三度目ましてはこんな感じ


かったるいバイト上がりに、一人暮らしのアパートに帰って自分ひとりのためにキッチンに立つなんて面倒甚だしいから、嫌になった日は屋台のお世話になっている。その日も、そんな流れで屋台ラーメンをすすっていた。
これがなかなかに美味しい。

ビールを喉に流し込んでいたら、ひょっこりと、ぼど近い路地裏から人が現れた。誰かいるなんて露ほども思わなかった所からのそのそと、まさかのいつぞやのお兄さんが出てきたのだ。二度あることは三度あるものね、と冷静さを装ったけれど、もともと人通りが少なくて人の気配の薄い場所なのも相まって、誤嚥しかけるくらいには驚いた。

「まじで松の人だ」
「あ?……え、あ…」

今回は、あ、の一言の中に、え、が追加されていた。それにしても、やはりこの少ない言葉数で色んな感情が表せられるんだな、と感心してしまう。
これが彼流の挨拶なんだろうか。
私のお家芸とも言える軽い口先に、おそらく深く意味を捕らえずに反応して立ち止まった松の人は、その瞬間には私がコンビニの店員だと気付いたようだった。
忘れられていないというのは、地味に嬉しい。

「どうも、お久し振りです」
「…はぁ、どうも」
「………えっと!」

もちろん、特に呼び止めるつもりなどなかったから、これ以上に話すことがない。ただ、こちらからアクションを起こさなければ、このあとはコミュ障だだ漏れなこの人との間に無言が続いて私がラーメンをもくもくと食べるのみになってしまうのは明白だった。
それは、松の人の心にヒビが入りまくりそうなのでできるなら避けたい、と思う。この人メンタル豆腐な気がするし。

少しばかり横へ移動して長椅子の端に一人分のスペースをあける。じっとりとした目で所在なげにしている松の人に、笑顔を向けてあげた。この仏頂面も、彼の本質を垣間見てしまえば怖さも感じないし、もはや、これで猫と仲良しなんだよな、としか思えない。

「よかったらご一緒にどうですか」
「は!?…え、え、…」
「あなたです、あなた。コンビニで猫缶買ってくれたあなたですよ」

驚いた猫のように飛び上がって、他に該当する人物がいるのではと忙しなく辺りをキョロキョロしだした松の人に伝わるように繰り返す。おどおどと自身を指差した手が引っ込む前に食い気味で首肯した。

「そうですそうです。よかったらどうです?」
「ほ、んとに…僕?…え、あ、…なんで…」
「ぼっち飯寂しくて。話聞いて下さいよ、奢ります」

口上ではそう述べたものの。
私から声をかけた手前、でお誘いするのも失礼にあたりそうだけど、実際それ以上の動機なんて、過去二回、人生のほんの一部が掠っただけの人に抱くには縁遠い。
松の人はしばし逡巡すると、はぁ、と間の抜けた返事をして、もう一度念入りに周りを警戒するように見回してから長椅子の端の端に腰をおろした。私から促すと、すっ、と尻をスライドさせて距離を詰めてくる。
お兄さん、挙動不審挙動不審。

「大将、ラーメン一杯。あ、あとビールも」
「えっ」
「あれ、苦手でしたか、ビール」
「いや、あの…い、いただき、ます」
「はいどうぞー」
「………ども」

はじめはどう足掻いてもぎこちない、ぎりぎり会話と呼べるようなものだったけれど、アルコールが回ってしまえば隣に黙って聞いてくれそうな人がいるというだけで舌もおおいに回る。前もって聞き流して下さいと伝えておいて良かった。

松の人はビールを半分飲み進めた辺りから頬が赤らみ、眠たげな瞼が更に重く下がってきている。嫌いではなさそうだけど、お酒弱いんだな、ほら、今なんか両手で持ち上げて、上唇尖らせてちびちび飲みはじめた。

「は?可愛いかよ」
「えっ……なん、ですか…」
「いいえ、どうぞ続けて下さい」
「…はぁ」

さっきからちょいちょい感じてたけどこの人のギャップ的確に攻めてきてて可愛さにキレかけた、危なかった、いやアウトだわ。
こんなおいしいキャラ持ってるなら、もっとあざとく世渡りしてもうまくやっていけそうなのにな。いやあ、松の人の性格を見るに、そう器用に出来るだろうか、反語。

もとより安売りしない体なら、出会えた都合の良さに免じて堪能しても罰はあたるまい。

「ところで松の人って、…あ」

やってしまった、つい、が出てしまった。てへぺろ。
モノローグでしか使用予定のなかったあだ名が口から飛び出ていって、松の人の鼓膜にもダイレクトアタックだ。だって、今日も松の人はしっかり松のパーカーなのだもの。紫ではなくてグレーだけど、正面ど真ん中に松マークは健在なんだもの。


「…別に、なんでもいいですけど…」

ラーメンをすすりながら目を丸くした松の人は、口の中に全部収めた時にはもう眠たげに戻っていた。
私、フォローしてもらってるんだろうか。

「……僕みたいな燃えないゴミは、あなたみたいな人に呼んでもらうのも烏滸がましいので」

違うわ。フォローじゃないわ全然。
良かれとしたことが、結果メンタル食い荒らしてんですがこれはどうすれば。
とりあえず、人って燃えるのでは、という突っ込みをしてはいけないのはひしひしと感じた。

「自己紹介。そう、私もまだ名乗ってませんでしたね。ハルっていうんです。松の…、お兄さんは?」
「…それ、あながち間違ってないしね」
「名前、聞いていいです?」
「……松野一松ですけど」
「ああ、まつの…。すごいニアピン」
「別に近くもないけど」

松パーカー着た松野一松さん、こんなに松要素を備えてる人初めて会ったよ。


「まんま松じゃん」

また口をついた私の言葉に、お兄さんは俯いてしまった。落ち込ませたかと危惧したけれど、目玉をあちこちに動かして、口元がむずむずと何かを言いたげにしている。ぎゅ、とコップを両手で握りこんだ。だから可愛いかよ。


「…好きに呼んで、どうぞ」

はにかんだその横顔を見て、私たちは良い仲になれるような気がする、と恐らく歳上だろう成人男性に向けるにはいささか憚られるにやけ顔を、唇を噛みしめて押し止めた。


「じゃあ、またどっかで会うことがあったら、よろしくね」
「…うん、どっかでね」


長い付き合いになりそうだ、という私の直感には、ぜひピタリ賞をいただきたい。




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