往々にして当事者よりも周りが盛り上がる


明るい地色に、猫カフェおやつ無料券の文字。まさか僕がこんなものを貰う日が来ようとは思わなかった。
皺がつかないようにと両端を慎重につまんだそれは真新しさが残っていて、希薄な現実感に拍車をかけた。
もはや僕の定位置になった居間の片隅で、膝を抱えてぼうっと平日の日中を非生産的に過ごしながら、あと数日のうちに使用され手元から消えるだろう券を蛍光灯にかざしてみる。残念ながら、記念だから写メっておこうなんていう概念は僕にはない。

呆けた顔でハルとのやり取りを思い返していたら、唐突に開いた襖の小気味よい音に肩が跳ねた。

「一松いたんだ。ただいまー」
「え、あ…」

下ろすタイミングを失った腕を今すぐ切り落としたい。こんな崇め称えるみたいに掲げていたら、大事なものですと言っているのと変わらないじゃないか。無遠慮に襖を開けた人物がよりにもよってチョロ松だったから尚更、この券を見られた衝撃が体を走って動けなかった。
どうやらレイカとかいう地下アイドルのライブ帰りのようで、物販で手に入れたグッズが詰め込まれた紙袋をすぐ横に降ろす。

「あれ、一松。それって」
「う」
「…もしかしてハルちゃんと行くの?」
「ま、まあ」
「そっかー良かった。あげたかいがあるってもんだよ」

正確にはハルと一悶着あった結果であって、あんたに貰った分はもう燃えるゴミで収集されてったけどね。言わないけど。
ダサいチェックシャツの背後からぱっと小花を散らして進展に一役買ったと得意気に鼻を高くするチョロ松の思い込みは捨て置くことにして、ようやく蛍光灯の後光を放つ無料券をしまうことができた。

「で、いつ行くの?」
「あー」

壁掛けのカレンダーを見上げ、暫しの沈黙。とっくにこぼれ落としてきた曜日感覚のせいで今日の日付欄を探すのに手間取った。嘘だ。こんな紙切れ一枚に舞い上がって、毎日厭きるほどカレンダーを確認してこいつらさえ居なければいっそ赤丸で印でも付けてしまいそうなのはどこのどいつだ。僕です。

「あさって」
「なんだ、すぐじゃん。楽しんできなよあー羨ましくないけどー」
「チョロ松兄さんも女の子とレイカのライブ行ってきていいんだよ。一緒にオタ芸やれば」
「だからレイカ誰!おそ松兄さんに感化されんなつーか誘える女の子なんかいねーよ知ってんだろ!」

目元を引き攣らせ犬歯を剥き出しに歯を食い縛るチョロ松兄さんがどっかと胡座をかいて卓袱台に頬杖をつく。レイカじゃないって何回言えば分かんだよ、とぶつくさ文句を垂れてから、深いため息と共に僕の話題へ戻ってくる。

「それで?」
「…なにが」
「いやずいぶん余裕そうにしてるけどさ、着ていく服とかよさげな喫茶店のリサーチとかいいの?」
「は?猫カフェ行くのに必要なくない?」
「いやだから、…まあ喫茶店はいいとして、服だよ服。まさかそれで行くわけじゃないだろ」

それ、と指差したのは僕の今現在の着衣。簡単に言ってしまえば、いつものやつ、だ。
え、毛だらけになる前提なのにわざわざ服を新調するとか理解できないんだけど。との旨を伝えたら無感動な顔で、なんて?と返された。

「だからこんな感じので行くって」
「パーカーで?」
「うん」
「ジャージで?」
「…うん」
「まさかサンダル?」
「…え、だめ?」

そこからの応答はなく、どこからか取り出したスマホで電話をかけはじめる。なに、シカトすんの。
なかなか出ない相手に焦れた様子を見せながらしつこくかけ続け、微かに聞こえていた呼び出し音がぷつりと途切れる。

「おせーよ出んのが。トッティ、どこにいる?今すぐ帰ってきて」

どうやら相手はトド松だったらしい。詳しくは聞き取れないけれど、電話の向こうで何事かを喚いていた。
そりゃそうだ、そんな理不尽、誰だって不服でしかない。

「いーんだよジムなんかどうでも!帰ってこい!」

言うだけ言い捨てて通話をブチ切ったチョロ松兄さんが、逃げないで待ってろよ、と睨みをきかせてくるから訳もわからず頷いた。僕、どうなんの。

ほどなく、プリプリとあざとく怒ってますアピールをして帰ってきたトド松とチョロ松兄さんの視線に、僕は晒されることになる。
なにこの状況。

「トッティ、一松がね、ハルちゃんを猫カフェに誘ったんだって」
「えマジで!?オーケー貰えたのそれ!?」
「バッチリ、約束取りつけてるってさ」
「わーあの一松兄さんがとか想像できない。で、いつ?いつ?」
「あさってらしいんだよ」
「すぐじゃん!」
「おいチョロ松お前なに勝手に吹き込んでんだ」

つーか誘ってないし誘われたんだし!言わねーけど!

「それでさ、一松のやつ当日この格好で行くらしいんだよ。どう思うトッティ」
「うわーないわー」

目と鼻の先に突き付けてきた人指し指を払いのけて、トド松の軽蔑の眼差しに耐える。なんなんだよほんとに。
さっきから白々しく交わされるこいつらの会話を僕はいつまで聞いてればいいんだ。

「というわけで一松、トッティに勝負服見繕ってもらえ」
「え、」
「えー僕が決めちゃっていいのー?」
「ちょ、なに言って、これでいいって…!」
「僕が選ぶよりも、こういうのはトッティが適役だろ?」
「チョロ松兄さん自分がくそダサいって自覚あったんだぷぷっ」
「そこまで言ってねーだろ!適材適所、餅は餅屋!」
「おい人の話を聞けよ!」

どうなってんのこれ。僕がトド松チョイスの服着るの?似合わねーよ絶対、趣味掠りもしないし…!
てか猫カフェってそんな気合い入れて行くとこじゃないでしょ求めてんの癒しだから。ハルだって僕がどんなやつか分かってるし、わざわざ着飾ってなんか来ないから。そうだよね。え、違うの!?ふりふりのお洒落されてたらどう反応すればいいの!?
僕を置き去りにして進む展開にいよいよ付いていけなくて混乱してきた。

「約束、明後日でしょ?じゃあ明日しかないね、今日はもう夕方だし。ちゃんとあけといてよ」
「何しに行くんだよ」
「ショッピングに決まってるでしょ!言っとくけど一松兄さんの持ってる服も大概だよ」
「い、行かない…!」
「もーだだっ子じゃないんだから」
「一松、僕たち協力するって言ってんだよ?」
「いや俺がヘタな洒落っけ出してもキモいから。引かれるから!」
「だから僕がコーディネートするんだよ」
「いらないって!」
「…なかなかしぶといなあ」

この平行線のまま押し問答をやり過ごして、なんとか免れられないか、そればかりが頭の中をぐるぐる駆け巡る。

「じゃ、じゃあつなぎにするから。あれならまだ余所行きでいけるだろ」
「えーそれじゃつまんない」
「あー確かに」
「なにつまんないって!」
「だって僕プライベート潰されて招集されたのに報われなくない?」

肩竦めて責任とってよ、みたいな目ぇされても。お前に実害与えたのは僕じゃなくてチョロ松だからね、間違えないでよそこ。

「ジムって月額制だしこれじゃ割高になっちゃうなあ」

そもそもが毎日通ってるわけでもないんだから変わらないでしょ。
ちらりと僕を見てくるトド松はあざとさを全面に押し出しているけど、言外に過多な言葉が含まれていることを僕は知っている。そのトド松語を要約するなら、おそらくこうだ。
口止め料なら貰ってあげてもいいよ。
クソめんどくせぇ。

だけど残りの三人に腹いせで尾ひれつけまくった告げ口をされるのはごめん被る。

「ジムの帰りに寄るつもりだったケーキ屋も行き損ねたし」
「ぐ、……パチンコ勝ったらな…」
「え、いいの!?駅前に新しくできたんだ、ありがと一松兄さん!」
「さすがのドライモンスターだなこいつ」

いやチョロ松兄さんもこの状況面白がってる時点で同罪だからね。ほんとクズしかいないなこの兄弟。
これ以上めんどくさくなるのは勘弁してほしいから言わないけど、ってこの下り何回やるんだ。

自分の要求が通って気が済んだらしいトド松は僕への興味を失いスマホのSNSに張り付いている。
チョロ松兄さんはまだ物足りなさそうに僕とトド松をへの字口で見ていたけど、思い出したように無い金はたいて手に入れた曰く戦利品の整理をし始め、僕はようやく息をついた。

特別なにもしなくていい。から回って引かれでもしたらと憂慮が脳裏を過っただけで息苦しくなるから、なるたけいつも通りがいい。
木曜日、10時。日が近づくにつれ口の中で呟く回数が増え、今日ももう何度目になるか分からないその言葉を繰り返したとき、SNSへの連投に区切りをつけ、天井へ視線を這わせたトド松が二爆目を投下した。

「ところで一松兄さん、待ち合わせ場所どこにしたの?」
「は?」
「待ーちー合ーわーせ。けっこう重要だよ」
「…猫カフェで会うだけだけど」
「待ち合わせないの?」
「…うん」

穏やかな笑顔で沈黙したあと、思いきり息を吸い込む気配がして咄嗟に耳を塞いだ。

「デートで現地集合とかあり得ないから!!」
「デートじゃないし」
「この期に及んでまだ言う!?これがデートじゃないなら世の男どもは何を渇望してるっていうの!?」
「ト、トッティ少し落ち着けって」
「チョロ松兄さんは黙ってて!一松兄さん、やり直して」

これでもかと身を乗り出して鼻面を突き合わせてくるトド松の顔面を押し返す。何を、と聞き返す余裕もなく、矢継ぎ早にトド松は続けた。

「約束!…取り付け直して。あさってなんだからまだ融通きくでしょ」
「無理」
「なんで!さすがにもう連絡とれるんじゃないのほらスマホ出して」
「知らない聞いてない」
「っあーーーーーー!!」
「トッティ…!正気を保てトッティー!」

両手で顔を覆って天を仰いだトド松をチョロ松兄さんが宥めすかす意味の分からない絵面を横目に、服装に少しだけでも頭を捻ったのだから及第点くれてもいいんじゃないかと思う。
パーカーのポケットに手を入れて、猫カフェのおやつ無料券がちゃんとあることを確認する。これも何回もやった。
今はハルと猫カフェに行くという事実だけを考えよう。そうしよう。

僕が自分の世界に入り始めたのを察して二人が喚き散らしているけど、右から入って左へ抜ける。受け流すやつでもいいよ。とにかくぜんぶ雑音、シャットアウトしてやった。




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