの?兄妹かも親子かも仇かもしれないどうでもいい奴らのことなんか、本当にどうでもいいんだよ。
僕は、燃えないゴミに情けをかけるハルが僕と噛み合う歯車を持っていると、同じような思想を持っていると実感させて欲しくてたまらずにいるんだ。

ハルの言葉を借りれば今この状況でも僕たちの意図はともかくデートが成り立っていて、そこにハルが男女のなにがしかを求めているわけがなくて、燃えないゴミの僕が有毒ガス以外の何かを発生させるはずがないけれど。デートだなんて艶かしい熱情の絡んだ安易な形容の先に、別れが色濃く浮き彫りになっていることが、僕は甚だ恐ろしい。

本当に、烏滸がましくて、分不相応な望みだ。
日向に生きるハルが、最底辺の僕と同じ場所に立っていいはずがないのに、同等のものを持っていて欲しいだなんて。


「…で?」
「え」
「どう、参考になった?」
「ああ、…うん、ありがとハル」
「ふふん、朝飯前よ。また何かあったら聞いてくれていいんだから」
「…そ」

また、ということは、まだハルは僕に友達ごっこの夢を見させてくれるつもりらしい。そうやって甘やかすから、僕みたいな危ないやつに縋られるんだよ。

ハルに突き放されないでいるのがもう奇跡のようなものだったのに、欲張ってそれ以上を求めるなんて、何を勘違いしていたんだろう。ハルのお人好しが当たり前に与えられるものだと、僕の脳みそが麻痺していたのかもしれない。恥を知れ。

もう一度ハルに僕の悩みを吐露する勇気は持てなかった。




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